詩人の和合亮一さんのインタビュー 福島、創作活動、ロシアとのつながり

© 写真 : 和合 亮一詩人の和合亮一さん
詩人の和合亮一さん - Sputnik 日本, 1920, 31.03.2021
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「放射能が降っています。静かな夜です」–– 福島市在住の国語教師で詩人の和合 亮一さんのこの詩を知る人は多い。3.11のことを綴った『詩の礫(つぶて)』をTwitterに投稿することで、和合さんは当時の悲劇を経験した多くの人々の気持ちを代弁する人となった。詩人である和合さんの創作活動はこの10年間でどのように変化してきたのか?現在の福島をどのように見ているのか?和合さんの詩とロシアをつなぐものとは?スプートニクのインタビューでお伝えする。

創作活動への3.11の影響

節目の今年、和合さんは3冊の本を発行した。『未来タル(イマキタル)』、『ふたたびの春に』と『Transit』である。この3冊はある意味で3.11に関する三部作のような作品だ。300ページからなる1冊目には和合さんの10年分のエッセイの記録が、2冊目には震災が発生した2011年3月11日からの1年間に書かれた詩が集められている。3冊目では、福島の人々の運命の転換点となった震災を九州地方やアメリカなどへの旅を通して見つめている。

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詩人の和合亮一さんのインタビュー 福島、創作活動、ロシアとのつながり - Sputnik 日本, 1920, 31.03.2021
詩人の和合 亮一さん

スプートニク日本:震災はあなた自身と創作活動にどのような影響を与えましたか?

 和合さん:「味わったことのない悲劇を味わいました。そしてドキュメント性とノンフィクションの感覚を味わったと思います。

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実際、僕はシュールレアリズムの方法で詩を書くので、イメージの世界の人間です。現実の世界から発想を得て、イメージに変えていくという書き方を意味します。しかし、震災が起きた時、現実の悲劇がイメージの世界を追い越してしまったという感じがありました。つまり、超現実主義というものをずっと追いかけてきた人間だったんですけれど、震災に遭い、目の前の現実が超現実世界になってしまって、自分の書いていたものを軽々と飛び越えていってしまいました。その時に初めてドキュメントというものの強さを感じました。リアルタイムで起きていることをリアルタイムで発信していくことの強さ、それをそのままにツイッターで書いた詩、つまりはそれが『詩の礫』の始まりだったんです。」

和合さんは10年前の地震の余震を今も創作面で感じていると言えるだろう。和合さんは「ドキュメントで味わって、事実をどんなふうに物語にしていくのかというのは、10年経ったわけですが、これから先の自分の創作の仕事になると思っています」と語っている。

「一緒に詩の礫をしませんか?」 Twitter詩を世界中に広めたい

スプートニク日本:最初となった2011年のツイートは「行き着くところは涙しかありません。私は作品を修羅のように書きたいと思います」という言葉でした。「修羅のように書く」というのはどういうことなのでしょうか?

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和合さん:「子どもの頃に祖父を亡くして、あまりにも悲しくて、ずっとお経を読んでいたことがありました。子どもの頃に般若心経を暗記して、これを毎晩唱えてから床につく子どもだったんです。今でも覚えています(和合さん、般若心経を唱える)。でも、もちろん、難しいので言葉の意味とかは全然わかっていないし、大人になってから知ったことが沢山あるわけです。ただ、宇宙の感覚、人間の命の大きさ、そして大宇宙の中に人間という存在がある、生と死がある、そういうものを、言葉を唱えながらいつも感じていたように思います。」

和合さんは自身のツイートがこれほど注目されるとは予想していなかった。というのも、Twitterのアカウントを作ったのは人々とのコミュニケーションのためでも、自分の考えを伝えるためでもなかったからだ。地震発生後、和合さんのもとには心配する知人から数十通のメールが届いた。それに一つ一つ返事を書くエネルギーがなかったため、和合さんは自分の現状報告の手段としてTwitterを選んだのである。

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現在、和合さんのフォロワーは3万人近くにのぼっており、特にコロナ禍で人々が新たな困難に直面する今、和合さんはTwitterを通じて積極的に読者とのコミュニケーションをはかっている。

和合さん:「いま、コロナの状況でマスクを片時も離さない暮らしをしているし、いつも生と死の不安に怯える暮らしをしているし、戻ってきたら手を洗ったり、様々な予防に努めるという暮らしをしていて、放射能がコロナに変わってしまったという印象があります。今、世界中が前線になっているという状況です。10年前は前線にいる私がみなさんに言葉を投げたのですが、今度は皆さんが前線に立たされている。活動の仕方を変えなくてはいけないと直感いたしました。昨年の2月末ごろから皆さんに『一緒に詩の礫をしませんか、一緒に詩のツイートをしませんか』というふうに呼びかけています。」

