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    朝鮮分断の罪を米ソにのみになすりつけるのは止めよ

    朝鮮半島解放パート2「朝鮮分断の罪を米ソにのみになすりつけるのは止めよ」

    © AP Photo/ Kim Ho-young, Korea Pool
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    米国の執拗な要請を受け、1945年8月8日、ソ連は対日戦に参戦。そして1週間後にはすでに満州で日本軍を完全に大破すると朝鮮半島の北部占領に成功した。1945年8月15日、朝鮮には日本の天皇が降伏を宣言したことが明らかになった。

    降伏の条件のひとつには日本が、38度線でソ連軍、米軍によって分割される予定である朝鮮半島を明け渡すことが挙げられていた。朝鮮半島は植民地のくびきから解放され、積年の夢であった自由を手にしたが、半島の二つの部分に二つの大国の支持をうけた指導者が存在し、それぞれの背後に勢力があったため、国の統一を維持することはできなかった。この結果、かつてひとつであった民族はとうとう分断され、世界は大きな国際紛争を抱えることになったのだ。

    昨今、朝鮮解放と民族分断という2つの重要事件を結び付けようという解釈が少なからず現れるようになった。ロシア科学アカデミー極東研究所、朝鮮調査センターのアレクサンドル・ジェビン代表は、こうした問題の解決は事実と歴史的文書に立脚して行われねばならないとする見方を示し、次のように語っている。

    「1945年、モスクワで行われた米ソ外相らの懇談の結果、合同委員会が結成され、これが朝鮮の唯一の民主主義的な政府の創設に働きかける目的を帯びていたことは知られている。ソ連側も米国側もこうした政府が作られるよう、本当に朝鮮民族を助けるために全力を傾けていた。だが残念なことに委員会の作業は結果的には失敗に終わった。このため朝鮮解放とその後の分断という2つの出来事を結びつけることは不当なのだ。そうした試みは実際に国の分断を引き起こした政治勢力の責任を転嫁させようというものである。」

    国の分断は外力の結果引き起こされたものという声明は韓国の代表者からも北朝鮮の代表者からも表されているが、ジェビン氏はこうした声明は事実に即していないとして、さらに次のように語っている。

    「金日成が率いる北朝鮮指導部は朝鮮半島解放から3年がたった1948年の段階になっても韓国の政界との間で受け入れ可能な合意を達成しようと力を注いでいた。1948年4月のピョンヤンでの会合で実際に統一朝鮮政府の結成に道を開くであろうはずの文書が採択されている。だが残念なことに、この試みは不成功に終わった。」

    ところが朝鮮解放の直後の1945年に分断が起きたとすることは何の根拠もない。朝鮮は当時はまだ明確に分断されていたわけではなく、南北間の市民の往来は可能だったし、明確に隔てる境界線もなかった。南北間の経済交流もあった。初めて公式的な分断を明確に示したのは韓国の側だった。1948年8月15日、大韓民国の樹立が公式的に宣言されたからである。この宣言からわずか3週間たった9月9日、朝鮮半島には2つめの国家が誕生する。それが朝鮮民主主義人民共和国である。こうした行為は対立のロジックを強化しただけだった。最終的にこれは戦争にまで発展したのである。それでもジェビン氏は、朝鮮戦争が引き起こされた原因を100%内部の勢力の責任に帰するのは史実の歪曲だとの見方を示し、さらに次のように語っている。

    「ソ連崩壊後、ソ連の古文書が研究者に開示され始めたが、それを見ると朝鮮問題の解決を武力で行おうとしたのは北朝鮮の指導者、金日成氏だったことがわかる。しかもこの構想をスターリンは支持していなかった。西側の歴史学者らも、戦争を準備したのは南北の両方で会ったことを認めている。当時の韓国大統領であった李 承晩(り・しょうばん、イ・スンマン)氏の立場もとても平和主義とは言いがたく、米国の圧力にも屈せず、朝鮮戦争の続行を強く望んだからだ。最終的に休戦協定には当時朝鮮半島における中国・北朝鮮サイドと当時、朝鮮半島における国連軍を率いていた米司令官が調印した。このため戦争の全てをソ連または米国になすりつけようとする試みは、当時の半島の状況に対する韓国、北朝鮮のエリートらの責任を転嫁しようというものに他ならず、こうした試みは未だに続いているのだ。」

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