『ロシア革命一〇〇年の教訓』(5)

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『ロシア革命一〇〇年の教訓』(5) - Sputnik 日本
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今回は「序章 ロシア革命の虚妄」の第四節をご紹介しよう。

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つぎの拙著へ向けて:『ロシア革命100年の教訓』(仮題)
序章 ロシア革命の虚妄

4 『われら』が問いかけること

つぎに、ロシア革命の混乱期の一九二〇~二一年にかけて書かれたエフゲーニィ・ザミャーチン著『われら』を取り上げたい(Замятин, 1920-21=1992)。本国では発行できず、一九二四年にチェコの雑誌にロシア語原文が発表された(英語版は一九二四年に刊行)。これを契機に、ソ連当局への公然たる挑戦とされて、ザミャーチンは反革命家の烙印を押され、一九三一年にパリに出国、一九三七年三月にパリで死亡した。『ドクトル・ジヴァゴ』と同じように、ミハイル・ゴルバチョフのペレストロイカ後、一九八九年以降、この作品を収めた数多くの単行本が刊行されるようになった。

この意味で、『われら』は『ドクトル・ジヴァゴ』と同じく、ソ連当局がなにを警戒していたかを考えるうえで参考になる。といっても、こちらは革命前後の状況を描いた作品ではなく、ユートピア文学の一つであり、『ドクトル・ジヴァゴ』とは別の読解を必要とする。

『われら』は、二〇〇年戦争を経て一〇〇〇年前に全地球を征服して単一国の支配下においたころ、すなわち、一二〇〇年ほど先の世界国家「単一国」を舞台に、そこの数学者で宇宙船「インテグラル」の製作担当技師である「D-五〇三号」の手記という形式で語られる。彼が同国への叛乱に巻き込まれていく話ということになる。

『われら』を翻訳した川端香男里の解説によれば、「長年にわたる教育と、守護者と呼ばれる秘密警察の監視のもとで、個性と自由が除去された未来都市」が描かれ、そこでは、「人々の行動は時間律法表によって画一化され、愛情、生殖も国家の統制下にある」。人々は員数(ナンバー)として扱われ、男性は子音、女性は母音で表わされる(「D-五〇三号」は「D」だから男性ということになる)。自然の野蛮な力は「緑の壁」でさえぎられ、動物も植物もすべて取り除かれている。建物はすべてガラスで、守護者が国民生活のあらゆる部分を監視することができる。

愛と自由への攻撃と満場一致

具体的には、朝七時、われら何百万人が一人のように起床する。「同一時刻に百万が一つになって仕事をはじめ、百万が一つになって終える。百万の手を持てる一つの身体(からだ)となって、律法表に指示通り同一秒にスプーンを口へと運び、同一秒に散歩へ出かけ、講堂に行き、テーラー訓練場へ行き、眠りにつく」(Замятин, 1920-21=1992, p. 21)。「愛」は攻撃され、三〇〇年ほど前に性(レクス)規制法(・セクスアリス)が布告されて、員数(ナン)成員(バー)のすべてが性的所産として任意の員数成員に対する権利をもつことになり、各自に適合したセックス・デー予定表が作成され、申請書を書いて自分のセックス・デーにこれこれの員数成員を利用いたしたく云々と願い出て適当なクーポン綴りを受理する。個人時間である一六時から一七時と、二一時から二二時に、部屋のブラインドを降ろしてクーポンを行使するのだ。

「自由」も攻撃の対象となっている。自由と犯罪が切り離しがたく結びついているとして、人間の自由をゼロとすることで人間を犯罪から救い出す。

毎年一度、「満場一致デー」が開催される。員数成員に恩恵を施す人である「恩人」に賛成の挙手をする日なのだ。だが、数千の手が「反対」の挙手をする事件が起きる。しかし、「彼らの投票を計算に入れることは無意味なこと」とされ、「幸福の敵」は処罰の対象となる(Замятин, 1920-21=1992, p. 225)。

この出来事に対して、菊池理夫はつぎのように書いている(菊池, 2013, p. 355)。

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『ロシア革命一〇〇年の教訓』(2)
「ここでとくに問題にしたいのは、圧倒的多数の者がこの体制のもとで平和に、安全に「幸福」に暮らし(もちろん、そう思い込まされているとしても)、それゆえに「恩人」に賛同していることである。つまり、これはまさに「全体主義的民主主義」の危険性を指摘していると理解できる点である」。