全員で同時にTwitterに詩を投稿するイベントは通常、夜10時に始まる。和合さんが最初のツイートをし、他の人々がそれに続いて、自分の書いた詩にハッシュタグ「#礫」を付けて投稿するのだ。和合さんによると、参加者の数は150人に達することもあるという。人々は言葉を投稿するだけでなく、絵や写真を投稿する人もいれば、ピアノの即興演奏をする人、リーディングをする人もいる。

和合さん:「これから先の自分の展望としては、これを世界中に広めたいと思っているんです。例えば、即興で自分が書いたものをその場でロシア語に訳してくださる方が表れて、その場でロシア語に訳したものをまたツイートしてくださるというふうに、他にも英語にしたり、オランダ語にしたり、アジアの言語にしたり…、そんなふうに移行できたらいいなと思っています。世界中の人が一緒に同じ時間にツイートするっていう、そういう仕組みが作れないかなと、本気で考えているところがあります。」

スプートニク日本:あなたのおかげで詩を書くようになったと言う人は多いですか?

和合さん:「かなりそういうお声をいただいています。例えば、日本の代表的な哲学者、若松英輔さんという方がいらっしゃって、詩の礫を読んでくださっていて、詩を書き始めた代表的な一人です。震災後に何冊も素晴らしい詩集を出しています。そういう方がたくさん現れるといいなと思っています。」

和合さんは、詩を書くことは、誰にでも始められると語る。

和合さん:「Twitterには字数制限がありますね。Twitterで字数制限を守りながら言葉を短く削っていくということが詩を書くことの始まりだと思います。ですから、そういう意味では、Twitterをやっている人は皆、詩を書くということを多かれ少なかれやっているということになると思います。」

音楽は最大のインスピレーション

和合さんは音楽を「一番の創作の原動力」だと語る。一番好きなのは青春時代に聞き始めた80年代の音楽、スティングデヴィッド・ボウイマイケル・ジャクソンなど。和合さんはミュージシャンと積極的にコラボして、音楽に合わせて詩を朗読するコンサートに多数出演している。ドラマティックなロックに合わせて朗読することもある。

 和合さん:「本当はミュージシャンになりたいという気持ちが強くあったんですけれど、楽器も上手く弾けないし、楽譜も読めないし、ただ憧れていただけでした。しかしその気持ちが根強くあって、様々な音楽とのコラボレーションに気持ちが動いたのだと思います。ステージを共にしたミュージシャンの方々は、私がミュージシャンの呼吸をものすごく持っていると言って下さるので、嬉しく思っています。言葉で音楽を作っているという感じは自分の中で凄くあって、その感覚が自分の心の中ではリーディングパフォーマンスの原形になっていると思っています。海外でも、ロシアでも、呼んでいただけるんだったら、是非コラボしたいと考えています。」

© 写真 : 和合 亮一詩人の和合亮一さん
詩人の和合亮一さんのインタビュー 福島、創作活動、ロシアとのつながり - Sputnik 日本, 1920, 31.03.2021
詩人の和合亮一さん

和合さんは、日本には自分のように詩の朗読をする詩人がほとんどいないことが残念だとも語った。

和合さん:「日本では詩を書く人間は少なくないと思っていますが、味わう方法というのは皆あまり持っていない気がします。他の国、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、いろんな国に行きましたけれども、そのことについてはどの国よりも遅れているという感じがしました。海外では皆もっと自然に詩のリーディングを楽しんでいたり、もっと場を共有したりしている感じがありました。その遅れを変えたいという気持ちを強く込めてパフォーマンスをしています。国内では私自身の朗読はとても新しい感覚に満ちていると言われることが多いです。」

福島は10年経って忘れ去られたのか?

スプートニク日本:初期のインタビューで「原発の事故後、福島がふたをして、この国から切り離され捨てられていく、という印象をもっています」と話していらっしゃいますね。10年経って、この考えや感覚に変化はありますか?

