ロシア在住の日本人イコン画家、渡邊紅月さん 福音書通りに生きることの喜びとロシア生活を語る

© Kozuki Watanabeイコン画家の渡邊紅月さん
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ロシアでイコン(聖像)画家として活躍する日本人女性がいる。渡邊紅月(わたなべ・こうづき)さんだ。渡邊さんはモスクワ州セルギエフ・パサードにあるモスクワ神学アカデミー付属のイコン学校で学び、教会や個人から注文を受けてイコンを制作している。ロシアでの暮らしや仕事、ロシアをめぐる現在の心境について話を聞いた。

イコン教師を目指しロシアへ修行の旅

渡邊さんの祖父母は二人とも正教徒。二人は生前京都の教会に通っており、祖父は教会の日曜学校の先生として、子供達に正教会について教えていた。渡邊さんが正教を受け入れたのは、実は大人になってからだ。渡邊さんは当時のことを振り返る。
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「祖父母が亡くなった時、遺品の整理をしていたら、たくさんの美しい十字架やイコンが出てきました。正教会の教会芸術は素晴らしい。また、かつて祖父の教え子だった正教の信者の皆さんと話をし、交流する機会がありました。そして私の祖母は、人間的に素晴らしい人でした。いつ何時も穏やかに祈りを捧げていて、声を荒げたのを見たことがありませんでした。」

それらの要素が全て合わさって、正教徒になる決心をし、京都の教会で洗礼を受けたのである。
渡邊さんはもともとアーティスト、美術教師として活動していた。長らく関西に拠点を置いていたが、ロシア渡航の前は10年ほど東京で美術を教えていた。そこで、東京・神田にある復活大聖堂(ニコライ堂)に派遣されていたゲラシム司祭と出会った。
当時のゲラシム司祭は、「日本に修道院を作る」プロジェクトを実現すべく尽力していた。その修道院では、翻訳や出版活動、イコン制作を学べる学校、ろうそく製造、農業など、様々な試みを行う予定だった。
日本のイコン画家といえば山下りん(帝政ロシア・サンクトペテルブルクの女子修道院で1881年から1883年まで聖像画家として修行)がよく知られているが、後継者はおらず、現代の日本にはアップデートされた技術が伝わっていない。

「修道院ができてイコン制作の学校がオープンする暁には、教師が必要になります。そこで、ゲラシム司祭から私に、白羽の矢が立ちました。絵を描くという才能は、神様から頂いたもの。ですから、日本初の正教会の修道院で力になれるのなら、その期待に応えたいと思いました。」

多様なイコンのスタイル

一大決心をした渡邊さんは、日本での仕事を辞め、2017年9月に日本からロシアにやってきた。モスクワ州セルギエフ・パサードにあるモスクワ神学アカデミー付属のイコン学校に入学。当初は1年だけ学ぶつもりだったが、それでは全く修行が足りなかったので留学を延長した。結局、途中でコロナ禍が襲ったこともあり、合計で4年間学んだ。イコン学校では、様々なスタイルのイコンを比較し、学ぶことができた。

「ビザンチン時代のイコンは好きで自分でも書きますが、私が特に好きなのは13世紀から16世紀のロシア・スタイルのイコンです。このスタイルのイコンには、個人の主張や流行に左右されない美しさがあります。さらに、日本人のメンタリティと通じるものがあり、祈る人のために、計算し尽くされています。イコンの重要なポイントは、祈りの邪魔にならない、ということなんです。この時代のスタイルは日本ではあまり見る機会がないので、日本でぜひ紹介したいと思います。」

イコンは日本でも手に入れることができるが、大抵はお土産品としての扱いで、大きさも手のひらサイズだったり、イコン自体も印刷だったりする。それに比べると、木の板に描かれた重厚なイコンを個人で所有することは、信仰を持つ人にとって大きな喜びだ。
子どもが産まれると、多くは祖父母が、その子の身長と同じ長さの板に、その子の聖名(洗礼名)の聖人を書いたオーダーメイドのイコンをプレゼントする。渡邊さんは「素晴らしい伝統。日本でも、イコンがそれくらいかけがえのない宝物になってくれれば」と願っている。

