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ソ連崩壊30年「彼らはある国で眠りに就き、別の国で目覚めた」

© AFP 2021 / Yuri Kadobnovソ連崩壊30年「彼らはある国で眠りに就き、別の国で目覚めた」
ソ連崩壊30年「彼らはある国で眠りに就き、別の国で目覚めた」 - Sputnik 日本, 1920, 26.12.2021
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30年前の1991年12月26日、ソビエト連邦という国が世界地図から姿を消した。ソ連を構成する15の共和国は独立国になった。それと同時に、経済的、文化的つながり、そして親戚の絆さえも断ち切られたのである。ソ連崩壊の日が1991年12月26日、ソ連成立の日が1922年12月30日であることは興味深い。ソ連が崩壊していなければ、2022年はソ連成立100周年のはずだったのだ。

どのようにして起こったのか

「彼らはある国で眠りに就き、別の国で目覚めた」とは、一度はひとつの国に属しながら、一夜にして国境を隔てた別の国の住民になってしまった旧ソ連の国民のことである。1991年3月、ソ連初の国民投票が行われ、投票に参加した1億4800万人のうち、1億1300万人という大多数がソ連の存続に投票した。国民投票の結果、『主権共和国連邦に関する条約』の素案が作成され、8月20日に調印されることになった。しかし、1991年8月19日から21日にかけてのクーデター未遂事件により、この調印は実現しなかった。クーデター事件後、崩壊のプロセスは加速し、ソ連を構成する共和国が次々と独立を宣言した。12月8日、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの首脳が、ソビエト連邦の消滅と独立国家共同体の設立に関する文書に署名した。この文書はベロヴェーシ合意として歴史に名を残している。12月25日、ゴルバチョフ大統領が辞任し、26日、最高会議がソビエト連邦消滅の宣言を可決した。
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ソ連崩壊のきっかけ

ソ連崩壊に先行して経済危機が起こっていた。広大な国の管理はすべてモスクワが行い、製造業も商業も中央集権化されていた。民間企業は禁止されていた。生産物はすべて国家のものであり、給料を支払うための資金も中央から支給された。足りない分の資金は原料輸出で得た外貨で補われていた。しかし、世界的な原油価格の下落が計画経済の崩壊を加速させた。国家が生産手段も生産物も独占していたことで、競争というものがなかった。労働者のモチベーションは低く、大量生産される製品は低品質だった。そこに経済の自由化が起こり、多くの企業が立ちゆかなくなった。1990年代前半に国を揺るがした2つのデフォルトにより、数百万人が貯蓄を失い、急激なインフレと給料の支払い遅延が常態化し、失業率は急上昇し、ありとあらゆるものが足りない完全な物不足になった。

ソ連崩壊後の生活のメリットとデメリット

ソ連崩壊は、ソ連の人々を世界から隔絶していた「鉄のカーテン」を崩壊させた。旧ソ連の国民だった人々は、この30年で自由に世界中を移動できるようになり、移住も留学もできるようになり、どこで開催される国際イベントでも自由に参加できるようになった。どんなにソ連の復活を熱望する人であっても、この自由を手放そうとはしない。
もうひとつのメリットは、起業の自由である。わずか数年の間に、ありとあらゆるサービス業、民間企業、カフェ、レストラン、ショップが国内に大量に出現し、これが失業や物不足の問題を解決した。次第に店には商品が並ぶようになり、海外ブランドはロシアにオフィス、ショップ、生産拠点を構えるようになった。
一方、経済自由化で最も大きな矛盾を生んだのが国有資産の民営化である。 旧国営企業の効率化と競争力強化を目指したこの改革は、保有資産の不平等と超富裕層の出現を招いた。
紛れもない恩恵は、言論の自由と情報へのアクセスである。ペレストロイカ時代のグラスノスチとインターネットの普及で、事実上あらゆる情報へのアクセスが開かれた。 ソ連では、芸術家は市民の心情に大きな影響を及ぼす存在であったため、芸術家は厳格な管理にさらされるのが常だった。本や映画、音楽作品までもが厳しく管理された。政権になびかない芸術家は迫害されたり、国外追放されたりした。反ソ連プロパガンダは法律により罰せられた。ソ連邦崩壊後、クリエイティブな知識人は表現の自由を得たのである。
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ソ連時代ノスタルジー

ソ連崩壊後30年経っても、65%のロシア人がソ連崩壊を悔やんでおり、そうでない人は26%にとどまっている。全ロシア世論調査センターが今年春に実施した世論調査の結果がそれを示している。歴史学者のアレクサンドル・ミャスニコフ氏は「人は過去をロマンチックに見る傾向がある。同じように、日本では侍の時代がロマンチックに語られる。遠い昔のあの時代には、人間の命はそれほど大切にされていなかったのに」と話す。
ミャスニコフ氏は次のように語った。

「ソ連で人生の大半を過ごした年配の世代は、今の現実に適応するのに苦労しており、デジタル化や、現代生活の激動と急激な変化に怯えています。 彼らは、すべてが分かりやすかった時代、人生が幼稚園から定年退職まですべて決められていた時代を懐かしんでいます。彼らは、超大国で全世界から恐れられ、尊敬されていた(と彼らが思っている)ソ連を誇りにしているのです。彼らは、ソ連では正義こそが人生の方程式だった、国家が国民の面倒を見てくれたと信じています。当時は、国民が社会経済的にかなり均質だった時代です。現代の所得格差や消費格差とは対照的なこの均質性が、年配の人にとっては懐かしいのでしょう。一方で、ソ連の生活のあらゆる不快な面、すなわち共産党の権力独占、低賃金、物不足、行列などは、若き日の思い出によって色褪せています。彼らは、ソ連の価値観の中で生き続けているのです。ソ連で暮らしたことのない若者たちは、祖母や祖父の話からソ連の生活を想像しています。しかし、ソ連時代の過去にロマンを抱いたとしても、彼らがソ連体制の復活を望むことにつながりません・・・」

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