23:17 2019年11月15日
小池百合子氏

閑話休題:小池百合子への関心

© AFP 2019 / Eric Piermont
日本
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今年最後の閑話休題として、ちょっとした想いを書いておきたい(マスメディアのつまらぬ報道に立腹して、なにかを追加で書くかもしれないが)。筆者は直接、彼女を知っているわけではない。だが、知り合いを介して彼女の政経塾「希望の塾」の講師にしてもらいえないかと頼んだことがある。拙著『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社, 2016年)を教科書にして話がしたかったからである。

政治家という人種に何人か会ったことがある。とくに親しかったのは仙谷由人だが、唾棄すべきような人物も複数いる(あえて名前を書かない)。小池も後者に属するかもしれないが、期待したい部分もある。なぜかというと、東京都の官僚の無能・無責任を暴くのに大いに貢献してくれたからだ。

拙著において、筆者が書いたのは、つぎの六つの論点である。①「ロビイスト」という世界中で制度化されつつある、政治家や官僚などと有権者を結びつける仲介者について、あまりにも関心が薄い日本の状況への警鐘、②ロビイストの制度の背景に、「請願権」を重視する米国の伝統がある、③ロビイストも請願権の重要性も日本では知られていない、④情報技術(IT)の発展によって、双方向の情報交換を可能にするWeb2.0に対応したGovernment2.0の必要性、⑤その一環として「電子請願」の制度が必要なのに、これについても日本ではまったくメスメディアは報道しないし、官僚がロビイストをかねている日本ではロビイストについてのまともな本すらない、⑥なぜかというと、1300年以上つづく官僚支配のために、学者もマスコミ関係者も官僚にとって不都合な重大事案に関心をもっていないからである--というのがそれである。

都庁という巨大組織において、官僚と政治家が癒着し、石原都政のもとで腐敗が構造化したのだろうが、その腐敗ぶりがようやく明らかになりつつある。その先鞭をつけた小池の功績は大きい。だが、石原都政の腐敗を抉り出すような調査報道ができないのは、マスメディアの怠慢であろう。

筆者が望むのは、政治家希望の人々に官僚支配の構造を知ってもらって、いかに「市民」の手に政治を取り戻すかをITの発展とともに実現する方法を真摯に探ってほしいと思っているからである。そのためのヒントが拙著にはたくさん書かれている。

大学の授業でのこと

高知大学の学生に「ロビイスト」や「請願権」の話をすると、みんなきょとんとしている。「そんなことはまったく知らなかった」と口をそろえる。これは、日本の官僚支配がいかに隅々にまでいきわたっているかを示す事例だろう。

新聞もテレビも官僚にとって都合の悪いことは伝えない。その典型は、『週刊朝日』(2012年7月13日号)が報道した大武健一郎元国税庁長官の脱税疑惑を他の報道機関が一切無視した出来事だろう。妻が告発しただけに、信憑性はきわめて高いのにもかかわらずであった。本当にこの国は官僚に弱い。いま現在、よく頑張っているのは『週刊文春』だけであるという現状に心から懸念をもっている。古巣の朝日新聞について言えば、石原を元凶とする東京都の真っ黒な闇になぜ斬り込めなかったのか。そしても、なぜいまでも斬り込めないでいるのか、猛省を促したい。

日本のようにロビイストを官僚が務めているような国では、ロビイスト規制はすなわち官僚規制につながりかねないから、ロビイスト問題をだれも報道しない。経済協力開発機構(OECD)においてすらロビイスト規制を推奨しているのに、こうした惨憺たる状況にあるのだ。

請願と陳情の違い

請願権に至っては、憲法にはっきりと明文化されているにもかかわらず、うまく機能していない現状をだれも慨嘆しない。少なくとも新聞やテレビで報道しているのを筆者はみたことがない。その昔、日本共産党だけが請願権についてその普及に努力したことがあるのだが、共産党というだけで他党は無視するか、潰しにかかる。よって、請願権の改革はいつの間にか話題にすらならなくなった。請願権の行使は官僚の裁量権を著しく狭めることになりかねないから、官僚は猛反対するわけだ。ゆえに、請願権をよりよく機能させるための「請願手続法」制定といった話はまったく浮上しない。不勉強なマスメディアがキャンペーンを張ることもない。マスメディアは官僚と癒着しており、官僚の嫌がることをなかなか主張できないのである。

こんな情けない状況にあるために、「請願」と「陳情」の違いさえ区別できない人が多い。こうした「現実」をぜひとも「希望の塾」の面々に紹介したいと思ったわけである。それが、政治改革につながる第一歩となると信じたい。だが、「希望の塾」の人選は政治的な判断だから、筆者のような「無頼の徒」ははじかれてしまったのであろう。まあ、その程度の人しかブレーンにいないのだろう。ゆえに、その程度の政治家しか育たない。悪循環である。

