02:09 2020年10月01日
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今回は「序章 ロシア革命の虚妄」の第二節をご紹介しよう。

序章 ロシア革命の虚妄


2 ユートピアとしての「社会主義」

ロシア革命の「原理」とされている「社会主義」についてふれないわけにはゆかない。ロシア革命を「ロシア」部分に傾注して考察すれば、その特殊性として「初の社会主義政権の樹立」という事態が浮かび上がってくる。

といっても、この社会主義なる概念そのものはきわめてわかりにくい。あのマルクスは共産主義について若干、のべている程度であり、彼が社会主義や共産主義を具体的にどう構想していたかは判然としない。資本主義化を背景に急速に貧富の差が拡大するなかで、共産主義や社会主義という理念から革命を成し遂げることがめざされていた。だが、その理念自体が錯綜としていてどうもよくわからない。

そこで共産主義や社会主義について、ここで簡単に振り返っておきたい。ロシア革命における「ロシア」側からみた特殊性を知るためである。

オーエンやサン=シモンの先行

まず、社会主義思想が共産主義思想よりも先行していた点を確認しておきたい。英国で社会主義者という言葉が登場するのは一八二〇年代後半で、社会改革者ロバート・オーエンの支持者が自らを社会主義者と名乗ったことに由来する。一五一六年に『ユートピア』(「社会の最善政体について、そしてユートピア新島についての楽しさに劣らず有益な黄金の小著」)を著したトマス・モアや、『太陽の都』(赤道直下のタプロバーナ島にあるとされている、一六二三年)を書いたイタリア解放運動家、トンマーゾ・カムパネッラ(宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の登場人物カムパネルラは彼にちなんで名づけられたものである)はともに多くの事物の共有による理想郷を追い求めていた。

フランスでは、思想家のアンリ・ド・サン=シモンの支持者が社会主義者を意味するsocialistesを使用し、社会主義にはsocialismeを用いるようになる。一八三〇年代のことだ。一八四〇年代になると、ヨーロッパ中で社会主義や社会主義者という言葉が人口に膾炙する。いずれも「社会」なるものを意識し、その将来的な改善をめざす運動であったと思われる。だが、肝心の社会が判然としない。

この問題は日本における翻訳の問題である。そもそもSocialismという言葉を社会主義と訳すには、societyという概念を「社会」と翻訳することが大前提となる。この問題は複雑なので、別の節で取り上げたい。

他方、共産主義なる言葉もある。「社会は私的財産のないままに組織され、すべての生産財は共同体によって、あるいは公的に、あるいは共同で保有されるべきである」とみなす考え方が共産主義の原型である。いわば、共同体所有に基づくシステムとして共産主義が想定されていたことになる。それはプラトンの思想に見出せるとの見方がある。プラトンは『国家』(Politeia, このギリシャ語は「ポリス」[都市国家]のあり方や制度などを意味しているが、英仏語では「リパブリック」と訳されており、独語では「シュタート」であり、日本語では後者の「国家」が適用されることが多い)第五巻において、「苦楽の共有」が国家にとっての最大の善であるとみなすソクラテスに仮託して、「何しろ自分だけの所有物というのは身体(からだ)一つだけで、その他のものはみな共有なのだからね。このことからして、彼らは、人間たちが金銭や子供や親族を所有することによって起すいっさいの争いごととは、縁のない者たちとなるのではないかね?」と言わせている。プラトンは「守護者」と呼ばれる支配階級について、兵舎で共同生活し、共同体全体の善を心がけ、私事に気をとられることのないようにどうしても必要なもの以外の私有財産を認めていない(ただし、プラトンが本当に共産主義信奉者であったかどうかについては議論がある[Garnsey, 2007])。

J・S・ミルの社会主義論と共産主義論

マルクスやエンゲルスを取り上げる前に、古典派経済学者の代表格であるジョン・スチュアート・ミルが社会主義や共産主義について洞察していた事実について紹介しておきたい。彼の経済学上の主著『経済学原理』(Principles of Political Economy)の第三版(一八五二年)において、彼は共産制(コミュニズム)と私有財産制を比較して、「これからしばらくの間、経済学者」にとって主要な目標となるのは、「私有財産制を転覆させず、それを改良して、この制度の恩恵に社会に全員に十分に参与させること」だと指摘している(末永茂喜訳『経済学原理』岩波文庫, 第2分冊, p. 41)。

ミルの死後になって、彼自身の遺志としてではないかたちで、Chapters on Socialismという本が一八七九年に刊行された。この内容はインターネットで簡単に読めるのだが、「社会主義の特徴がなにかというと、生産の道具と手段のすべてのコミュニティメンバーによる共同所有のことである」と、ミルは説明している。さらに、「社会主義は消費財の私的所有を決して排除しない」という。いずれにしても、ミルのような古典派経済学者も社会を構成する人々の幸福について考えていたことは間違いない。

マルクスとエンゲルス

一八四二年になると、ドイツのローレンツ・フォン・シュタインが『今日のフランスにおける社会主義と共産主義』を著し、フランスにおける社会主義や共産主義などを紹介した。同じ年、エティエンヌ・カベーが『共産主義的信条』なる本を出している。その後、前者に触発されたマルクスは一九四八年、フリードリヒ・エンゲルスとともに「共産主義者同盟」の綱領として『共産党宣言』を著した。

