『ロシア革命一〇〇年の教訓』(19)

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今回は「第4章 ロシア革命の延長線上にあるもの」の第二節をご紹介しよう。

第4章 ロシア革命の延長線上にあるもの


2 ベーシック・インカムの思想

近年、「ベーシック・インカム」(基本所得)と呼ばれる考え方が広がりをみせている。これもまた、経済的な格差の広がりの拡大と関係している。このベーシック・インカムの構想は一八世紀末に出現したと言われている。このころから一九世紀前半に賃金で支払いを受ける、つまり労働力を商品とする形態が広がりをみせるのであり、これに対応するなかでさまざまのベーシック・インカム構想が唱えられるようになるのだ。それは、労働や産業などの経済問題に焦点をあてたユートピア構想の出現に似たところがある。そこでここでは、山森亮著『ベーシック・インカム入門』を参考に、このベーシック・インカムの思想について考察したい(山森, 2009)。

ペインやスペンスの提案

たとえば、フランス革命やアメリカ独立戦争にも参加したイングランドの思想家、トマス・ペインは一七九六年に書いた『土地配分の正義』というパンフレットで、人間は二一歳になれば一五ポンドを、成人として生きてゆく元手として国から給付されるべきであると提唱した。このカネを元手に事業などに使えというわけだ(一括払いの給付をベーシック・キャピタルと呼ぶこともあるが、これも広義のベーシック・インカムに含めることができる)。さらに、五〇歳になると、年金が年一〇ポンド支給されるべきであるとする。これは、人間は生まれ落ちた以上、だれでも土地にアクセスする権利をもつとする自然権思想の影響のもとで浮上したと考えられる(山森, 2009, p. 152)。

一七九七年刊行のトマス・スペンス著『幼児の権利』のなかでは、土地は教区と呼ばれるイングランドの地域共同体の単位ごとに共有とされ、土地を居住・農耕などのために占有する場合には、地代を教区に支払う。この地代が唯一の税金で、この税収から公務員給与などの共同体経費を差し引き、残金は、「男だろうと女だろうと、結婚していようが独身だろうが、嫡出でも非嫡出子でも、生後一日でもひどく年老いていても」、年四回、成員間に平等に分配されなければならないと主張されている(同, p. 154)。定期的支払いというかたちのベーシック・インカムということになる。土地の「囲い込み」が広がり、開放耕地や共同牧草地へのアクセスを失った多くの人々が貧民化、彼らによる暴動や蜂起が社会問題化するなかで、スペンスの主張は支持を集めることになる。

一九世紀になると、ベルギーのジョゼフ・シャルリエが『自然法に基づき理性の説明によって先導される、社会問題の解決または人道主義的政体』(一八四八年)において、ベーシック・インカムを唱える(同, p. 164)。彼は、人類の共通財産である土地が私有化されていることを問題視し、その解決策として、地代を社会化しそれを財源として「保証された最低限」をすべての人に給付するよう求める。

労働観をめぐる対立

ベーシック・インカムは貧民対策として現金が各人に給付される。しかし、現金給付による貧民対策が受け入れられるには時間を要した。なぜなら国家が行なう貧民対策はあくまで救済に値する人々だけを対象とし、救済に値しない人は労働規律を徹底的に植えつけるためにワークハウスと呼ばれる収容施設に隔離されるようになるからだ。この際、救済に値すると考えられたのは、高齢者や障害者であり、労働可能な貧民(ワーキングプア)はその怠惰を批判された。「働かざる者、食うべからず」という労働観が色濃く影響しているのだ。

しかも、「劣等処遇の原則」といって、救済に値する貧民も値しない貧民も、福祉受給者は一般市民よりも劣等に処遇されるべきだとされた(同, p. 27)。ある人が貧しいのは社会の側に問題があるのではなく、本人に問題があるからだと決めつけられていたことになる。一八三四年の救貧法(ヘンリー8世の治世から貧民対策の法制化がスタートし、一五七二年の改革により、それまで行われていた健常者貧民への鞭打ちを廃止し、教区と都市に救貧監督官を設置、一五九七年の救貧法[Act for the Relief of the Poor]制定につながった。一六〇一年には、救貧行政を国家の所管とする改正が行われ、「エリザベス救貧法」と呼ばれた)の改正で、救済を受けるためには、懲罰的なワークハウスへの収容が義務づけられ、生活の場での救済は否定されてしまう。

このように、貧者に適用された実際の政策はできるだけ多くの人々を労働に駆り立てることで安い労働力を確保したい資本家層に有利なものであった。そこで支配的な労働観は、「飢餓への恐怖」があれば人を労働に駆り立てることができるというものであった。あるいはまた、「飢餓への恐怖」があってこそ危険な仕事や汚い仕事をする人を確保できるとみなした。これに対して、前述のシャルリエは、危険や汚れることを補償するだけの高い賃金が支払われればこうした仕事をする者はいるはずだと主張した。

いずれにしても、ベーシック・インカムは社会主義や共産主義の思想とは無関係なところから出現し、ジョン・スチュアート・ミルなどに影響をあたえるのである。ミルは『経済学原理』(第二版)でつぎのように指摘している(同, pp. 166-167)。

「生産物の分配の際には、まず第一に、労働のできる人にもできない人にも、ともに一定の最低限の生活資料だけはこれを割り当てる。……この主義は、共産主義とは違って、少なくとも理論上においては、現在の社会状態にそなわっている努力への動機をば、ただひとつも取り去るものではない」

