ウルグアイに大金をもたらすかもしれないナチスの宝物 【写真・動画】

© 写真 : Alfredo Etchegarayウルグアイに大金をもたらすかもしれないナチスの宝物
ウルグアイに大金をもたらすかもしれないナチスの宝物 - Sputnik 日本
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ウルグアイの議員が、1939年にラプラタ川の河口で沈没したナチスの巡洋艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」のブロンズの鷲を売却して、そのお金をウルグアイの防衛産業振興に振り向けることを提案した。スプートニクは、沈没船探査のリーダーの一人であり、鷲の売却益の半分に権利を持つアルフレド・エチェガライ(Alfredo Etchegaray)氏に話を聞くことができた。

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エチェガライ氏が鷲に関心を持つようになったのは、ラプラタ川水域の沈没船に興味を抱いた1980年代のことである。エチェガライ氏は10年のうちに、この水域と河口で250にのぼる各種沈没船の残骸を発見した。

エチェガライ氏は次のように語る。「ドイツはヴェルサイユ条約の制限により、超重戦艦を建造することができませんでした。排水量1万トンの「グラーフ・シュペー」はいわゆる「ポケット戦艦」でした。この船艦は高い戦闘即応性を持ち、世界初のディーゼルエンジン搭載舶のひとつであったことから、大きな速力を備えていました。」

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エチェガライ氏は「アドミラル・グラーフ・シュペー」の探査のためにひとつのチームを雇用した。ブロンズの鷲は2006年に発見され、陸に引き揚げられた。重量は350キログラム、高さ2メートル、幅2.8メートルである。引き揚げられた鷲は1ヶ月間、ウルグアイで一般公開された。その後、鷲の権利を巡って係争が発生し、鷲は木製の箱に閉じ込められ、ウルグアイ軍の警備が付けられている。

エチェガライ氏は次のように説明する。「歴史は一般公開しなければなりません。なぜなら、それが過去の過ちを修正する方法だからです。現在、鷲は箱の中に入れられ、軍人がそれを監視しています。鷲は一般公開もされておらず、販売もされていません。私たちは、数年にわたる労働と投資に対する正当な代償を望んでいるだけなのです。」

歴史というものは、旨いビジネスである。あるデータによると、ブロンズの鷲には800万~5500万ドルの値段が付くという。さらにエチェガライ氏は「2つの博物館が関心を示すか、あるいは富豪のコレクターが興味を示せば、それだけで価格は一気に跳ね上がる」と確信する。
ナチスの鷲の売却を巡って係争が発生した理由のひとつが、売却によって国が得ることになる売却益の問題である。というのも、売却額の50%は国のものになる。残りの50%が引き揚げた人たちのものになる。

鷲の売却を提案したのは、野党国民党のホルヘ・ガンディーニ(Jorge Gandini)議員である。本人がEFE通信のインタビューで語ったところでは、ウルグアイのホルヘ・メンデス(Jorge Méndez)国防大臣が防衛産業への予算拠出を増やす必要性について発言したことを受け、この提案をしたのだという。ガンディーニ氏は「そのため、私は「グラーフ・シュペー」の鷲を売却するアイデアを発表した」と説明している。

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エチェガライ氏は言う。「皆が納得する解決策を見つけなければなりません。もしどこかの国が、例えばドイツが、鷲は売却も展示もしてはならないと主張するのであれば、その国がウルグアイの観光誘致プロジェクトに資金を出すべきですし、それはウルグアイにとっても大変ありがたいことでしょう。可能性はたくさんあります。私たちはただ、長年にわたる出費を弁償してほしいだけなのです。」

彼は、鷲を取り戻そうするネオナチ集団がいるらしいという噂には見向きもせず、次のように語った。「私たちにコンタクトを取ってきたのは、エージェント経由で活動する博物館だけです。この彫像は、展示会の実施や歴史研究のためなど、文化的観点から関心を呼んでいます。」

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「アドミラル・グラーフ・シュペー」は、ナチスドイツの巡洋艦として最も完成されたもののひとつであった。第二次世界大戦が始まってすぐの頃、この戦艦は南米唯一の軍事衝突にして、英国海軍がドイツ海軍と対決した最初の会戦で主役を演じた。1939年12月、ラプラタ沖海戦で「アドミラル・グラーフ・シュペー」は英国の巡洋艦「エクゼター」「エイジャックス」「アキリーズ」に敗北し、その結果、「グラーフ・シュペー」のガンス・ラングスドルフ艦長はモンテビデオ港で自沈命令を出したのである。

艦長自身は、その3日後、英国に「グラーフ・シュペー」の秘密を漏らさないためであるかのように、ブエノスアイレスでピストル自殺した。

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