05:38 2021年04月23日
あれから10年 福島の今は
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福島市内で果樹園を営む菊田透さん。自身の果樹園でサクランボ、リンゴ、モモを栽培する傍ら、福島県共済組合の理事として、農家の経営を守る活動をしている。菊田さんは、福島第一原発の事故発生時は農協「JA新ふくしま」の理事として、福島の農業を再生するサポートを行なった。風評被害を受け、それを仲間たちと克服してきた10年間の道のりについて、話を聞いた。

農家は途方に暮れていた

菊田さんによると、東日本大震災が起きた直後、福島の農家の人々は途方に暮れ、停電と断水の中で、何も手につかない状況だった。さらには原発で爆発が起き、不安は倍増。原発事故の実態がわかってくるにつれ、これから農業が続けていけるのかどうか、誰もが疑問に思っていた。

しかし菊田さんはまず、自分の果樹園のことよりも、JA理事としての仕事に奔走した。福島市内の避難所で暮らす被災者におにぎりの炊き出しを行ない、菊田さんの孫も巻き込んで、1日2000個のおにぎりを8日間作り続けた。朝、職員と一緒に7時過ぎに来て、5つある巨大な炊飯器でご飯を炊く日々が続いた。また、JA新ふくしま吾妻雄二組合長は、農家へのメッセージをラジオで伝えた。

2011年3月24日、JA新ふくしま吾妻雄二組合長はラジオ福島生放送で農家へエールを送った
© 写真 : Toru Kikuta
2011年3月24日、JA新ふくしま吾妻雄二組合長はラジオ福島生放送で農家へエールを送った

営農再開、ショックな結果

炊き出しと並行して、震災から1週間後、農家のための燃料調達を始めた。営農に欠かせない農機具には、軽油を入れなければならない。今まで軽油の多くは、青森の精製所から海上ルートで運んでいたが、精製所が地震で壊れてしまった。そこで日本海側の新潟や山形から調達を試み、希望者に40リットルずつ配布することができた。

当時、農産物に残る放射性セシウムの基準値は1キロあたり、500bq(ベクレル)以下と定められ、その数字以下でないと流通できないというルールが作られた。現在では100bqにまで基準が厳しくなっている。問題は、土の上にある放射性物質が、どれほど吸収・移行され、収穫した米や果物にどの程度残るのか、という研究がそれまでほとんどされてこなかったことだ。営農再開には、出荷判断のよりどころとなる数字が必要だった。

菊田さん「それまで5本くらいしか、このテーマに関する論文がありませんでした。それを引っ張り出してきて、500bq以下を達成するにはどうすればいいか、震災発生から1か月も経たない4月上旬に、目安となる資料を発表しました。これほどスピーディーに基準を示したのは、田植えの時期から逆算して、農作業に入らないといけないからです。よりどころとなる数字が出たことで、農家にもやる気が出てきました。耕運機を出してきて、農作業が始まりました。」

しかし不安は消えない。JA新ふくしまは、農家を対象に20回以上様々な説明会を行なった。集まった人数はのべ3000人。通常では到底考えられない大人数だ。「作物を作ってみて売れなかったらどうするのか」「東電から損害賠償が本当に勝ち取れるのか」など、素朴な疑問がたくさん出て、議論は紛糾。菊田さんは当時の説明会について「農産物が売れない場合は東電の責任なので、東電に賠償を請求して勝ち取るという確約までした」と振り返る。結局のところ実際に作ってみないことには、農産物への影響はわからないのだ。

2011年4月5日。JA管内20会場で開かれた緊急地区別営農集会の様子
© 写真 : Toru Kikuta
2011年4月5日。JA管内20会場で開かれた緊急地区別営農集会の様子

そして収穫の時期を迎えた。当時はJAから出荷するにしろ、個人で販売するにしろ、売りに出す果物や米は全て検査するルールだった。残留放射能検査を実施したところ、出荷1週間前に収穫した桃の中には500bqを超えるものがあった。ショックな結果だった。

