「敵を斬る時は相手の目を見据えろ」 専門家が『ゴースト・オブ・ツシマ』の成功についてコメント

© 写真 : SonyGhost of Tsushima
Ghost of Tsushima - Sputnik 日本
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ソニー・インタラクティブエンタテインメント社はプレイ・ステーションの公式ブログで、ゲームソフト『ゴースト・オブ・ツシマ』の販売がすでに240万件を上回ったことを明らかにした。この売上数はリリース後の3日間(7月17日から19日)で達成され、『ゴースト・オブ・ツシマ』はプレイステーション4対応のソニーのオリジナルゲーム販売としては最速を記録した。

米国企業「サッカーパンチプロダクションズ」が実際の歴史的事件をベースに製作した『ゴースト・オブ・ツシマ』は、その映像でゲームファンに衝撃を与え、日本史に対する関心を一挙に高めることとなった。こうした事態はメーカー自身も率直に驚き、ソニーの代表はゲームの売上は彼らの期待をいい意味で裏切ったと明かした。

前触れなく事件は起こった

ゲームの背景となる事件は、対馬がモンゴル帝国の攻撃を受けた1274年にさかのぼる。1905年の露日戦争での対馬沖海戦は史実として広く知られている。しかし、チンギスハンの孫クビライを指導者とするモンゴル軍が1274年と1281年に日本を侵略しようとしたことに関してはあまり知られていない。その昔、モンゴル帝国の影響は、太平洋から黒海、シベリアから現在のアフガニスタンにまで及んでいた。1271年、クビライは元王朝を築き、その支配のもとに現在のモンゴルや韓国、中国の大部分、ミャンマーやカンボジアに接する一連の地域が置かれていた。そのため、艦隊を含め、戦力が不足するということは、その頃のモンゴルにはなく、自分たちの勢力を近隣の地域に拡大するという野心と願望にあふれていた。対馬は当時、わずかな移住者が暮らす日本の島にすぎなかった。そのため地域住民の抵抗にもかからわず、島はモンゴル人らの手ごろな餌食となった。

しかし、1274年も1281年もモンゴル人たちは勝利を収めることができなかった。九州地方への上陸が試みられた際に、侵略者たちの艦隊の大部分が荒れ狂う台風によって壊滅したからだ。対馬での戦いに関する文書記録は非常に少ないが、しかし、日本へのモンゴル軍の攻撃の事実は歴史に刻まれ、そしてゲームの背景となった。ゲームのあらすじそのものは、侍・境井仁のゴーストと取り巻きの登場人物らの復讐が中心のファンタジー作品。主役の境井仁役の吹替を行い、外見のモデルとなったのは日系米国人俳優のダイスケ・ツジ氏だ。

​先日、ダイスケ・ツジ氏は自身が実際に『ゴースト・オブ・ツシマ』をプレイしながらストリーミングした。なにより観客らが待ち焦がれていたのは、主人公が温泉に入浴する瞬間だった。

銃兵とスコットランドの略奪者に打ち勝った侍

スタジオ「サッカーパンチプロダクションズ」の創設者ブライアン・フレミング氏によれば、 同社の次のプロジェクトをアクションゲームとすることが決まったのは、2014年。しかし、開発者たちは長い間テーマを明確化させることができなかった。あらすじのテーマとして、海賊やスコットランドの長編作品の英雄で義賊のロブ・ロイ、そしてアレクサンドル・デュマ・ペール作の『三銃士』が候補にあげられ、検討が続けられたが、最終的に選ばれたのは侍スピリットをもつ戦士のゲームだった。

ゲームを称賛した日本の評論家たちは、モンゴルが来襲した当時の侍の装備や農民たちの暮らし向きといった史実の正確さなど、その信憑性を強調した。ゲームが日本語に限定されることに懸念が持たれたが、サイト「アキバ総研」の解説では、日本語バージョンは古語が自然に、そして正確に使用されていると指摘されている。

また、サイト「Dengeki Online」の解説では、『ゴースト・オブ・ツシマ』は、歴史ゲームではないが、何の違和感もなく見事に当時の精神を表現し、日本語も不自然ではないことが強調されている。

元寇を参考にした史実に基づいた歴史的なゲームではなく、あくまで中世の日本の雰囲気を、時代劇の面白さ、格好よさを表現したオープンワールド時代劇なのだと確信しました。

最大限、画像を事実に近づけるため、開発者らは考証家らと歴史や服装、武器、武術などについて協議を重ねてきたという。

開発チームは、鹿の鳴き声や鳥のさえずりを録音するため、わざわざ日本を訪れている。ゲームの創作者らに刺激を与えたのは黒澤明監督の作品だったという。『ゴースト・オブ・ツシマ』には、同監督に敬意を表した特別バージョンが設定されてる。これは、古い時代劇映画で使われている白黒画像を利用するというもので、音声も若干ノイズが加えられている。

「自然の鮮やかさが戦争の凄惨さを際立たせる」

ロシアの現代大衆文化のサイト「カノブ」のゲーム部門責任者デニス・クニャゼフ氏は、『ゴースト・オブ・ツシマ』のいくつかの特徴点を以下のように指摘している。

「ゲームには桜や竹林、そして温泉が登場します。ほんとうに美しい夕焼け、そして草原を流れる風の音が感じられます。しかし、開発者たちは常に自然の鮮やかさで戦争の凄惨さを際立たせています。服装や甲冑、武器は、すぐにゲームパッドを放り出して博物館に向かいたくなるくらい、細かいところまで再現されています。ゲーム全体を通じて侍の誉というライトモチーフが太く貫かれているのが印象的です。相手を尊重し、そして、敵を斬る時は相手の目を見据えろ。後ろから切りつけるのは卑怯なことであり、それは自らと一族の名誉を傷つけることになりかねない。しかし、ゲームでは、境井仁は時おり名誉とは相反するこうしたやり方に手を染めざるを得ない。そして彼はこのことで常に葛藤を味わっているのです。もちろん、本当の侍にこうした厳格な行動倫理があったという事実はありません。しかし、ゲーム『ゴースト・オブ・ツシマ』では、仁の心の葛藤や人々を救うため、そしてすべて良心に従って行動しようとするストーリーが非常に良く作られています。ある瞬間、あなた自身、ゲームの主人公になりきっていることに気づくはずです」。

ゲーム『ゴースト・オブ・ツシマ』は、生産の終了が近づくプレイステーション4のコンソール専用に企画されている。サッカーパンチプロダクションズは、新世代のプレイステーション5のコンソールでこのプロジェクトをリリースことは計画していない。しかし、ゲームの人気を考えれば、1281年の対馬へのモンゴルの2度目の襲来が『ゴースト・オブ・ツシマ2』の開発に結び付く可能性もありうる。なにしろ2つの攻撃はわずか7年しか間があいておらず、そしてまさに失敗に終わった日本へのこれらの侵略の試みが、東アジアでのモンゴル人らの無敵神話を粉々に打ち砕くことになったからだ。

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