ヴィクトリア女王の孫、ロシア史の「白い天使」となる

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エリザヴェータ・フョードロヴナ - Sputnik 日本
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モスクワ現代史博物館で「白い天使」と題された展示が行われている。

モスクワのマルフォ・マリインスカヤ修道院を築いた大公妃エリザヴェータ・フョードロヴナの生誕150年を記念しての展示である。エリザヴェータ・フョードロヴナは英ヴィクトリア女王の孫、ロシア皇帝ニコライ2世の妻の姉妹である、ルイザ・ゲッセン=ダルムシュターツカヤ王女のロシア語名である。ロシアの皇族に嫁いだあらゆる外国の姫君がそうであったように、この皇女も正教会を受け入れ、ロシア名を与えられたのである。

1884年、アレクサンドル2世皇帝の子息の一人・セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公に嫁いだドイツ王女は、ロシアの公妃となり、新しい名前・エリザヴェータ・フョードロヴナを賜った。彼女はこの名前でロシア史に残った。生前中から地上に舞い降りた天使と呼ばれた。目もくらむほどの美人で、性格は善良で、格式ばることなく、誰でも傍に寄せた。やがてロシア語も完全にマスターした。夫がモスクワ知事に任命されると、エリザヴェータ・フョードロヴナは夫とともにモスクワに引越し、貧しい家庭に生まれた子供たちの養育のための慈善団体を創設した。

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エリザヴェータ・フョードロヴナ

1905年、悲劇が起こる。夫がクレムリンを退出する際に、テロリストに爆弾を投げつけられ、木っ端微塵に砕け散ってしまった。叫び声とともにクレムリンから走り出てきたエリザヴェータ・フョードロヴナは、野次馬を払いのけつつ、自らの手で亡夫の残骸を拾い集めたという。夫の死後、彼女は監中の殺人犯に福音書を差し入れ、「許す」と言ったと伝えられる。親族は彼女にロシアを去るよう説得したが、彼女は夫の墓を守ることが自分の義務であるとして、これを撥ね除けた。子供はいなかった。だから自分の身を貧しい人、病める人に捧げることに決めた。夫が長年かけて収集した貴金属や絵画のコレクション、貴重品を全て売り払い、売り上げの一部を国庫に納め、一部を家族に送り、残りを慈善目的に投じた。モスクワ中心部のボリシャヤ・オルディンカ通りに土地を買い、1909年、慈善修道院を開いた。聖姉妹マルファとマリヤの名をとり、マルフォ・マリインスカヤと名づけた。貴族としては異例の振る舞いであった。誇り高い、洗練された、高い教育を受けた公妃が、看護服を着て、教会や養老院に日参し、病人を看護し、汚れたぼろ服を抱きしめているのだ。エリザヴェータ・フョードロヴナはそれを全く意に介さなかった。慈善事業を地上における自らの使命と見定め、それに没頭したのだった。

マルフォ・マリインスカヤ修道院のエリサヴェータ修道院長は、「不運にあっても彼女の精神は不屈であった。彼女の中には繊細さと強さが同居していた」と語る。

「この修道院は大公を記念するために彼女によって樹立されたものだ。公妃は当院の全修道女に対し、毎年、殺害の日、そして大公の守護天使の日には、大公のことを祈るよう遺言した。修道院設立から110年が経った今日も、我々は厳かに祈りを捧げ、この伝統を守っている」

修道院には会堂が2つあり、それとは別に病院があり、薬局もあった。薬局では貧しい人に薬が無料で配られた。さらに、孤児のための保育院があった。そして、学校、図書館、食堂。食堂では毎日、貧しい人のために食事が格安で提供されていた。ロシアと日本の間に戦争が始まると、エリザヴェータ・フョードロヴナは軍人支援委員会を組織した。委員たちは軍人たちのための募金を募り、救急箱を拵え、負傷者のための包帯を拵え、衣服を繕い、郵便物を集めた。また第一次世界大戦中は、大公妃は病院列車を組織し、前線に医薬品を届け、後列に診療所を開設した。

1917年、 ロシアが革命に揺すぶられたとき、ドイツのヴィルヘルム2世皇帝は、エリザヴェータ・フョードロヴナに対し、ロシアを退去するようすすめた。しかしエリザヴェータ・フョードロヴナはこれを拒否。ロシアの人民と運命をともにする、と語った。1918年、エリザヴェータ・フョードロヴナは、ボリシェヴィキに逮捕される。他の帝室メンバーとともに、ウラルへ流された。同年7月、ロマノフ王朝に連なるほかの囚人らとともに、廃鉱山に引っ立てられ、鉱山に捨てられた。コルチャーク提督の軍隊に街が占拠されると、エリザヴェータ・フョードロヴナの遺体はまずチタへ運ばれ、ついで上海およびエルサレムに運ばれた。そのエルサレムで1921年、聖マリヤ・マグダレナ教会に葬られた。

エリザヴェータ・フョードロヴナの所持品の多くが今日もマルフォ・マリインスカヤ修道院に保存されている。それらの品々をいま、「白い天使」展で見ることが出来るのである。たとえば、写真の原像、身の回りの品々、スケッチ、書簡など。それぞれの展示品の背後に、驚くべき歴史が隠されている。たとえば、ここにニコライ2世皇帝に当てた書簡がある。エリザヴェータ・フョードロヴナが、正教会の洗礼を受けたい旨の希望を書いている。また、自分の夫を殺したテロリストを監獄に見舞った際にその囚人から伝えられた詩篇が書かれた、死期の床の手記。身の回りの品々としては、手袋、十字架、数珠などがある。逮捕されたときに取り落としたものだ。また、特設コーナーには、エリザヴェータ・フョードロヴナが詩人のセルゲイ・エセーニンに贈ったイコンもある。詩人は自らの最初の詩篇をこの修道院で朗読した。

1992年、エリザヴェータ・フョードロヴナはロシア正教会において列聖された。ロシアの歴史の中に永遠に、処女性と献身のシンボルとして名を刻んだのである。

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