「ヨーロッパに幽霊が出る--共産主義という幽霊である」ではじまるこのなかで、第三章において、それまでの「社会主義的および共産主義的文献」を整理・批判したうえで、第四章で「種々の反対党に対する共産主義者の立場」を明らかにしている。批判の矢面に立たされたのは、「本来の社会主義的および共産主義的諸体系、すなわち、サン=シモン、フーリエ、オーウェン等々の体系」であった(シャルル・フーリエは「ファランジュ」と呼ばれる生産・消費連合体に立脚した調和的社会体制を構想した人物で、『四運動の理論』や『愛の新世界』で知られている)。マルクスとエンゲルスはこうした体系を「空想的社会主義および共産主義」と呼び、厳しく批判している。

「かれらはブルジョアの心と財布との博愛に訴えざるをえない」のであって、「より体系的な衒学、自分たちの社会的学問の奇跡的作用への狂熱的な迷信」に陥っているとしている。マルクスとエンゲルスの支持する共産主義者は「現存の社会的ならびに政治的状態に反対するあらゆる革命運動を支持する」のであって、「これまでのいっさいの社会秩序を強力的に転覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する」のである。

マルクスは社会主義者であった

マルクスやエンゲルスのいう共産主義がそれまでの社会主義とまったく別のものであったわけではない。むしろ、それまでの社会主義運動とは別の運動として自分たちの運動を明確に位置づけて政治的優位に立つために共産主義なる言葉を利用したと考えたほうがいい。この点をうまくまとめた薬師院仁志の記述を紹介しておこう。
「元来の意味での共産主義は、私有財産なき理想郷を夢見るような思考を指す。だが、後に社会主義戦力が大きく二つの分裂したとき、一方の党派が共産主義の旗印を掲げるようになったのだ。マスクスの共産主義は、これに当たる」。

ゆえに、「共産党宣言」で共産主義者を名乗るようになる前のマルクスは社会主義者の端くれであったのだ。このために、マルクスに対する見方も混乱を呈している。筆者にとって個人的に興味深いのは、筆者の恩師、西村可明と、同じく知遇を得てきた佐藤経明が異なる見解をとっている点だ。佐藤は、「マルクスの社会主義像をもっとも簡潔に表現していると思われる」として『資本論』第一部第一篇第一章第四節を紹介している。西村は同じ部分を、「マルクスにおいて共産主義社会の全体像が最も簡潔に要約されているのは、多分、『資本論』の中の次の命題であろう」として引用している(佐藤, 1975, 1980, p. 23, 西村, 1986, p. 48)。それは、具体的には、「共同の生産手段で労働し自分たちのたくさんの個人的労働力を自分で意識して一つの社会的労働として支出する自由な人々の結合体」という箇所である。別の訳では、「共同の生産手段で労働し、自分たちの多くの個人的労働諸力を自覚的にひとつの社会的労働力として支出する、自由な人間たちの一連合(ein Verein freier Menschen)」(田畑, 2015, p. 345)となる。

『マルクス・エンゲルス全集』第二三巻第一分冊の一〇五頁をみると、その前後の文意から、この部分は共産主義社会のイメージを記したものと理解されるが、にもかかわらず、佐藤が社会主義像と解釈したことになる。その理由はわからない。この部分はきわめて有名なので、佐藤があえて「社会主義像」とした可能性が高いと思われる。そうであるなら、佐藤にとってこの部分を共産主義ではなく社会主義のイメージとしたかった理由があるはずだ。だが、すでに亡くなった佐藤にたしかめようがない。

実は、佐藤は「結合体」に注釈を加えている。「ここでいう「結合体」(Assoziation)とは「全社会」を意味している。マルクスにあっては、将来社会の生産が「企業」を単位としているということは、はじめから視野のそとにあった」という。しかし、この説明は大いに疑問である。まず、ここで問題になっている「結合体」(アソシエーション)が「全社会」を意味しているようには思えない(ここでの問題は後述する)。

佐藤は、「マルクスの社会主義像は、生産手段を社会化したならば、社会的総労働配分の事前(ex ante)の意識的制御が可能になり、社会全体を「一つの工場」のように運営することができるようになる、という想定を含んでいる」と考えていた。上記の引用部分が社会主義に対応し、全社会としての結合体について語っていると解釈したのだろう。だが、この部分は田畑の訳にあるように、そもそも「アソシエーション」を語っていない。原典はあくまで"Verein"を使用している。つまり、もっともらしい注釈が書かれているが、この部分はまったくの誤りではないのかと思えてくる。いずれにしても、二人の日本を代表するような経済学者すら社会主義と共産主義を判然と区別していたわけではないのだ。

