02:25 2019年10月19日
作家アーサー・コナン・ドイル

「鋼鉄のごとく真実で、刃のごとくまっすぐ」 作家アーサー・コナン・ドイルの生涯の興味深い10の事実

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今日5月22日は、英国の作家アーサー・コナン・ドイルの生誕160年にあたる。この作家を同時代人たちは、「これぞ紳士の権化」「偉大なアイデアの発明器」と呼んだ。アーサー・コナン・ドイルは、作家だけでなく、医師や軍人、スポーツマン、発明家など、多彩な顔を持っていた。 多くの出来事に彩られた豊かな人生で、アーサー・コナン・ドイルは何をするにおいても、常に「鋼鉄のごとく真実で、刃のごとくまっすぐ」な本物の騎士であった。 アーサー・コナン・ドイルの生誕160周年を記念して、スプートニクが作家の経歴とその生涯の興味深い真実についてご紹介します。

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1)コナン・ドイルが処女作品『旅人とトラ』を執筆したのは6歳の時。

この作品は、旅人に出会ったトラが、彼をすぐに夕食にしてしまうという、1ページにも満たない内容だった。幼少時、アーサーはすでにリアリストで、現実を美化することはなかった。

コナン・ドイルの草稿
© 写真 : Special Collections & Archives, University of California, San Diego Library
コナン・ドイルの草稿

2)コナン・ドイルは、ジョセフ・ビル教授の指導の下、エディンバラ大学で医学を学んだ。同教授は、論理的思考であらゆる間違いや嘘を明らかにし、また、些細な事実から、その人間の過去の経歴と職業を突き止めた。ベル教授は、まさに名探偵シャーロック・ホームズのモデルであった。

3)コナン・ドイルは、シャーロック・ホームズの冒険物語を2年間にわたり、絶えず執筆し続けた。この期間、シャーロック・ホームズは作者をうんざりさせていたので、コナン・ドイルは、悪役のジェームズ・モリアーティ教授とのたたかいで、ホームズを「殺し」てしまうことにした。しかし、世間が愛すべきヒーローの死を受け入れることを拒んだため、ドイルは、シャーロック・ホームズの蘇生を余儀なくされた。

4)1900年、シャーロック・ホームズシリーズの有名な小説『バスカヴィル家の犬』を執筆したとき、コナン・ドイルは、世界でもっとも高給な作家だった。

  • シャーロック・ホームズ:恐怖の館(米国、1945年)
    シャーロック・ホームズ:恐怖の館(米国、1945年)
  • 『シャーロック・ホームズとワトソン博士の冒険:バスカヴィル家の犬』(ソ連、1981年)
    『シャーロック・ホームズとワトソン博士の冒険:バスカヴィル家の犬』(ソ連、1981年)
    © 写真 : Soviet Central Television (1981)
  • 『シャーロック・ホームズ』(2009年)
    『シャーロック・ホームズ』(2009年)
    © 写真 : Lin Pictures (2009)
  • 『SHERLOCK(シャーロック)』(イギリス・BBC製作のテレビドラマ、2010-)
    『SHERLOCK(シャーロック)』(イギリス・BBC製作のテレビドラマ、2010-)
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シャーロック・ホームズ:恐怖の館(米国、1945年)

5)コナン・ドイルは大のスポーツ好きだった。若い頃、彼は英国のサッカークラブ「ポーツマスAFC」のゴールキーパーで、A.C.スミスの名前でプレイしていた。その後、コナン・ドイルは、クリケットやゴルフ、ボクシングといった他の多のスポーツにも夢中になった。

6)コナン・ドイルは、英国初のカーレーサーの一人だった。1911年、はじめての車を購入したドイルは、英国とドイツの間で開催された、初のヘンリー王子記念国際カーレースに出場した。また、コナン・ドイルは、原動機付き自転車に試乗した初の英国人だった。

7)コナン・ドイルの妻は、スイスのダボスで、高原の空気で療養することを医師らに処方された。そこでコナン・ドイルは、アルペンスキーに夢中になった。英国初のアルペンスキヤーとなったドイルは、スイスと彼の生まれ故郷で、アルペンスキーというスポーツを普及した。

8)コナン・ドイルは、実際に「アイデアの発明器」だった。彼は、水中での戦争を予見し、はじめてイギリス海峡でのトンネル建設と、船員救助のためのゴム製エアボートの製造を提案した。浮流機雷と、弾丸から体を守る防弾チョッキの製作も、コナン・ドイルのアイデアだった。

9)コナン・ドイルは、積極的にオカルト科学を勉強し、人間の死後になにが待っているのかを明らかにしようとした。またそれゆえ、「神秘主義者」とも呼ばれていた。

コナン・ドイルと息子デニス(1910年)

10)コナン・ドイルの生涯は、冒険そのものだった。船医としてドイルは、グリーンランドからアフリカまで、世界中を旅して回った。ボーア戦争に従軍し、私財をなげうって軍病院を建設した。その際、命に関わるようなどんな状況下でも、コナン・ドイルは常に騎士として、紳士として振る舞い、公平さを貫き、そして弱者を守った。コナン・ドイルの墓石に、「鋼鉄のごとく真実で、刃のごとくまっすぐ」という言葉が記されたのは、偶然ではない。

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