朝からメトロへ私は降りてゆく

© Sputnik / Ruslan Krivobokコムソモーリスカヤ駅
コムソモーリスカヤ駅 - Sputnik 日本
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昔の人は地下を電車が走るなどということに驚き、また怪しんだものだ。それが今や、街の点から点へ、結構なスピードで人らを運搬し、決して渋滞を起こすことがない、理想の移動手段に成長した。

5月15日、モスクワ地下鉄は開業80周年を迎えた。モスクワ地下鉄は、ただの輸送手段ではない。それ自体、歴史と伝説、掟をもつ、ひとつの世界をなしている。中から興味深い、しかしあまり知られていないエピソードを、いくつかご紹介しよう。

モスクワに地下鉄を建設する計画は、なんと19世紀末からあった。1875年のプロジェクト。しかし実現することはなかった。教会の反対にあったのである。あるモスクワ司教は次のように記した。「このような罪深い夢想を許すことなど出来ようか。地下の地獄に降りてゆくなど、神に似せて創られた人間の、その尊厳を傷つけることにはならないか」。公式には「経済的に引き合わない」との理由で、建設は実施されなかった。

現実に着工がなされたのは1931年。続く1935年5月15日には13駅が同時オープンした。経験もノウハウもない中で、異例の速さの竣工だった。同日午前7時、「ソコリニキ」から「パルク・クリトゥールィ」まで、最初の電車が走った。当初、切符は2色刷りだった。片側が赤く、片側が黄色いもの。発行時には時刻の刻印が行われ、それから35分以内に使用しなければならなかった。1937年のパリ万博では「ソコーリニキ」駅のプロジェクトがグランプリを授賞した。

ヒットラーの軍隊がソ連を攻撃したとき、モスクワ地下鉄は、取り壊しを検討された。敵に利用されないように、というわけだ。1941年10月15日、輸送網所管人民委員ラーザリ・カガノヴィチは、地下鉄封鎖の命令を出した。16日未明、破壊準備が開始される。駅に爆薬が積まれ、電線は切られ、一部の駅ではエスカレーターの解体が行われた。朝には地下鉄への立ち入りが不可能となった。この1941年10月16日という日は、モスクワ地下鉄が稼動を停止した、唯一の日である。同日夕方には命令が撤回された。以来、モスクワ空爆が止み、灯火管制が解除される1943年まで、地下鉄は巨大な防空壕となった。この間に地下空間では、217人の子供が生まれている。駅では商店や美容院が稼動し、「クルスカヤ」は図書館になった。

この大祖国戦争の年間も、地下鉄の建設は続けられた。何も、その必要があったわけではない。全ては、国民に、また全世界に対し、モスクワは生きている、モスクワは負けない、と知らしめるためだった。当ラジオから100mの距離にある「ノヴォクズネツカヤ」駅もこの時に誕生したものである。モザイク、壁画、浮彫り、飾り長椅子、奇妙なフォルムの蜀台をあしらった、超デコラティブな駅である。側面にはこの駅を担当した建築家イワン・タラノフを描いたルネッサンス風モザイク画もある。

モスクワ地下鉄の各駅は、そもそものはじめから、「人民のための宮殿」として建設された。特に深い印象を与えるのは、1930年代末に建設された、「ジナモ」や「マヤコフスカヤ」に代表される、今や「古典」とも称すべき駅たちである。いわゆる「スターリン・ネオゴシック」様式。アヴァンギャルドな構造と伝統的な装飾の調和的融合という点では国際的な概念であるアール・デコ様式に近い。1938年のNY国際博覧会では、ある駅の建設プランがグランプリを獲得した。大祖国戦争のドイツ軍による空爆の際には「マヤコフスカヤ」駅も防空壕として利用された。この駅の、当時最も深く、かつ広大な空間であった中央ホールは、式典の催行会場となった。1980年代末、この駅は文化財に指定された。また、種類の異なる大理石をふんだんに用いた「プローシャジ・レヴォリューツィイ」は、まさしく地下ミュージアムの名が相応しいものだ。この駅には76体の彫像がある。労働者、軍人、子連れの母、ピオネール(共産主義少年団)、イヌ、ニワトリ。注目は、イヌを連れた国境警備員である。古くからモスクワ市民に愛されている一体だ。あるときモスクワの学生たちの間に、ひとつの迷信が生まれた。このイヌの鼻をなでると試験でいい点がとれる、というものである。今や誰もがイヌの鼻をなでて通る。ブロンズ製の鼻周辺はめっきが剥落し、てらてらに輝いている。

この80年間の利用者は総計1450億人に上るとされる。一日の利用者は800万人超。モスクワ市内で各種の輸送機関を利用する人のうち、56%が地下鉄を利用している。運転手の数は4300人。地下鉄職員全体では4
6000人。運行の頻度、信頼性、輸送量において、モスクワ地下鉄は世界の地下鉄の中で不動の首位を占めている。

80周年を記念日し、様々なイベントが行われた。15日当日には世界21地下鉄の総裁がモスクワに集まった。また15日から16日にかけて、環状線では電車のパレードが行われた。見るだけでなく、乗ることも出来るものだ。珍品から最新型まで、種々の車両が列をなした。またこの両日、「メトロを塗ろう」と題した公募の入選作をもとに彩色された車両も運行した。また、ロシアの人気俳優たちも一役を買った。著名な映画俳優や歌手、音楽家22人が、5月一杯、駅名アナウンスを担当する。慣れ親しんだイントネーションを、市民は楽しんでいる。

しかし地下鉄で何が第一かと言って、それは車両でも駅舎でもエスカレーターでもなく、人である。そのことをつくづく思わされるのが、「ジェラヴォイ・ツェントル」駅で開催の、「メトロの顔」という展示である。様々なセクションで働く地下鉄職員の肖像84点からなるものだ。功労を認められた上級職員だけでなく、トンネル工夫、駅員、管制官など、様々な専門分野の職員が主人公となっている。モスクワ地下鉄のドミートリイ・ペゴフ代表は同展の開会にあたり、「モスクワ地下鉄にとっては、その職階に関わらず、労働者一人一人が大切なのだ」と述べた。モスクワ地下鉄がただのお飾りの「地下宮殿」でなく、信頼できる輸送手段であり続けるために、日々働く人たちが、それぞれどういう顔をしているのか、この「メトロの顔」で知ることが出来る。

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