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    閑話休題:哲学が教えてくれること

    閑話休題:哲学が教えてくれること

    © AFP 2016/ Yuri Kadobnov
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    塩原俊彦
    筆者 塩原 俊彦
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    2016年はアリストテレス生誕2400年である。『ロシア革命100年の教訓』(仮題)の序文において、「正直に言えば、ロシア革命から一〇〇年が経過したことがなにか特別の意味があるかというとそんなことはまったくない」と吐露したように、アリストテレス生誕2400年も有意であるとは言えない。せいぜい出版社が本を出すのに利用するくらいだろう。

    だが、筆者は哲学に強く惹かれる。なぜかと言えば、結構、いろいろと興味深いことを教えてくれるからだ。その昔、筆者は慶応大学大学院の哲学科を受験して落とされた経験がある。哲学者、沢田允茂に師事して哲学者になろうと思っていたのである。「2年後に退官になるから、責任を負えない」という理由で入れてくれなかったのだが、筆者からみると、このとき沢田のもとで研究活動をしていれば、もっと豊かな人生をおくれたかもしれないと忸怩たる感慨がわく。

    今回、なぜ「閑話休題:哲学が教えてくれること」という文章を書くことにしたかというと、ロシアの雑誌『エクスペルト』記者、アレクサンドル・メハニクが2016年No. 48に掲載した「「平均的」人間を尊重した哲学者」という記事を読んだからである。この哲学者こそアリストテレスである。

    この記事を読んで、きわめて興味深かった指摘を紹介しよう。

    「ヨーロッパのすべての知的な歴史は、もちろん、それはわれわれが属しているものだが、プラントとアリストテレスという二人の影響の間で分けられていた。この意味で、われわれはプラトン的文化ということになる。これがわかるのは文化や哲学上の好みだ」

    というのがそれである。ロシア人の場合、翻訳の問題もあって、アリストテレスの主張を読むことが容易ではなかったし、興味を惹かなかったのである。アリストテレスは体系的で、静謐な思想家であったから、そこにはプラトンのようなエロスや知的興奮はなかったという。絶えずエクスタシーや神話にひたっていたプラトンとは異なっていたのである。ゆえに、ロシア人はアリストテレスが尊重した文化を理解できずにいるという。

    メハニクに言わせれば、プラトンは理想主義の創始者であり、アリストテレスは現実主義の創始者ということになる。アリストテレスはなによりもまず、われわれを取り囲む感覚的世界への関心や積極的な評価という点でプラトンとは異なっているということになる。ゆえに、アリストテレスは物理学、運動理論、植物学といった科学を発展させることができたのだが、プラトンにはそれは不可能であった。

    よく知られているように、アリストテレスは近代物理学の基礎である、変化のはじめ、運動のはじめとしての「理由」に着目した。だからこそ、筆者は「ロシア革命100年の教訓 (7)」で、つぎのように記述しておいた。

    「物質の自己運動を否定すると、運動を引き起こす淵源としてなにかを想定せざるをえなくなる。たとえばプラトンは神を想定した。アリストテレスはプラトンと異なり、物質の自己運動性を認めたが、その運動(生成)は物質に内在する原因によって生じると考えた。その原因は、質量因と始動因、目的因と外相因であるとしたうえで、運動が目的(終り)をもつと考えた。それが目的因のことである。ただし、この見方は事物が生成したのちに初めて見出されるものであり、事後的観点から説明するという姿勢を意味している。事後の勝者が自らに有利な歴史を捏造できることになる。」

    この哲学的視角から、アリストテレスは政治も研究した。そこで、彼とプラトンの政治哲学を比較すると、プラトンの国家モデルはその管理に知悉する者が国家を管理することを前提としているのに対して、アリストテレスのモデルでは、いわゆる知識人が国家管理において普通の人々に対して強みをもっているわけではないとみなす。アリストテレスによれば、政治家や支配者の主たる徳は知識をもつことにあるのではなく、普通の道理をわきまえていることにあるという。アリストテレスの哲学のもっとも重大な意義は、この哲学が極端な見方を避けた「平均の思想」にあるということなのだ。ゆえに、「平均的人々からなる国家がもっとも優れた国家制度をもつだろう」という。

