写真がどのように再会を助けたか 日本とロシアの写真の100年の歴史

© 写真 : 立木さとみ立木さとみ
立木さとみ - Sputnik 日本
サイン
1905年6月、ある日本の写真スタジオで、日露戦争中の32人のロシア人捕虜の写真が撮影された。それから114年後、この写真スタジオの主人の曾孫である金沢市の草野輝久さんが、それらの写真に興味を持った。5月16日、草野さんは在新潟ロシア総領事館を再び訪問し、写真に写されたロシア人船員の子孫を探す手伝いを要請した・・・

スプートニク日本

日露戦争後、6000人以上のロシア人捕虜が金沢郊外の収容所に収容された。なかにはそこで亡くなった人もおり、そうした人たちは地元の戦没者墓地に埋葬された。それぞれの墓の上には墓石が立ち、ロシア語と日本語で氏名、階級、死亡日が記されていた。1909年、捕虜の遺骨は長崎の稲佐悟真寺国際墓地の共同墓地に移された。金沢では1965年、残されたロシア人捕虜の墓石を集めた慰霊碑が作られ、「平和の木」が植えられた。

© 写真 : ロシア総領事館日露戦争中の32人のロシア人捕虜の写真
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日露戦争中の32人のロシア人捕虜の写真

はたして草野さんはロシア人捕虜の子孫を見つけることができたのだろうか?スプートニクは在新潟ロシア総領事のミハイル・セルゲーエフ氏に話を聞いた。

田中さん - Sputnik 日本
ロシアに残った日本兵「残ったこの片目で日本が見たい!」
「前段は私の金沢への旅から始まります。私は領事館が行っている戦没者慰霊活動について話しました。しばらくして、草野輝久から連絡がありました。彼と会うことになったとき、彼は今も保管されている写真のコピーと、戦争捕虜の氏名が記された新聞記事のコピーを持ってきました。捕虜リストには写真に写っているよりも多くの人が掲載されています。そのため草野さんは私たちに写真の中の人物を特定し、可能であればその子孫を見つけてほしいと依頼したのです。私たちはこの情報をSNSやロシア海軍の歴史に関する情報交換サイトに掲載しました。その結果、32人中16人を特定することができたのです。さらに10人の軍人について暫定的な結論を出すことができました。 嬉しいことに、1905年に対馬沖海戦に参加した装甲巡洋艦「ヴラジーミル・モノマフ」に准尉として乗っていたアレクサンドル・パヴロフさんの子孫から反応がありました。また、艦隊装甲艦「オリョール」で海軍中佐だったコンスタンチン・シヴェデさんの子孫からも、また装甲艦「シソイ・ヴェリキィーに乗っていたドミトリー・トレブチュク=ザカリュジヌィさんの子孫からも反応がありました。草野さんは今年10月4日、この軍人たちの子孫が集まるフォーラムを金沢で開催する予定です。」

© 写真 : ロシア総領事館日露戦争中の32人のロシア人捕虜の写真
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日露戦争中の32人のロシア人捕虜の写真

ちなみに、この驚くような出来事はこれひとつではない。3年前にも写真が「子孫との絆をつくる」のに役立ったのである。イワノボ出身の写真家アリョーナ・ジャンダロワさんの家には、曾祖父のパーヴェル・ジャンダロフと日本人が写った写真が保管されていた。祖父は日露戦争で戦い、捕虜になって、約3年を日本で過ごした。アリョーナさんはこの写真をインターネットを通じて日本のネットに拡散した。しばらくして、1900年代初めに香川県善通寺市でこの写真を撮影した写真家の曾孫の女性から連絡があった。彼女は立木さとみさんといい、家族経営の写真サロン「立木写真館」の館長である。

© 写真 : 立木さとみイシグロ少佐とパーヴェル・ジャンダロフ
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イシグロ少佐とパーヴェル・ジャンダロフ

1904年10月1日の「海南新聞」も見つかり、その中でパーヴェル・ジャンダロフさんは次のように言っている。「私は旅順の要塞近く行われた夜間戦闘で負傷した。私の右手に弾丸が打ち込まれた。私は出血していて、自分で包帯をまくことができなかった。負傷した日本人がやさしく包帯をまいてくれた。イシグロ少佐だった。私は日本人の優しさに感動した。彼は、敵と味方の概念を捨て、自分の水筒に水を入れ、私と分けあってくれた。朝になって日が昇り、とても暑くなったとき、私は彼が傷の痛みに苦しんでいるのを目にした。そこで、私は外套と銃で自分達のためにテントを作った。夕方の8時ごろ、日本の兵士たちが私たちを発見した・・・」

© 写真 : 立木さとみ立木さとみさん
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立木さとみさん

アリョーナ・ジャンダロワさんの曾祖父は捕虜収容所に入れられたが、あるとき偶然イシグロ少佐と会い、記念に写真を撮った。2016年、アリョーナ・ジャンダロワさんは曾祖父が収容されていた収容所の場所を訪れた。 彼女は立木さんとも会った。そしてこの二人の女性も記念写真を撮った。 その1年後、立木さんはパーヴェル・ジャンダロフさんが埋葬されているプスコフ州ミハイロフスコエ村を訪れた。何がそうさせたのかというスプートニクからの質問に、立木さんは次のように答えた。「パーヴェルさんの写真が100年以上の時を越えて人をつなぎ、縁を結んだ奇跡をロシアの方にも知ってもらいたい。講演を通じて平和や友好の大切さを訴えることを望んでいます。 」

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