そこから原因調査が行われ、木の樹皮に付着している放射性物質が移行しているのではないか?という仮説を立てた。樹皮にくっついているものがどういう風に移行するかデータがなかったが、研究の末、移行のメカニズムが解明された。農家への説明会を経て、2012年の2月頃から、雪の降る寒い中を、高圧洗浄機を用いて洗浄した。全てを終わらせるのに2か月近くかかった。

2011年11月24日、福島市内の農園で高圧洗浄機を使用し樹皮の洗浄
© 写真 : Toru Kikuta
2011年11月24日、福島市内の農園で高圧洗浄機を使用し樹皮の洗浄

桃の香りで頭痛がするくらい、全然売れなかった

桃の最盛期は8月だ。震災の年の夏、桃の出荷前には生産者が集まってエールを送り合ったが、現実は厳しかった。直販は全滅。桃狩りの客も来ず、自分の店に桃を並べても売れなくなった。

菊田さん「夜中1時とか2時まで選果機を回して、朝の5時には畑に行っていました。横になれるのは2時間くらい。そういう日々が続き、冷蔵庫に桃が溢れ、市場価格もグッと下がりました。普段は甘い香りの桃ですが、この時ばかりはあまりにも売れないので、桃の香りで頭痛がするくらいでした。」

菊田さんたちは、福島県知事にトップセールスをしてもらうよう、陳情へ行った。8月18日には東京の青果物の台所である大田市場で、県知事と福島市長、JAの組合長らが、福島の農家を応援してくれるよう呼びかけた。これはメディアに大きく取り上げられ、売り上げにつながった。それから、東京でのトップセールスは毎年の恒例行事になった。

2011年8月18日、大田市場で緊急トップセールスをする佐藤雄平知事(右から2人目)
© 写真 : Toru Kikuta
2011年8月18日、大田市場で緊急トップセールスをする佐藤雄平知事(右から2人目)

風評被害をゼロにするには廃炉しかない

福島の農業は、売上高ベースで、震災前の90パーセント以上の水準にまで回復した。ここ4年ほど、福島の果物は東南アジアに輸出されている。

菊田さん「最初は航空便で、その後には酸素と二酸化炭素濃度を調整して青果物の鮮度を維持しつつ、安く輸出できるCAコンテナを活用しています。今はコロナ禍で停滞していますが、桃やシャインマスカット、梨、柿などの輸出をここ4年ほど続けています。輸出していることが報道に出ると、安全性の証明になります。以前、現地に視察行った人から販売の様子を報告してもらいましたが、福島の果物は非常に好評だそうです。丸くて大きいものが良いとされており、特に黄色い桃は縁起が良いと人気です。福島産の農産物が評価されることで、農家の人も元気になってきました。」

しかし、喜びながらも、風評被害が全くゼロになったわけではないと指摘する。

菊田さん「福島の果物は非常に美味しく、とても高い評価を受けています。今、福島まで来てくれる人は値段通りに買ってくれますが、市場に出すと、例えば桃なら、1キロあたり100円ほど他産地に比べて値段が下がります。この部分が、私たちがこれ以上頑張っても乗り越えられないところです。今、福島第一原発は廃炉作業に入りそうなところですが、完全に廃炉にならないと、今残っている風評被害はクリアできないと思います。何十年と時間がかかるでしょうが、貯蔵タンクに溜まった汚染水が撤去され、原発も撤去されたら、本当に風評被害がなくなるでしょう。」

菊田さんは、辛い時期でも、農業へのモチベーションを維持しながら、希望を捨てず、周りにも前へ進む勇気を与えてきた。その経験もあり、コロナ禍という新しい困難の中でも前向きだ。

菊田さん「農家は、美味しいものを食べて美味しいと言ってもらえたら、それだけで元気をもらえるんです。桃を一箱送ってくださいという電話一本だけでも元気になれます。コロナ禍も、みんなで集まれなくて辛いところもありますが、力を合わせて乗り越えていきます。」

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