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露日関係を映した映画

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モスクワで第49回日本映画祭が行われ、毎回ながら多くの観客を集めている。ロシア人が最も善良な隣人と捉えている日本、そして日本人への関心は年を追うごとに弱まることはない。だが日本人の映画監督の撮影した映画にロシア人が見るのは日本の現実だけではない。日本映画の中には日本人の持つロシアのイメージが反映されていることが少なくないからだ。

ここで戦後の日本映画から露日関係を描き出した作品を振り返ってみたい。

「私の鶯」(1943年)、監督:島津 保次郎(しまづ やすじろう)

上京ものがたり - Sputnik 日本
モスクワで開催される第49回日本映画祭で7本の作品上映へ
戦争真っ只中、日本が性が制作会社に対して国家統制を敷いた時代、コスモポリタン的な都市ハルビンでロシアのアーティストに対する音楽ねたの映画が撮影された。コンサートあり、オペラの一幕ありの映画は1940年代のハルビンの音楽生活をほぼドキュメンタリーに映し出している。映画にはメロドラマ的な筋もある。日本の娘マリコはロシア人オペラ歌手のパニンの養女となり、ロシア流の歌唱を身に着ける。

映画の意図は日本が満州植民地の芸術振興にいかに貢献しているかを示すことにあった。中国北東部のロシア人は日本の新国家、満州の管轄下にすでに10年も暮らしていた。その満州国建国10周年が1942年から1943年、大掛かりに祝われた。

ところが実際は、この映画を作った監督もプロデューサーも主役を演じた山口淑子、作曲の服部良一もこの映画にロシア文化への個人的な傾倒の思いを見事に表現している。それは各人が白系ロシア人のもとで学んだ経験を持っていたからだった。

映画は満州国でも日本でも公開されず、戦後は行方が分からなくなっていたが、1980年代末になってようやく再発見された。

「小さい逃亡者」(1966)、監督:衣笠 貞之助(きぬがさ ていのすけ)

© 写真 : www.kinopoisk.ru「小さい逃亡者」(1966)、監督:衣笠 貞之助(きぬがさ ていのすけ)
「小さい逃亡者」(1966)、監督:衣笠 貞之助(きぬがさ ていのすけ) - Sputnik 日本
「小さい逃亡者」(1966)、監督:衣笠 貞之助(きぬがさ ていのすけ)

日ソ合同制作映画の第1弾。日ソ共同宣言締結10周年を記念して制作。戦後の両国関係を調整し、これからは敵のイメージを拭い去り、新たなパートナー関係に踏み出すことが狙い。

主人公の日本人少年けんちゃんはソ連にいるという父親を探し出すため、こっそりソ連の船に乗り込む。けんちゃんは言葉も知らず、何の書類も持たずにシベリアを横断するが、どこでも暖かい人たちに助けられる。サーカスのピエロ、ニクーリンのおかげで、けんちゃんは進学し、有名な音楽家になる。

「さらば、モスクワ愚連隊」(1968)、監督:堀川 弘通 (ほりかわ ひろみち)

ソ連側の参加なしに撮影された映画は文化のヒエラルキーへの代替的視点を示している。日本人音楽家がモスクワ出身のサクソフォン奏者ミーシャに本物のスウィングのレッスンを行っているからだ。五木寛之氏の作品を土台に撮られた映画は1960年代のソ連の若者が世界のトレンドに心を開き、日本の演奏家、プロデューサーに新たな希望を吹き込みながらも、日本の商業化されたジャズに失望していく様子を情感をこめて描いている。そんな希望も喜びのない結末にばらばらに壊れてしまう。ミーシャは犯罪世界の人間に妬みを買い、刃物の傷を受けたことからコロニーへ入る。

映画の語る希望も失望もちょうどこの映画が作られた時期のソ連の雪解けの時代を関わりがある。ソ連ではこの映画は公開されていない。

「デルス・ウザーラ」(1975)、監督:黒澤明

© 写真 : www.kinopoisk.ru「デルス・ウザーラ」(1975)、監督:黒澤明
「デルス・ウザーラ」(1975)、監督:黒澤明 - Sputnik 日本
「デルス・ウザーラ」(1975)、監督:黒澤明