不便を楽しむロシア人

渡邊さんは流行り始めの段階でロシアでコロナにかかり、心身ともに非常に辛い目に合いながらも、「ロシアの生活は全部好き」とポジティブに話す。

「ロシアは気圧の変化が大きいので健康面での不安はありますね。秋口は病気がちになると感じています。でも、ロシアでの生活は好きです。ものを作る人間の性(さが)と言うんでしょうか。日本って不便を嫌っていて、不便は罪、くらいに思われていますよね。100円ショップですごく便利なものが買えたり。でも、そこまでやり過ぎると、人間って工夫や努力をやめて、甘えちゃうんじゃないかと思います。ロシアの人は、不便なことがあっても、なんでも自分でできるし、自分で作ります。不便も楽しめる心の余裕があって、クリエイティブだな、と思います。」

ほとんどいない外国人の「鐘つき」

渡邊さんはイコン画家としてだけではなく、教会の「鐘つき」としても活躍している。鐘つきには特別な技術が必要で、近年は人材がいないため、やむを得ず録音を流している教会もたくさんある。渡邊さんはロシアに留学後、専門の修道士のもとで修行した。
鐘つきには地域的な特徴があり、モスクワスタイルやヤロスラヴリスタイルなど、色々な奏法がある。渡邊さんが身につけたのはセルギエフ・パサードのラヴラスタイル。鐘を美しく鳴らすには全身をくまなく使って集中しなければならず、冬ともなると鐘楼に吹きつける風はとても冷たいが、渡邊さんは「皆さんが手を振ってくれ、お祈りのお迎えやお見送りができるのが嬉しい。本当に良い仕事をさせてもらっている」と笑顔を見せる。
思いがけないことに、渡邊さんがロシアにいる間、日本に修道院を作る計画は残念ながら頓挫してしまった。ロシアに来た当初の目的が果たせなくなったことで落胆しているかと思いきや、「それもお導き」と運命を受け入れている。

「もちろん、学校を卒業したら日本に戻ってイコン学校を作るつもりでした。これからどうなるか、それは神様のみぞ知ることです。帰りたい気持ちもありますが、日本では若い正教徒がほとんどいないので、帰っても教える対象になる人がいません。イコンは神学の一部ですから、新しい修道院がなくても、ニコライ堂や日曜学校で教えられれば良いですが、今の日本正教会にはそのような環境がありません。でも、私は福音書の通り生きられていることが本当に嬉しい。ドネーションしてくださる方もいます。それはすごいことだと思っています。」

このインタビュー記事の準備をしている間、ウクライナへの特殊軍事作戦が開始され、ロシアを取り巻く環境、日本人のロシアを見る目は一変してしまった。渡邊さんは「とても残念。政治と一般の人は別で、多くの日本人はロシアのことを何も知らないのに…」と話す。

「日本人が、地理的に近いのに、ロシアという国についてほとんど知らないのは何故でしょうか。それこそ『おそロシア』とか、戦争をした国など、日本人はロシアのネガティブなことばかり挙げて話しますが、親日家が多く、とてもフレンドリーで温かな国民性であることは知られていません。欧米からのいわれのない経済制裁やインフレで苦しめられ、我慢に我慢を重ねながら生きているロシアの人たちがいることを知ってほしいです。」

渡邊さんは目下、モスクワと、ロシア南部のコーカサス地方にある北オセチア共和国の両拠点を中心に活動している。北オセチアでは、ロシアに帰国しウラジカフカスおよびアラニア(北オセチアの別名)の主教となったゲラシム主教の求めに応じ、現地でイコン学校を開校する準備を始めた。また、3月にはモスクワで、これまでの代表作を発表する個展を行う予定だ。
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