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和合さん:「その時は震災直後だったので、非常に怒りに身を任せて言った話かもしれません。では10年が経って何かが変わったのかというと、あまり変わっていなくて、蓋をされるという、今もなお無かったことにされてしまうんじゃないかという気持ちはものすごく不安としてあります。

一方では、原子力発電所の中でどんなことが起きたのかとか、その中で、原発で働いている方々が必死で食い止めようとしたこととか、現在も原発で働いている方が廃炉作業を懸命にやっているお話とか、そういうことが直後よりもとても良く分かってきたので、たった一つの視点だけではなくて、様々な視点から見ていくことで、無かったことにならないような方法を探していきたいなと思っています。」

さらに、和合さんは「10年前の余震」と位置づけられる今年2月に発生した地震は津波で亡くなった方々からの「忘れないでほしい」というメッセージだったと感じている。そのため、震災と事故の記憶を、これらを経験していない次世代にどうやって伝えていくのか、しっかり考えていくことが重要だと考えている。

和合さん:「経験していない子どもたちに何を伝えるかによって、これから先の日本のあり方が変わってくるのではないかなと思うんですね。そういう意味では、10年経って、何も変えられないんじゃないかと思う気持ちも持ちましたけれども、一方では、これからの子どもたちにそれを期待する心も強くあって、僕自身は教師をしていますから、教育の力というものをもっと大切にみんなで語り合って研究して積み重ねていくべきだなと思っています。」

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スプートニク日本:教師として若者とかかわることが多いと思います。なかには2011年に震災を経験し、今コロナ禍を経験している人たちもいるでしょう。そうした若者の世界観に震災やコロナ禍はどんな影響を与えていると思いますか?

和合さん:「自分が若者の時、死ぬということはあまり想像できなかった。それは普通で、言わば若さゆえの特権だからです。現在の若い人々は、震災の時にたくさんの方が亡くなるのを見ていて、そして10年後の今、またコロナで亡くなっていく方々を見ていて、生きることの隣にすぐ近くに死があるんだということをすごく肌で感じているような気がします。だからこそ、生きることにもっと頑張っていかなくちゃいけないという思いを持っている方、例えば福島の役に立ちたいとか、地元に残って頑張って働きたいとか、そういうふうに夢を語る若者が増えてきたように思います。」

ドストエフスキーが日本の詩に与えた影響

スプートニク:いろんな国に行っていらっしゃいますが、ロシアについては何かご存知ですか?

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和合さん:「ロシアは文学の盛んな国だというイメージがあります。私が好きな萩原朔太郎という詩人はドストエフスキーにすごく影響を受けていたんです。そういう意味では、私は朔太郎を読んで詩を書き始めたわけですが、その朔太郎はドストエフスキーから詩の種をもらっていたと言えます。だから、朔太郎のルーツはドストエフスキーにあるし、そしてロシアの風土にあるというふうに思っています。

ロシアの風景は飛行機から眺めたことがありまして、とても広大だし、憧れの国です。行ってみたいなと思っています。どんなふうにロシアの方々が暮らしていて、そしてドストエフスキーに代表されるようなロシア文学が生まれて、それを日本人が受け取って日本の文学にしていったのかということを考えてみたいなと思っています。」

スプートニク: ロシアの詩人の作品を読んだことはありますか?

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和合さん: 「すごく熱心に読んでいるというわけではないですけれども、読みたいと思っていますし、読んでいろいろ思いを馳せるということはあります。できることならば、僕と同じ世代の詩人と会ってみたいです。どんな想いで詩を書いているのか。そして、ロシアの詩を日本に広めて、日本の詩がロシアに伝わってということができたらすごく嬉しいことだなと思います。

現在、僕は詩をもうもう30年書いていて、詩集を21冊出しています。もう52歳なんですけれども、いつも新しい何かを探して新しい詩を書いていきたいです。しかし、そのためには日本に閉じこもっているだけではもう限界があるなと思っています。ロシアとの繋がりを何か自分の中で見出すことができたとしたら、自分の創作のエネルギーにもなるし、新しい思索のページが開かれると確信しています。」


スプートニク:最後にひとことお願いします。

和合さん:「20代の時は海の近くで暮らしていました。今は森に囲まれた場所で暮らしています。休日は森を散歩したり、自転車に乗ったりして、森林浴をしています。それが今、自分の一番好きな時間です。

森の中で一人。色んなことを感じたり考えたりしていると、人間というのは一人一人が一本の木なのだとあらためて思います。根っこがあって、幹があって、枝があって、葉があって、花も咲かせる、やがて実がなって、その中には種がある。季節がめぐって、その種を撒いていく…、例えばそういう循環がありますよね。そのためには風と土と水と光と人が必要だと思います。自分の暮らしている場所に誇りを持って、そこにこそ本当に伝えたい何かがあるんだということを分かち合いたいです。きちんと根を生やして、心の樹木を育てていって、実った果実を、その中の種を、他の誰かに大事に手渡していくことができるような、そんな生き方を一緒にしていきませんか…、そうしたメッセージを皆さんに伝えていきたいです。これからの未来へと新しい種をまく人にそれぞれがなりましょう、と。」

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