14:01 2021年05月09日
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1961年4月12日、当時26歳のソ連宇宙飛行士ユーリー・ガガーリンは宇宙船「ボストーク1号」でバイコヌール宇宙基地から飛び立ち、その後地球に帰還した。この飛行により人類は宇宙への扉を開くことになった。2011年の国際連合総会では、人類がはじめて宇宙飛行を行った国際的な日として4月12日を正式に宣言する決議を行った。

当時、ソ連の未来の宇宙飛行士の部隊には全部で20人が配属されていた。彼ら全員が、長期隔離と高圧力、酸素欠乏、高温(最大70度)、無重力、過労が人間の身体と精神にどのような影響するかを調査するため、多くの訓練を受けていた。潜在的能力のある宇宙飛行士は恐怖に打ち勝ち、高ストレスの中で任務にあたり、極度の集中力を有することが求められた。専門家委員会の評価に際しては、作業テンポや感情性、失敗の特徴、宇宙飛行士の自己批判レベルといった多くの要因を考慮することが必要だった。こうした指標では情熱に関しても重視された。たとえば、宇宙にはメランコリックな人がいられる場所などないと考えられた。ガガーリンは神経系のタイプで多血質と分類されていた。

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    ユーリー・ガガーリン
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ユーリー・ガガーリン

打上げが行なわれるまで、宇宙飛行士は極限状態にどう反応するか明らかではなかった。そのため、異常な状況下では人間は宇宙船の操縦が不可能となることまたは機器を破壊することに対し、特別な対策が講じられていた。手動操作を行なうには、宇宙飛行士は封がされた封筒をあける必要があり、その中には数学の問題が書かれたリストが入っていた。その問題を解くには宇宙飛行士は操縦パネルのロック解除コードを得る必要があった。幸いにも、ガガーリンはこうしたことに対処せずに済んだ。

宇宙飛行が成功した後、ガガーリンは本当の意味での「平和大使」となり、3年間で30ヶ国以上を歴訪した。この任務に向け彼は真剣に準備を行い、ミーティングや講義、諸団体との会合、記者会見、公式レセプションなどに参加した。1964年にガガーリンは、宇宙飛行士訓練センターの副代表およびソ連宇宙飛行士部隊の隊長に就任した。これにより彼は月への宇宙飛行の実現に向け多大な努力を行い、月に向けた宇宙船の準備で乗組員の1人に選ばれた。多忙だったにも関わらずガガーリンは趣味のためにも時間を費やした。彼は水上スキーを好み、サボテンのコレクターでもあった。

ガガーリンは34歳の若さで亡くなったが、しかし、人類の記憶に永遠に刻まれている。3月12日、英国のエリザベス女王2世は、オンライン形式での科学フォーラムの参加者に、60年前にロンドンでガガーリンと面会した時の思い出について語った。「彼は魅力的な人でした。私ははじめての宇宙飛行士という事実が彼をそんな風に特別な存在にしたのだと思います」。ガガーリンはどんな人物だったかという質問に対し、女王は笑顔で、「彼はロシア人でした」と応じた。

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宇宙飛行士, 宇宙
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