日本でソ連抑留中に死亡した日本人の名簿が公表される

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日本の厚生労働省は、第二次世界大戦後に旧ソ連が北朝鮮などに設置した収容所で死亡した日本人1万723人の名簿を新たに公表した。

名簿はロシア連邦が提供した情報を基に作成された。最後の情報提供は、2014年11月から2015年2月に行われた。なお厚生労働省はすでに9年前に名簿の一部を入手していたが、公表していなかった。

今年4月、読売新聞は、厚生労働省が収容所で死亡した日本人の情報をロシアから入手したが、「その事実は公表されておらず、死者についての情報は、遺族でも入手が難しかった」と報じた。これに関する読売新聞の記事によって厚生労働省は約1万人の名簿の公表を余儀なくされた。なお、そのうちの多くはまだ身元の確認が取れておらず、漢字ではなく、カタカナで表記されている。厚生労働省によると、名簿の公表が遅れたのは、シベリアなどで死亡した抑留者を優先していたため、だという。

1946年春から約2万7000人の日本人がソ連の収容所から朝鮮半島へ移送された。これは主に病気や衰弱などで収容所での労働に耐えられなくなった人たちだった。そのうちの約1万2000人が亡くなっている。

厚生労働省が公表した名簿には、ソ連ではなく、北朝鮮や中国の収容所で亡くなった2000人超の名簿が含まれている。

日本の降伏後、ソ連軍は満州、韓国、南サハリンで57万5000人の日本人を捕虜としたり、あるいは抑留した。うち5万5000人が収容所で死亡した。その中には軍人だけでなく、戦時中にそれらの地域に住んでいた一般市民もいた。

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