トランプ米大統領も弔意を示し、チュルキン氏を「熟練の外交官」「多くの重要な課題について米国と取り組む上で決定的な役割を果たした」と声明を出した。米国のスーザン・ライス元国連大使は「チュルキン氏は危険な敵だった。だが常に友でありつづけた」と話した。シリア問題などでロシアはたびたび欧米諸国と対立したが、チュルキン氏は一歩も引かず、ロシアの国益を守る主張を展開し、ひときわ存在感を放っていた。
国連日本政府常駐代表・別所浩郎氏も、弔意のメッセージを寄せてくださった。以下、全文をご紹介する。
さて、ここから少々内輪の話になるが、当サイト「スプートニク日本」の前編集長であるアンドレイ・イワノフ氏も、昨年6月に58歳の若さで急逝した。イワノフ氏は、スプートニク日本の編集長を務める傍ら、モスクワ国際関係大学で研究員として働いていた。ここはチュルキン氏の母校で、外交官養成所とも言われている。国際政治、日本研究の専門家だったイワノフ氏の早すぎる死に対し、ロシアの日本研究者の間で衝撃と悲しみが広がり、たくさんのお悔やみが寄せられた。筆者はイワノフ氏と金曜日に仕事の打ち合わせをしていたのだが、もうその週末には亡くなってしまった。趣味の庭仕事をしていて突然倒れ、そのまま帰らぬ人となったのだ。「直前まで元気いっぱいだったのに、一瞬でこの世を去ってしまった」という点も、チュルキン氏と同じなので、筆者は既視感を感じた。チュルキン氏の場合はロシア政府国連代表部の執務室で倒れ、病院に搬送されたものの、その後まもなく死亡が確認されたということだ。心臓に問題があったという話も報道では出ているが、まだ死因ははっきりしていない。
もちろん人によって健康状態や心理状態、生活環境が違うので一概に言えないが、ロシア人男性が突然死するのは珍しいことではなく、若くして亡くなる人も多い。ロシア人男性の平均寿命は昨年のデータで65.6歳だ。(これでも改善に向かっている。)そのような場合、亡くなる前触れが全くなかっただけに、残された者の悲しみは計り知れず、現実を受け入れるのに長い時間が必要になる。