日本の彼岸、ケルトの「メイボン」、スラブ人の「アフセン」 さまざまな文化で祝われてきた秋分

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秋分 - Sputnik 日本
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秋分は、春分、冬至、夏至と並ぶ太陽の移動に関する4つの祝祭日の1つで、古代より人々が祝ってきた日の一つ。国によって秋分の風習や過ごし方は異なるが、人々はこの日に共通の思いを抱いている。秋分を意味する古代ケルト人の「メイボン」、スラブ人の「アフセン」は全ての生き物の命の源である太陽への崇拝、農産物が収穫できたことを感謝する日として認識されている。

日本では、秋分の日が1878年から国民の休日として定められており、彼岸の中日には墓参りに行ったり、仏壇におはぎを備えて祖先を供養する。


それぞれの文化における秋分

古代、世界の様々な民族は秋分の日を重要視してきた。エジプトでは、昼と夜の長さが等しくするてんびん座が秋分のシンボルとされてきた。また、エジプト神話では、秋分の日には天と地の間に見えない門が開くと信じられていたので、この日に天に祈りをささげ、願い事をして、今後の計画を立てていた。

ゾロアスター教では、秋分の日を「セデ」と呼んでいた。ゾロアスター教ではこの日、翌年の暖かい時期が来るまで太陽に別れを告げるという習慣があった。そして冬の到来とともに地球は暗黒の世界に移動し、草木が枯れる現象は、悪の力の勝利したものとして認識されていた。

秋分の日は、メキシコでも盛大に祝われていた。マヤ文明において最高傑作の建築物であるチチェン・イツァ遺跡のククルカンの神殿(ピラミッド)は、春分と秋分に太陽がその頂上の真上を通過するように建てられている。春分と秋分の前後の5日間は、ククルカンの北側の階段にケツァルコアトル神(羽毛のある蛇)の影が浮かび上がるようになっている。毎年、何万人もの観光客がこの光景をみようとチチェン・イツァ遺跡に集まる。

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チチェン・イツァ遺跡

古代のケルト人はメイボン(秋分)にリンゴの実りと収穫を祝っていた。ヨーロッパの多くの国々では、このメイボンの風習が今日まで受け継がれており、現在では9月下旬から10月上旬にかけて収穫祭が開催される。

古代のスラブ人には、この秋分の日を「タウセン/アフセン」と呼んでいた。スラブ人にとってこの日は夏の終わり、畑仕事や収穫の時期が終わることを意味していた。この日を祝うために村々の食卓にご馳走が並び、大規模な祭りが開催された。このようにロシア人の祖先は、秋分の日を冬の間たくさん食べて過ごせるほど収穫できたことを神々に感謝する日として祝っていた。

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スラブ祭り

また古代のスラブ人はこの秋分の中日から1週間前と1週間後、合計2週間祝っていた。ご馳走を食べる際には収穫したばかりのホップをハチミツに浸した蜂蜜酒を飲んでいた。

さらにスラブ人は秋分の時期に、より良い生活を送れるように祖先のことを思い出しながら過ごしていた。


天文学的な意味での秋分とは

科学的な観点からみた秋分の日は、天の赤道と黄道が交わり、太陽が北から南へ通過する日のこと。天文学ではこの日から北半球で秋が始まり、春は南半球で始まるとされている。

秋分の日は毎年移動するものの、この「太陽の移動」は常に9月20~23日の間で起こる。2020年の秋分は9月23日。赤道上に太陽がくるのは、グリニッジ標準時間で01:54(日本時間の10:54)。

天の赤道と黄道が交わる分点は年に2回、3月(春分)と9月(秋分)に起こる。この時、昼の長さと夜の長さは等しくなるが、その後それぞれの長さが変化し始める。3月の春分後に日は長くなり始め、6月22日の夏至にはその長さが最長に達するが、秋分後は日の長さがどんどん短くなっていき、冬至の12月22日は1年で最も日の長さが短い1日となる。

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