中川龍太郎監督インタビュー:モスクワ国際映画祭で唯一の日本映画

© 写真 : モスクワ国際映画祭中川龍太郎監督
中川龍太郎監督 - Sputnik 日本
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6月29日に閉幕した第39回モスクワ国際映画祭。日本からは唯一、主要コンペティション部門に「四月の永い夢」(英題:SUMMER BLOOMS)が選出され、国際批評家連盟賞とロシア映画批評家審査員賞スペシャルメンションの二冠を獲得した。スプートニクは映画祭会期中の6月23日、モスクワ滞在中の中川龍太郎監督と、中川監督が所属するTokyo New Cinemaの木ノ内輝CEOにインタビューを行った。

「四月の永い夢」 - Sputnik 日本
モスクワ国際映画祭受賞作品「四月の永い夢」ロシア人の心に明るい癒しを与える
スプートニク日本

— Tokyo New Cinemaは日本で最も新しい映画制作・配給会社です。

木ノ内氏:最初は人脈も経験も資金もありませんでしたが、だからこそしがらみがなく、新しいことに挑戦できたのだと思います。日本には新しい素晴らしい才能があるのに、それが発展できる場所が少ない、と感じていました。映画は、「これがないと死んでしまう」というものではありませんが、誰かが作らないと退化してしまいますし、現代社会を生きる上で必要不可欠なものだと思います。誰かがこれを積極的にやるべきなのです。まだ若い会社なので、足りない点はありますが、現場で皆に気持ちよく仕事をしてもらい、長く、良いものを作る環境を作って、それを大事にしていきたいです。

— 木ノ内さんは米国で再生医療の研究者として活躍していました。なぜキャリアを捨ててまで、映画会社を設立したのですか。

木ノ内氏:キャリアを捨てたとは全く思っていません。研究や科学も、そして映画も、どちらも芸術であり、延長線上にあるものです。ですから研究を終えて映画の仕事を始めたのは自分の中では整合性のあることですし、総合芸術である映画の仕事ができて幸せだと思っています。どんな仕事においても事例の研究や事業発展などのリサーチが重要ですから、研究に従事していたことはとても役に立っています。

© 写真 : モスクワ国際映画祭モスクワ国際映画祭で記者会見に臨む木ノ内輝CEO(右)
モスクワ国際映画祭で記者会見に臨む木ノ内輝CEO(右) - Sputnik 日本
モスクワ国際映画祭で記者会見に臨む木ノ内輝CEO(右)

— 中川監督は27歳という若さですが、手がけた作品はこれまで数々の国内外の映画祭で上映されてきました。監督にとって映画祭の意義とは何ですか。

中川監督:やはり映画祭が、出会いの場だということです。今までずっと一人で脚本を書いてきましたが、今回の「四月の永い夢」は共同執筆で、共同執筆者の方とは東京国際映画祭で知り合いました。同じ映画業界でもプロデューサーと違って、監督同士が普段の生活で出会うことはほとんどないんですよ。そもそも日々の生活の中で映画監督として扱われることがまずないので、映画祭に出ると励みになりますし、映画を作る意味を感じることができます。また、海外の映画祭に出ると、日本とは全く違う批評を聞けるのが面白いです。

—「四月の永い夢」はこの映画祭が初公開ですが、観客の反応は気になりますか。

中川監督:一般の方の反応は気になりますね。映画を作り終わった段階では、まだ自分がどういうものを作ったかよくわかっていないのです。お客さんの意見を聞いて、どういうものを作ったのか、後から学びます。日本だけではなく、できるだけ世界中のたくさんの国で観ていただきたいですね。映画は言語を超えられないといけませんから。

— ロシアという国についてどう思いますか。また、ロシア映画で好きなものはありますか。

中川監督:日本の文化人たちはロシアから大きな影響を受けてきましたし、親ロシア派の芸術家も多いです。特に日本人とロシア人は、世界の把握の仕方、自然への理解の仕方が似ているのではないでしょうか。黒澤明監督の「デルス・ウザーラ」(日ソ共同制作、1975年)は大好きです。ロシア(ソ連)映画で一番好きなのは、ボリス・バルネット監督のコメディ「帽子箱を持った少女」(1927年)です。東京で観たときにものすごく衝撃を受けました。当時は自由に映画制作ができる時代ではなくて、バルネットは国の注文で色々なジャンルの作品を作りました。「帽子箱を持った少女」は宝くじ付き国債を売る目的で作られたものだったのです。でも、彼の作品はどれも本当に素晴らしいし、全ての作品を観れば一貫して根底に流れるものがあります。それを観て、映画は自己表現のツールではなくて、仮に自己表現が規制されている中にあっても、自己がにじみ出てくるものなのだと感じました。

— いわゆる、商業映画についてどう思いますか。

中川監督:僕自身も商業映画を観て育ってきました。「商業映画」と「アート映画」を、別のものとして捉えるのは不健全です。エンターテイメントを作ろうとして、それが後で芸術作品として評価される、というのが自然な流れだと思います。黒澤監督や宮崎駿監督も、最初から芸術作品を作ろうとしたのではなく、あくまでエンターテイメントを作り、それが後から芸術とみなされたわけです。中にはマーケティングの要素しかない映画もありますが、それはむしろ商業映画でさえなく、「商品」です。映画には「商業映画」と「アート映画」があるのではなくて、「映画」と「商品」がある、というのが僕の考えです。

— 映画の配役は監督自身が決めているのですか。

中川監督:そうです。選ぶ側と選ばれる側、という上下関係を作りたくないので、オーディションはしません。演技の上手い下手よりも、その役者がどんな人なのかという、根本的な人間性を重視しています。人は、自分の中にないものを演じることはできませんし、たとえ演じたとしても、その嘘は観る人にバレてしまいます。

— 2012年公開の「Calling」以降、毎年新作を発表していますね。かなり制作がハイペースです。

中川監督:才能がある人なら、5年や10年に1本撮ればいいかもしれませんが、自分に才能があるとは思っていないので…。質はもちろん大事ですが、量も大事です。質を担保するのは量です。普通はこんなにたくさん撮れないので、プロデューサーや周りの方に本当に恵まれていると思っています。今の時代は3年で人の価値観がすっかり変わってしまうので、「これがリアルタイムだ」と思っていたテーマが3年後にはもう古い。だから3年に1本だと、他のメディアに負けてしまいます。今、今の時代のものを作っていてはダメで、常に次の時代のものを作らないといけないのです。

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