官僚支配を糾弾せよ

筆者の高校の先輩に官僚のトップ、内閣官房副長官を務めた竹歳誠がいる。彼のほうから、自分が高校の先輩であると教えてくれた。卒業者名簿をみていて気づいたというのだが、当時、竹歳建設業課長だった彼にそんな暇があったとは思えない。筆者はと言えば、当時の建設省記者クラブで朝日新聞社のキャップだったから、この先輩と大変に親しくなった。亡くなってしまった山本繁太郎元山口県知事という、とても気持ちのいい吾人が都市計画課長をしていて、竹歳と山本は大の仲良しだったと記憶する。そして、筆者はこの二人を重要な情報源にしていた。

この先輩であれば、どのようにして官僚支配が行われているかを教えてもらえると思っているのだが、いかんせん、そんな仕事をするだけの時間がない。機会をみて、まじめに調べてみたいと思っている。「竹歳先輩、長生きしてください。そのうちに会いに行きます」とだけ、いまは心のなかで念じている。

官僚支配1300年の歴史

いずれにしても、東京都の官僚もまた、中央官庁に似て非なるかたちで官僚独特の支配構造を形成してきた。東京都の所有する資産を天下り先として、自分たちの「甘い汁」を貪りつづけてきたのだ。こんな連中の悪を日本の検察当局はまったく野放しにしてきた。政治家もマスコミ人も見て見ぬふりをつづけてきたのである。

こうした構造についても、改革しなければならない。そのため、小池がどのように東京都の官僚に斬り込んでいくかに注目している。それがある程度成功すれば、それを国政にも反映させればいい。パリ市長だったジャック・シラクのように、首相にだってなれると発破をかけたい。

だが、実際には、その改革はきわめて困難であろう。おおざっぱに言えば、大宝律令が制定された701年から明治維新までの約1150年間、日本は律令制という官僚制のもとにあり、その後の約150年間は近代的官僚制のもとにある。つまり、1300年以上の官僚支配が継続している。だからこそ、天皇制も維持できたとも言えるのだが、こうした長きにわたる官僚支配のもとで日本人は得をすることもあれば、損をすることもあった。こんな伝統を打ち破り、変革するのはきわめて難しいように思える。

それでも、官僚の無能や無責任が白日のもとにさらされるようになれば、改革ができないわけではあるまい。マスメディアは官僚に頼まれて小池潰しに躍起になるかもしれないが、SNS利用者がついている。このブログを含めて、来年は小池改革を応援しながら見据えていきたい。

OECDを模倣するだけの日本人官僚

いま手元に『沈みゆく泥船「日本官僚丸」』という拙稿がある。そのなかでつぎのような記述がある。

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筆者は何年か前、朝日新聞の論説主幹を務めていた大軒由敬と会い、OECD本部のあるパリに社会部出身の者ではなく、政治や経済に詳しい特派員を置き、OECDをきちんとウォッチする体制づくりをするよう進言したことがある。残念ながら、いま現在も、OECDが世界の政治経済上の制度決定における主戦場となっていることに気づいている日本人はほとんどいない。こんな状況にあるからこそ、「日本官僚丸」は沈まざるをえないのだ。
日本の官僚には悪賢い輩が多いから、大新聞の論説主幹に本当のことを教えてくれるような人はいないだろう。だからこそ、大切なことがどんどん見過ごされてしまう。OECDは本書で紹介する分野以外でも、たとえば、国際労働機関(ILO)の1998年の「労働における基本的原則および権利に関する宣言」への道を拓いたし、1997年からスタートしたOECD「生徒の学習達成度調査」(PISA)は世界中の教育のあり方に大きな影響力をおよぼしている。2001一年からはOECD保健医療プロジェクトも開始され、各国政府、産業界、他の国際機関などと連携した医療サービスのパフォーマンス改善にあたっている。比較的地道な取り組みとしては、「化学品の分類および表示に関する世界調和システム」(GHS)や、「OECD科学安全データ相互受理システム」があるほか、「OECD種子品種証明制度」、「バイオトラック・オンライン」(遺伝子組み換えのとうもろこし、じゃがいもなどバイオテクノロジー食品に関する情報提供するためのデータベース)などもある。本当は、各国中央政府の官僚の仕事の多くはOECDで決められた合意を自国に適合するだけであって、OECDで自国の利害を含めた政策立案に積極的に関与できければ、単なる「下請け」に甘んじているにすぎないと断言できる。

