日本政府は、ゾルゲの遺骨の改葬を認めるか?

© Sputnik / Eleonora Shumilovaリヒャルト・ゾルゲの墓
リヒャルト・ゾルゲの墓 - Sputnik 日本, 1920, 06.02.2022
伝説的なスパイ、リヒャルト・ゾルゲの遺骨について、現在の多摩霊園からロシアに改葬することを日本政府に提起する意向だとするセルゲイ・ラブロフ外相の声明は、日本政府だけでなく、ロシアの歴史問題専門家らをも困惑させている。問題は基本的には解決可能なものである。こうした例は過去、ロシアと日本の間にもあった。提案そのものはまったく驚くようなものではないが、今回の問題は、その改葬場所として検討されているのが、ロシアと日本の間で係争となっている南クリル諸島であるということである。
ラブロフ外相は、ロシア軍事歴史協会による提案を1月26日、ロシア下院本会議で明らかにした。しかし、これを受け、翌日、日本の松野博一官房長官は、日本政府はロシア側からいかなる提案も受けていないと述べた
ゾルゲが最後の安寧の地を見つけることができたのは、ひとえに日本人の恋人であった石井花子の奮闘のおかげである。1949年に花子は雑司ヶ谷にある共同墓地で、ゾルゲらしい遺体を探し当てた。そして第一次世界大戦時に負傷した足の傷跡、処刑されたときにかけていたメガネ、ベルトのバックルから、それがゾルゲの遺骸であることが確認された。1年ほど、花子はその遺体を自宅近くに置いていたが、1950年11月に、自身が著書「人間ゾルゲ」の原稿料で、府中市と小金井市の間にある多摩霊園に墓を買い、遺体を納めた。1956年には、日本語で、「戦争に反対し、世界平和のために命を捧げた勇士ここに眠る」と刻まれた石碑が建てられた。1964年、ゾルゲは「ソ連邦英雄」の称号を授与され、1966年にはソ連大使館の支援の下、墓御影の暮石が設置された。花子は2000年に亡くなるまで、墓守をしていたが、現在はゾルゲとともに同じ墓に眠っている。
「スプートニク」の取材に対し、日本問題の専門家で歴史研究家で、ロシア軍事歴史協会の学術会議の議長を務めるアナトリー・コーシキン氏は、露日関係においてこれは重要事項であり、改葬については、真剣に検討する価値があると述べている。
「ゾルゲの遺骸を改葬するというアイデアがもともと誰のものであるのかは分かりませんが、わたしは支持します。もっとも、日本の霊園からゾルゲの墓を取り出して、そのまますっかりロシアに移してしまうという提案には賛成ではありません。検討するのであれば、遺骸の一部を埋葬し直すということでしょう。日本でも分骨という方法は存在しています。1990年には、石川県能美郡にある根上村(イルクーツク州シェレホフ市と姉妹都市提携)の元村長で、森喜朗前首相の父親である森茂喜氏も、本人の遺言に従って、遺骨の一部がシェレホフに埋葬されました。2010年には、妻である秋子さんの遺骨の一部もシェレホフに運ばれ、埋葬されています。これは秋子さん自身の最後の望みだったということです。一方、ゾルゲはというと、彼は日本に長年住み、仕事をし、墓は共に葬られている日本の内縁の妻のお金で建てられました。暮石にはゾルゲチームの同志たちの名前も彫られていますし、墓を撤去してしまうというのは誤りだと思います」。
2018年に石井花子の姪が逝去したのち、墓を守る人がいなくなるところだったが、姪の遺族らの意向により、墓の権利は在日ロシア大使館に譲渡されることになった。これは2020年10月に執り行われたゾルゲの生誕125年を記念した式典で、セルゲイ・シャシコフ駐在武官が明らかにしていた。
しかし、この権利には、遺体を日本国外に移送することも含まれるのか、あるいは日本政府からの許可を必要とするものなのか。何れにせよ、まずはこの問題について日本政府側と話し合い、その後、新たな記念碑の設置場所を公的に選ぶことが論理的であろう。
第一次世界大戦で戦争の悲惨さを身をもって知り、戦後、戦争反対者となったリヒャルト・ゾルゲは日本でソ連のスパイとなった。ゾルゲは日本で最初はジャーナリストとして、その後1933年から1941年にかけてはドイツ大使館の情報官として活動した。
ゾルゲはナチス・ドイツの対ソ開戦の兆候について伝え、また1941年9月には、日本がドイツ側について参戦することはないとも報告し、これにより、ソ連軍司令部はシベリアの部隊をモスクワ防衛に配置換えすることができた。
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