これは、ソ連においてすでに広がりつつあった全体主義的傾向への厳しい批判を含んでいたことになる。

「緑の壁」の内と外

『われら』は単に全体主義国家ソ連を批判するだけでなく、科学技術を信奉することへの警句を含んでいることに留意しなければならない。「緑の壁」の内側には動物も植物も除外されていたが、壁の向こうで生き残った人々がいたのである。

「裸のまま、森の中へはいって行ったの。そこで、木木や、けものたち、鳥たち、花、そして太陽から学んだの。彼らは一面毛に覆われることになったけれど、この毛の下で温かい血を守ることができたのよ。あなたたちの場合はもっと悪くなってるわ。身体中数字だらけとなって、数字が身体の上をしらみのように這い回っている」(Замятин, 1920-21=1992, p. 251)。

これは、「D-五〇三号」の愛した「I-三三〇号」が「D-五〇三号」に話して聞かせた内容である。「身体中数字だらけとなって、数字が身体の上をしらみのように這い回っている」のは、現代のわれわれ自身にもあてはまるのではないか。そう考えると、ザミャ-チンの批判は全体主義国家ソ連だけを射程としたものではなかったと指摘しなければなるまい。

想像力摘出手術

叛乱という事件に対して、単一国は員数成員に想像力摘出手術を強制する措置をとる。機械装置には想像力がない。想像力という病気を治療するには、幸福への道をさえぎる最後のバリケードである想像力というバリケードを爆破させればいい。単一国の科学の最新の発見によって、想像力中枢の存在が明らかになったから、脳神経節の「X線による三回の焼灼を受ければ、諸君は想像力病を治癒し得るのである」というのだ(Замятин, 1920-21=1992, p. 272)。これを前提にして、「恩人」が「D-五〇三号」に話した内容を読むと、そこにはキリスト教への容赦のない批判がある。

「キリスト教の最も慈愛心にみちた神ですら、すべての服従せぬやからをゆっくりと地獄の火で焼いている--彼も死刑執行人ではないのかね? それにキリスト教徒によって火刑にされた人数は、火刑にされたキリスト教徒の人数より少なかったのだろうか? それにもかかわらず--いいかね--それにもかかわらず、この神が愛の神として長年の間、讃えられていたのだ。不条理かね? いや、その反対だ。根絶やしにすることのできない人間の良識への、血で書かれた特許状だ」(Замятин, 1920-21=1992, p. 326)。

「古代の天国についての夢想……思い出してみたまえ。天国ではもう願望も、憐れみも、愛も知らない--それには想像力の手術を受けた至福の人(手術を受けて初めて至福を得るわけだ)と、それに神の奴隷である天使がいる」(同, p. 327)。

想像力が神や天国を人間にもたらしたのであれば、この想像力を取り除くことで、愛も憐れみもいらない至福に出会えるというのである。

ここではっきりと意識しなければならないのは、想像力(imagination)と空想(fancy)との違いである。想像力は従来、知覚の疑似的な再現能力、あるいは恣意的な空想能力として低くみられていた(Karatani, 2014, p. 216)。イマヌエル・カントこそ、感性と知性を媒介するものとして、また、知性に先立つ創造的能力として想像力を初めて見出したのである。想像力は恣意的な空想とは異なるのだ(柄谷, 2010, p. 323)。このため、想像力の摘出は知性にも影響をおよぼし、単一国の科学にも打撃をおよぼすことになるだろう。

この節の最後に、一九六五年にノーベル文学賞を受けたミハイル・ショーロホフの苦悩について紹介しておきたい。彼の代表作はなんといっても『静かなるドン』だが、その主要人物グリゴリイ・メレホフにはモデルが存在し、そのモデルで情報提供者のハルラムピー・エルマコフはGPUに銃殺された「国民の敵」であった(Radzinsky, 1996=1996, 上, p. 421)。ゆえに、ショーロホフは長年、「コサック士官の盗作ではないか」との疑惑に答えることができずに酒にまぎらすほかなかったのだ。

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