国民配当、社会配当、負の所得税

もちろん、社会主義や共産主義の思想が広がるようになると、ベーシック・インカムの思想も影響を受ける。産業化の進展が労働や生活の人間らしさを奪っていくとして、産業化の負の側面を克服するためには中世の職人組合であるギルドの生産のあり方を称賛する「ギルド社会主義」という思潮が現われるのだ。これは、産業化自体を肯定的に考えた、フランスのサンシモン主義者、英国のフェビアン協会、電化の重要性を唱えたレーニンなどとはまったく異なる立場だった。

ギルド社会主義はA・J・ペンティを嚆矢とし、雑誌『新時代』の編集主幹A・R・オレイジなどによって主張された(山森, 2009, p. 169)。彼らは一九一五年に「全国ギルド連盟」を創設し、ギルドによる産業の自治、賃金奴隷制の廃止などが提唱された。こうした運動のなかから「社会クレジット」と呼ばれる思想が出てくる。C・H・ダグラスは「国民配当」と呼ばれるベーシック・インカムを『新時代』で展開する。このダグラスの主張はケインズを刺激し、ケンブリッジ大学でケインズグループ(「サーカス」)に属していた弟子、ジェイムズ・ミードはその著書のなかで、「社会配当」という一種の所得補助をすべての市民に供与するように提唱している(Mead, 1975, p. 88)。その代わり、失業給付、疾病給付、老齢年金、家族手当は廃止されるほか、個人所得税の経費控除も撤廃される。

こうして保険型の拠出金ではなく税による社会保障を求めるベーシック・インカムの構想が広く認知されるようになる。英国のジュリエット・ウィリアムズは『新しい社会契約』のなかで、国家と個人の契約というかたちに基づいて、この契約を結んだ者は男女を問わず、たとえば週二〇シリングの現金給付を受け取り、子ども一人あたり一〇シリングが給付されるべきであると提言する。

米国では、一九三八年制定の公正労働基準法によって連邦最低賃金が導入されたのを契機に、経済学者の間で最低賃金の是非や低所得者への所得保障が議論されるようになる。そのなかで、ミルトン・フリードマンは「負の所得税」を提言するようになる。個人所得税に認められた税額控除を利用して、所得税額から最低生活費相当分を控除し、もし所得税額が最低生活費を下回る場合には差額を給付するというのが負の所得税である。こうすることで、既存の社会保障制度に巣くう官僚を不要とすることができる。

近年、注目されるベーシック・インカム

グローバリゼーションと呼ばれる、情報技術に支えられたビジネスの地球規模の広がりのなかで、所得格差がより深刻化しており、それが近年、ベーシック・インカム思想を後押しするようになっている。たとえば、アンソニー・アトキンソンはその著書『21世紀の不平等』のなかで、ベーシック・インカムに賛意を示している。「市民所得」と名づけられたそれは、社会保障料負担や個人所得税控除の廃止を前提に、市民所得が個人ごとに支払われる(年齢や障害/健康状態によって差をつけることもありうる)。「市民権」に基づくのではなく「参加」に基づく手当として給付される(Atkinson, 2015=2015, pp. 252-254)。この「参加」は社会貢献を意味し、勤労年齢者は、フルタイムまたはパートタイムの賃金雇用に就くか、自営業を営むこと、教育、研修、活発な職探し、乳幼児の自宅ケアや高齢者の介護、認められた協会での定期的なボランティア活動などに参加することが給付の条件となる。ベーシック・インカムが政治的に導入可能となるためのより現実的な提案と言えよう。

二〇一六年六月五日、スイスで全国民向けのベーシック・インカムを導入するための憲法改正を求める国民投票が実施された。勤労の有無にかかわらず無条件に毎月二五〇〇スイスフラン(約二五五五ドル)を、子どもには六二五スイスフランを給付するというベーシック・インカムが提案された。結果は、投票者の七六・九%が反対、二三・一%が賛成だった。否決されたとはいえ、ベーシック・インカムの考え方が国民投票を通じて多くの人々の関心につながったことは間違いない。フィンランドでは、二〇一六年三月、二〇一七~一八年の二年間、約一万人を対象にベーシック・インカムの実験を実施すべく二〇〇〇万ユーロを予算計上した。毎月五五〇ユーロを給付することが計画された。オランダやフランスでもベーシック・インカム導入への関心が高まっている。

問われる労働観

ここで問題になるが、過去からの伝統となっている労働観である。「働かざる者、食うべからず」という金言こそ、ベーシック・インカムへの抵抗となっている。だからこそ、アトキンソンは「参加型」という提案によって、この抵抗感を和らげ、ベーシック・インカムの一種である「市民所得」を現実に導入しやすいものに代えたわけである。

考えてみると、第二次世界大戦後になって世界中に広がった福祉国家の仕組みは「働かざる者、食うべからず」という金言に沿って設計されてきた(山森, 2009, p. 59)。働いている者は、賃金のなかから年金、健康保険、雇用保険などの社会保険の掛け金を支払い、高齢、病気、失業などの場合に保障を受ける。働いていない者については、働けるのに働いていない怠け者や、働けるのに働けないふりをする者から本当に働けない人を選別し、そうした者だけに生活保護などの所得保障をしてきたのである。しかし、働きたいけれども働けない者を働いていない者から選別するのは難しい。だからこそ、「働きたいけれども働けない者は食べてもよい」とするところにベーシック・インカムの構想が出現したのである。そして、この思想は、ユートピアに対する見方そのものの見直しを迫っている。

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