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    ロシア、ユネスコから資料を撤回するよう日本に要請

    © AP Photo/ Jacques Brinon
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    リュドミラ サーキャン
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    アブダビで開かれた国連教育科学文化機関(ユネスコ)の会議で日本は第二次世界大戦後にソ連に抑留された日本の元軍人たちに関する資料を世界記憶遺産に登録するべく申請を行った。中国は1937年の南京大虐殺関連資料を申請した。このふたつの動きが波紋を呼んでいる。日本はもし中国の申請が容れられればユネスコへの財政的な寄与を停止すると宣言している。ロシアは申請の撤回を再び日本に求める構えだ。

    資料は570点からなる。舞鶴引揚記念館に収められているもので、第二次世界大戦後ソ連から帰還するにあたっての艱難辛苦を証言するものとなっている。多くの帰還者がナホトカから舞鶴に渡った。記念館によれば、展示の目的は平和の大事さと、平和のために支払われた対価の大きさを来館者に伝えることだという。同じ理由で国際社会に対し公式に資料の歴史的価値を認めてもらえるようにと申請を行った。

    スプートニクの取材に対し「歴史と文化の記念碑たるユネスコ世界遺産のリストにこのような資料が登録されることには絶対に反対だ」と語るのは、ユネスコ担当ロシア委員会筆頭書記、グリゴーリイ・オルジョニキッゼ氏だ。

    「それは歴史的事実だ。たしかに起こったことだ。しかし、だ。このようなものを登録すれば、パンドラの箱が開く。1937年の南京戦に関する資料の登録に日本は非常に激しい反応を示した。これを受けて日本はユネスコへの資金負担を停止するとさえ宣言した。しかし一方で、同じ会議において、日本は舞鶴港経由で日本に帰った軍人たちの記憶に関する資料を登録申請した。ロシアは前もって、申請を控えるよう要請したが、結局申請はなされた。多くの国にそうした資料はあるが、問題があるなら二国間で解決すべきで、ユネスコの土俵にあげて、ユネスコという機関を政治の道具にするべきではない。歴史と文化の記念碑としてのユネスコ世界遺産のリストには戦争関連の記念碑は入らない、という考えもある。その原則を守らねば・・・」

    日本側によれば、第二次世界大戦の降伏後、ソ連には57万5000人の日本兵がいた。ロシア側の担当機関の調べでは、捕虜になったのは63万9776人。中には軍人だけでなく、平民もいた。それに日本人だけでなく、朝鮮人・モンゴル人もいた。1946年から1950年、日本に51万409人が帰還した。1950年4月22日、ソ連が日本人捕虜の送還を完了したことが発表された。

    日本兵研究を専門とするロシア歴史研究所のセルゲイ・キム氏がスプートニクの取材に答えて次のような考えを明かしてくれた。

    「日本には過去のロシア、南北朝鮮、中国、フィリピン関係について大きな意見の隔たりがある。歴史のページを共有できないのは、日本が、軍国主義日本が上に挙げた諸国ではたらいた軍事犯罪を認めたがらないからだ。露日関係はいま明らかに停滞している。領土問題も未解決。平和条約も未調印。日本は制裁さえ行っている。抑留は露日間系において第2番目の重要な意義をもつ。第1の問題は周知のことだ。もしそれが現時点で解決されていないなら、どうして第2の問題が解決されようか?もし第2のものを解決できれば、第1のそれもより容易に解決できよう。なぜなら相互理解のための共通の空気が生まれるからだ。それは今両国間にあまりに不足している」

    ユネスコの記憶遺産には1997年以降、国際・地域・各国レベルの資料一式が登録されるようになっている。同プログラムの最高執行機関である諮問会議に認定されたあと、ユネスコ事務総長の承認を得て登録は完了する。

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