    こうみてくると、メハニクのつぎの指摘が妙に納得のいく内容であることに気づく。

    「われわれのもっと新しい文明化された運命が決定づけられているのは、アリストテレスが政治的に受け入れられてこなかったことによってである。アリストテレス的タイプの実践的で政治的な哲学への理解がないのである。」

    その証拠に、「ロシア社会全体においてアリストテレスは読まれてこなかったし、学ばれてこなかった」と、ハメニクは指摘している。西側では、すなわち、神学的議論において、議論がアリストテレスの論理を適用し吸収するように強制されてきたのに対して、ロシア人はこうした哲学的で神学的な議論の伝統をもってこなかったというのだ。

    ここで、ハメニクが指摘していない重大な問題点を指摘しておこう。それは、西欧ではアリストテレスの影響を受けて目的論的視点が跋扈してしまったということである。だから、今後紹介する「ロシア革命100年の教訓 (9)」において、筆者はつぎのように指摘している。

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    「物質が自ら運動するとみなした自然哲学はタレスといったイオニアに住む人々によってつくられた。神々に依拠せずに世界を説明しようとしたのである。タレスは「水」が自ら運動すると考え、しかもその運動の原因から神々を排除した(柄谷, 2012, p. 97)。つまり、「デザイン」する上位者を否定したのであった。

    しかし、すでにのべたように、プラトンやアリストテレスなどのギリシャ哲学はこうした見方をとらなかった。むしろ、神を復活させたり(プラトン)、目的因を想定したりして(アリストテレス)、「上」からのデザインを積極的に肯定する立場にたったのである。なぜなら、アリストテレスは自然のなかに目的因を見ることで、人間自身が神=制作者の観点から自然を見る視線に立っていることになるからだ。彼は自然の生成と人間による制作(ポイエーシス)を区別したのだが、目的因を設定することで生成に制作を紛れ込ませることに成功したというわけだ。

    この操作が実にみごとであったために、ヨーロッパの人々は長く目的論に基づく視線を当然のように受けいれるようになったのである。『哲学の起源』のなかで、柄谷行人は「アリストテレス派による呪縛は、ダーウィンの『種の起源』にいたるまで根本的に否定されることはなかったのである」と書いている(柄谷, 2012, p. 108)。ダーウィンが考え抜いたのは品種改良(人間による選択)と「自然選択」とはどう違うのか、ということであった。この問いは、「制作」という人間の働きかけと自然による「生成」との違いを問うものということになる。「つまり、ダーウィンは、制作から生成を考えようとしたイオニアの自然哲学者、あるいはその流れを汲む者と同じ問題に出会ったのである」(同, p. 109)。」
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    というわけで、「ロシア革命100年の教訓」を楽しみにしてもらいたい。ロシア人が統治と知っているかにみえるツァーリにひれ伏したり、計画経済なるデザインを指向したりしてきた理由をより深いところから理解できるようになるはずだ。

    なお、中国や日本については、まったく別の議論が必要になる。それについては拙著『官僚の世界史:腐敗の構造』が参考になるだろう。

    60歳を過ぎてようやく、人類の歴史の一端を理解しつつある自分を感じている。どうか、若い人々も哲学に関心を寄せて、人類としての自分自身の位置づけを自問自答してみてほしい。過去を生きた人類の思想を知れば、たぶん各人の人生を豊かにすることにつながるだろう。

    関連:

    『ロシア革命一〇〇年の教訓』(4)
    『ロシア革命一〇〇年の教訓』(5)
    『ロシア革命一〇〇年の教訓』(6)
    『ロシア革命一〇〇年の教訓』(7)
    『ロシア革命一〇〇年の教訓』(8)
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    歴史, ロシア
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