1973年、国際緊張緩和の路線に関連し、日ソの映画関係者のコンタクトも息を吹き返した。

ソ連の「モスフィルム」と日本の製作スタジオは俳優とカメラマンは日本人で、監督はソ連出身者という組み合わせで数本の合作映画を制作(「モスクワわが愛」や「白夜の調べ」など)。これと平行して撮られた黒澤監督の「デルス・ウザーラ」には黒澤氏個人のまなざしが反映された。黒澤監督がロシア人探検家アルセーニエフ氏の手記を映画化しようとしたのは偶然のことではない。この手記は日本では1940年代にすでに翻訳されており、日本による満州開拓の文学作品とならぶものとして大きな関心を呼んだ。黒澤氏は、先住民ゴリドの主人公に最も惹かれて映画化を思い立ったとされている。

「おろしや国酔夢譚」(1992)、監督:佐藤 純彌(さとう じゅんや)

© 写真 : www.kinopoisk.ru「おろしや国酔夢譚」(1992)、監督:佐藤 純彌(さとう じゅんや)
「おろしや国酔夢譚」(1992)、監督:佐藤 純彌(さとう じゅんや) - Sputnik 日本
「おろしや国酔夢譚」(1992)、監督:佐藤 純彌(さとう じゅんや)

歴史もの。1782年、カムチャッカ半島に日本人漁民を乗せた船が漂流する。船長の大黒屋 光太夫はロシア側に最高の印象を与えることに成功し、本当の意味で東と西の間の仲介者となった。また日本に帰国してからは、ロシアの現実について日本人に語った。

この映画は1990年代、カムチャッカからペテルブルグまでロシア全土がこぞって観た。しかもその興味は歴史的なものにとどまらず、当時の風俗や宮殿のインテリアも大きな魅力を惹いたが、なんとかして祖国に帰ろうと力を尽くす光太夫という存在がロシア側の出演者を凌駕している。

「大河の一滴」(2001)、監督:神山征二郎(こうやま せいじろう)

1968年に撮られ、ロシアを魅了した映画「さらば、モスクワ愚連隊」と同様、五木寛之氏の作品。

主人公は若い日本人女性。東京の都心に店を構え、美男子で才能ある男性と恋におち、きらめくような生活を送ることを夢見ている。そのすべては、あるロシア人のトロンボーン奏者と運命が交われば、手に入れることができるはずだった。ロシア人の演奏家は交響楽団に入団するため来日していた。

彼女の故郷には幼少から彼女に思いを寄せる親友がいた。日本の田舎町で教鞭をとっている男友達には。自分の音楽があり、学校の吹奏楽団でタクトを振っている。ロシア人の主人公と映画で映し出されるロシアの風景は日本の負う過去の傷と実存主義的問題を浮き彫りにしている。

「赤い月」(2004)、監督:降旗 康男(ふるはた やすお)

© 写真 : www.kinopoisk.ru「赤い月」(2004)、監督:降旗 康男(ふるはた やすお)
「赤い月」(2004)、監督:降旗 康男(ふるはた やすお) - Sputnik 日本
「赤い月」(2004)、監督:降旗 康男(ふるはた やすお)

家族の性を描いた映画。日本帝国の植民地での11年間が舞台。

森田の妻は満州国で関東軍向けの酒屋の商売が当たって大繁盛を収める。 軍の庇護がなければ商売はなりたたないため、一家は関東軍と緊密な関係を維持している。

映画の魅力は日本人とロシア人のヒロインの存在が絡み合うところ。森田夫人は男性とフォックスとロットをこよなく愛し、旺盛な生活力と偉大な日本の福祉よりも個人の幸せを最優先し、「西側的」なモデルの「個人主義的」女性像をはっきりと表現している。一方の亡命ロシア人のエレーナは物腰の柔らかな、おとなしい女性で父や借金の犠牲となる覚悟を決め、本物のサムライのように死んでいく。青い目のはかないエレーナは日本人の描く理想的女性像を明らかに体現化している。

 

 

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