ハリストス降誕祭:創造の意義は人々に愛と希望の光をもたらすこと

ゲオルギイ・パルフョーノフ神父
ゲオルギイ・パルフョーノフ神父 - Sputnik 日本
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1月6日から7日にかけての深夜、ロシアではハリストス(キリスト)降誕祭(クリスマス)が祝われた。この祝祭は、20世紀初頭、ロシア正教会がユリウス暦から新しいグレゴリウス暦に移行せず、新暦を採用しなかったことから、欧米など他のキリスト教国に比べ13日遅い。帝政ロシアにおいて、降誕祭は極めて重要な祝祭であり、祭日の重みとしては新年よりもはるかに上だった。

しかし1917年の革命後、その地位が変わってしまった。ソ連時代、新年は、降誕祭が持っていた性格の中から、世俗的な家族のお祭りという部分を完全に自分の中に含んでしまい、降誕祭は何よりも正教信者のものとして扱われるようになった。しかしここ数年、人々は降誕祭に、ますます多く教会を訪れるようになり、この祝祭日が持つ宗教的な意味を思い出している。例えば、モスクワにあるロシア正教最大の寺院、救世主ハリストス大聖堂での降誕祭の礼拝には、毎年5千人を超す人達が集まっている。

本日は「クリスマス週間」にちなみ、ロシア正教会の聖職者で同時に、著名な画家でもあるゲオルギイ・パルフョーノフ神父に、スプートニク日本のリュドミラ・サーキャン記者が行ったインタビューを皆さんに御紹介したい。

ゲオルギイ・パルフョーノフ神父
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ゲオルギイ・パルフョーノフ神父

記者:降誕祭は、素晴らしい祝祭日ですが、あなたの目から見て、その真の意味合いはどこにあるとお考えですか?

神父:降誕祭は、復活大祭同様に世界のキリスト教徒全体にとって偉大な祝祭です。この祝祭は、そこを通って救世主が世界に入ってきた門が開かれる日です。ハリストスの到来とその昇天は、人々に、罪の中に生きるのではなく、ハリストスの教えに従って生きるため、自らの生活を考え直す機会を与えました。ただそれを守るのは、容易であり同時に難しいことです。

記者:ただロシアでは、降誕祭は、新年の後にやってきます。そうした事から、多くの人達にとって、降誕祭のお祝いは、年明けから続く宴席やお祭りに単にピリオドを打つものになっているようです。そうは思われませんか?

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神父:それは、自分の強さを試す一種のテストです。人間が、彼にとって何がより価値があり、大事なものかを選択するまさにその時なのです。例えば、私は20年以上聖職者として働いていますが、新年を自分の家族と祝いません。私達にとって、主要な祝祭は、降誕祭だからです。新年は、宣伝列車のように色とりどりの明かりを灯しながら私達のわきを通り過ぎてゆく、世俗のお祭りです。しかし、だからと言って私は、誰も咎めたりしませんし、私達と同じように行動するよう求めたりもしません。もし魂の中に強固な信仰があれば、誰にも腹を立てず、周囲の人達と対立することもなく、友人達とテーブルを囲んで座り、過ぎ去った一年を思い起こし、新年のことを夢見ることもできますし、それは必要でさえあります。

記者:自分のことを正教徒だと言いながら、罪を犯し、祈りの言葉も知らず、キリスト教の戒律も守らずに祝祭日だけ教会にやって来るような人達には、あなたはどう接していますか?

神父:大体、教会に対する弾圧が終わり、寺院の復興が始まった1980年代半ばから、専門用語で「儀礼的異端」と称されるような悲しむべき傾向が現れました。多くの人達が寺院を訪れ、洗礼を受け、イコンの前にロウソクを灯しますが、キリスト教徒とは何たるか、真の信仰とは何かについて知識がありません。ですから聖職者には、たくさんの仕事があります。説明し啓蒙し、生きる模範としてキリスト教徒としての行動を示さなくてはならないのです。

ゲオルギイ・パルフョーノフ神父
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ゲオルギイ・パルフョーノフ神父

記者:どのようにしてあなたは聖職者になられたのですか?

神父:かなり長い話になります。子供時代、私は、何よりも絵を描くのが好きでした。ですから普通学校を終えてから、ウラジーミルにある美術学校に入りました。そこを卒業後、 軍役を果たし、美術家として働くようになりました。1990年代に寺院が開かれ始めた時、私は、職業的な好奇心からそこに通いました。そしてそこで、聖職者であり又美術家同盟のメンバーでもあるインノケンチイ神父と知り合いになったのです。まさに彼の影響で、周囲の人達にも又自分自身にとっても思いもかけないことに、私は神学校に入り、1995年には神父となってウラジーミル州にある寺院を任されました。

記者:あなたは長年、打ち捨てられ崩壊した寺院の修復に取り組んでこられましたが、その時期のことについて、お話しいただけますか。

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神父:私が聖職者として最初に礼拝を執り行った寺院には、窓も扉もありませんでした。礼拝の時、寺院の中ではハトが飛び回っていました。そうした崩壊した寺院は、実にたくさんありました。それで私は、まだ若く力のある時に寺院をちゃんとしたものとする事こそ、自分の義務なのだと感じたのです。 財政的援助は、どこからも期待できませんでした。ですから一般の人達の助けにすがるしかありませんでした。フェイスブックの助けを借りて、多くの思いやりのある方々を見つけ、資金を集めることができました。私自身、様々な専門的腕前を身につけ、事実上すべて自分の手でしなくてはなりませんでした。建築現場で働いていた時、私は珪肺症(注:環境性肺疾患で、シリカ〔通常は石英〕の微粒子を吸いこんだことが原因で発生する)に罹ってしまい、病気が重くなって、死が近づいていると分かった時も、それによって神に近づいていると感じました。 人生も祈りも、そして病状もすべて、別のものとなってゆき、その後、癒しがやってきたのでした。聖職者としても、そして多くのことを経験した人間としても、皆様に申し上げたいのは、最も素晴らしい事は、自分自身への神の愛を感じることです。そしてその愛を他の人に伝えるよう試みることです。私にとって芸術は、伝道であり、自分の描いた絵を通して、私は、人々に対する自分の愛と神のほんの一部を、人々にどうしても伝えたいのです。もし私の魂の中で、そうした愛の歌が鳴り響かなければ、私は描きませんし描けません。意味がないからです。私は、創造することの意義は、人々に愛や希望の光、ぬくもり、つまりはハリストスの教えに貫かれたすべてのものをもたらすことにあると思います。

近くゲオルギイ神父は、美術家同盟の会員に迎えられる予定だ。彼の作品は、これまで何度も、故郷ウラジーミルばかりでなく、モスクワやサンクトペテルブルグなどロシアの他の町でも紹介されてきた。神父の絵に魅かれる人達は、何もロシアだけではない。米国やフランス、ドイツ、オーストリアなどにもファンがいる。ゲオルギイ神父は、自分のフェイスブックのページでも、その作品を公開している。もし興味のある方がいらっしゃれば、是非ご覧ください! 神父の深い魅力を、より理解できるでしょう。 ロシアのクリスマスにあたり、皆さんの御健康と御多幸を、モスクワから一同お祈り致します。

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