NPMとは何か

ここでまず論じたいのは、「はじめに」で紹介したニュー・パブリック・マネジメント(NPM)という世界的潮流にかかわってきたOECDの活動である。だが、日本ではOECDの果たした重大な役割を知らない人がほとんどだろう。この無関心が世界中におけるグローバル・ガバナンスの広がりと、それへの対処という、日本国民の問題意識を喪失させている。地球環境問題が一国では解決できないことくらいは理解しやすいから、国連などのレベルで国際協調がはかられていることは想像しやすい。しかし、本当は各国の行政機構のあり方や予算作成の方法や評価にまで国際的なルールがおよびつつある現実についてはあまり知られていない。日本の行財政改革は日本独自に実施されてきたと誤解している人々が圧倒的ではないか。日本の官僚が大した役割を果たせないでいることを暴露されたくないから、世界の潮流に改革を迫られて行ってきたという事実を隠そうとしているのではないかと勘繰りたくなるほど、日本のマスメディアは世界の動きに疎い。官僚と結託して日本のマスメディアは日本の官僚が望まないことを積極的に報道しようとしないとしか思えない。まあ、マスコミ関係者にバカが多すぎるという理由もある。その結果、官僚がこけるとマスメディアはもちろん、日本までこけてしまいかねないのだ。
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というわけで、本当に日本の官僚は世界に通用しない。それどころか、唯一、OECDで世界とわたりあった日本人をまったく無視している。官僚の嫉妬なのか、日本のマスメディアで紹介されることはほとんどない。

官僚の嫉妬する人物

その人物について書いた部分も紹介しておこう。

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重原久美春に学べ

ここまでの説明からわかるように、OECDは国際的な租税協調を促進するうえできわめて重要な役割を果たしてきたし、いまも果たしている。そうであるならば、OECDにおける租税協調をめぐる議論について、我々日本国民はもっと多くの情報を知るべきではないのか。

若い読者の多くはOECDがこれほど重大な役割を担ってきたことを知って驚いているのではないか。IMFや世界銀行に比べて、そもそもOECDが果たす役割がわかりにくいと思っているに違いない。

OECDは米国のマーシャル国務長官による第二次世界大戦後の欧州復興計画を契機に1948年、欧州経済協力機構(OEEC)として発足し、1961年、欧州復興に伴い、米国とカナダが新たに加わった経済協力開発機構(OECD)として再出発した国際機関である。日本は1964四年に加盟した。「先進国クラブ」と呼ばれるような時代もあったが、ソ連崩壊後、メキシコ、チェコ、ハンガリー、ポーランド、韓国、スロバキア、チリ、スロベニア、イスラエル、エストニアが加盟するに至って、「先進国クラブ」という実態は薄れている。それでも、すでに紹介したように、世界中の行財政改革にも、租税協調においても、きわめて重要な役割を果たしているのがOECDということになる。

日本政府はOECDにも財務省、経済産業省、外務省、日本銀行などの職員を派遣している。OECD事務局の専門職員約1200人中60人前後が日本人だ。長年の貢献(つまり日本政府が多額の資金をOECDに拠出してきた功績)によってか、本人の実力なのか、事務総長に次ぐ副事務総長ないし事務次長(現在、4人)の一角を日本人が常時占めるようになっている。

筆者のにらむところでは、1939年生まれの日銀出身の重原久美春だけは別格で、その実力でOECDのチーフ・エコノミストや副事務総長を務めたものと思われる。日銀総裁選びにおいて、安倍晋三首相は黒田東彦を指名したが、重原のほうがずっと適任であったと、心あるエコノミストは残念がっているに違いない。
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重原のような人物を日本のマスメディアはほとんど報道しない。そもそもこうした優秀な人物を知らない人がほとんどかもしれない。これもメスメディアの罪であると言えるだろう。それも官僚の重原への嫉妬から、勉強しないマスコミ関係者に彼の存在を一切教えないのかもしれない。多くのOECD出向官僚はただそこで決まった事柄を翻訳して日本に送るだけであり、横のものを縦にしているだけなのだ。

海外で尊敬されるには、主権国家に従属するだけの「国の民」としての官僚ではなく、個人としての主張が求められる。そのためには、自分の哲学をしっかりと築き上げる努力が必要だ。以前に書いた「閑話休題:哲学が教えてくれること」はあまり読まれていないようだが、その価値を見抜けないようではまだまだ個人としての鍛錬が足りないのではないか。

来年、61歳になる筆者にとって、官僚支配の打破は大きな課題となっている。このブログを使えば、官僚の圧力に邪魔されることなく忌憚のない意見を開陳できるものと思っている。来年もよろしく。

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