よく知られているのは、マルクスが『ゴータ綱領批判』のなかで、共産主義社会の第一段階と共産主義のより高度の段階を区別したことから、これを手掛かりにして、レーニンは『国家と革命』(第五章第三節)で前者を「社会主義」としたわけである。これは、いわば狭義の社会主義を意味し、共産主義のより高度の段階は狭義の共産主義ということになる。佐藤は、共産主義の第一段階を「世界共産主義の第一段階」とみなすべきであると考えており、このマスクスが抽象的に想定した世界共産主義の第一段階としての社会主義というビジョンは「実現されないままに終わった」という。

したがって、後進ロシアに一国社会主義として建設された「社会主義」はマルクスの想定とは異なるものであったことになる。ゆえに、ロシア革命を「初の社会主義革命」と断言することはできない。そもそもマスクスは『資本論』では、共産主義社会の二つの段階に言及していない。それどころか、社会主義や共産主義という用語すらも(思想としての言及を除いては)ほとんど使用していない(斎藤, 1971, p. 120)。マルクス自身の社会主義や共産主義に対する態度について慎重に熟慮する必要があるわけである。

マルクスの主張の空想性

マルクスらは「空想的社会主義および共産主義」を厳しく批判した。だが、マルクスらの社会主義や共産主義は空想的ではないと本当に言えるのだろうか(翻訳をめぐる問題点については第4章を参照)。

社会主義経済の教科書として広く使用されてきた本のなかで、中野雄策はつぎのように書いている。
「『資本論』(とりわけ、その第1巻)が科学的社会主義のいっさいの文献をぬきんでた価値をもつ理由は、それが、コミュニズムの発生過程を自然史的過程として明らかにしているからであり、いいかえれば、近代市民(ブルジョア)社会のもとでの物質的生活諸条件の存立と発展の論理に基づいていっそう高度の社会構成への移行の諸契機が剔抉されているからにほかならない。」

どうやら、マルクス著『資本論』こそ、科学的社会主義を語った最高の文献であるとして礼賛しているようにみえる。しかし、本当だろうか。そもそも「科学的」っていうのはどういうことなのか。科学的社会主義はあっても、科学的共産主義はないのか。科学的社会主義および共産主義の関係はどうなっているのか。

通常、マルクスらの主張が「科学的」であると標榜する背景には、人間社会にも自然と同じく客観的な法則があり、そのために歴史を生産諸力の発展的展開とみなす唯物論的歴史観がある。人間の現実的活動の社会的あり方を生産諸力の発展と生産関係の変化とみなし、そこに歴史的法則性が見出せるから、この生産力と生産関係に着目すれば、科学としての社会主義を想定できるというのだ。

その際、マルクスやエンゲルスが重視したのは、人間の「意識」である。人間と自然との間に、意識を見出し、その意識にかかわる「生産」という物質的生産だけでなく精神的生産を含む生産活動に法則性があると考えるのだ。つまり、意識を脳髄の生理・物理的な機能に還元して唯物論的にみるのではなく、生態的な関係態が「誰々に意識されている」という形で言語を通じて現実に現われるものこそ意識であり、それは人間の存在そのものであり、そこに法則性を見出そうとしたのである(廣松, 1978=2005, p. 136)。

しかし、ロシア革命から一〇〇年がたってなお、マルクスらの主張を科学的であると考える者はほとんどいないだろう。そもそも、「社会現象を規定しているのは、意識ではなく、行為事実性の方である」ことを忘れてはならない(真木/大澤, 2014, p. 295)。ここでいう「行為事実的」とは、意識することなく行っていることを意味している。意識を重視するよりも、この行為事実的な出来事こそ人間と自然の歴史をつくってきたのであり、そこに「科学」を見出すのは無理がある(歴史認識をめぐる問題は後述する)。

「ロシア」からみたロシア革命の本質

このようにみてくると、ロシア側からロシア革命を考察すると、社会主義や共産主義といったイデオロギーの影響がきわめて重大であったことがわかる。とくに、マルクスの思想はロシア革命を精神的に支える支柱の一つであった。だが、ロシア革命から一〇〇年が経過してみると、それはユートピアをもっともらしく語ったものにすぎず、科学的というよりもあくまでも空想的な理念にすぎなかったのではないかとのべざるをえない。

問題はそのユートピア自体が空想ですませられないほどに重大な意味をもっているのに、日本では、この「ユートピア」が堺利彦によって「空想」であるかのように解釈されている結果、ユートピアに対する議論が歪められてしまっている点にある(この問題は第4章で詳述)。この誤訳は、マルクスらの主張が「科学的」であるかのような誤解を生むのに役立ち、ロシア革命によってレーニンらが権力を掌握した後、彼らの権力の正統性を根拠づける手段として利用されただけのことではないのか。それを可能にしたのは皮肉にもレーニンが粉砕せんとした官僚(ロシア革命後に急増した党官僚)であった。

ここでかみしめてほしいのはつぎの柄谷行人の指摘である。「要するに、一八四八年以後の社会主義運動を総括するとき、われわれはその誤謬が資本制経済と国家への無理解にあったと結論することができる」というのがそれである(柄谷, 2001, p. 433)。この指摘に導かれて筆者は拙著『官僚の世界史:腐敗の構造』を書いたわけである。

「労働からの解放」に潜む問題点 (割愛)

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