12:29 2021年10月19日
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広島に原爆が投下されて間もなく76年が経過する。今年は原爆の日(8月6日)の 広島平和記念式典が「平和の祭典」である2020東京五輪の開催期間中に行われる。今、被爆者が人々に伝えたいこととは?外国プレス向けのブリーフィングで被爆者の小倉桂子氏(83)が語った。

「リベンジするのではなく、憎しみを乗り越える」

スプートニク:「今、私たちは比較的平和な時代に生きています。ただ、それでも世界中の様々なところで戦争が起きています。ほとんどの人たちは戦争が何を意味するのかを知らないと思います。そういった体験をしていないからです。戦争と核兵器は人々にとって非常に大きな脅威となっていますが、小倉さんはその現代の人々たちにどのようなメッセージを伝えることが重要だと思われますか。」

小倉氏:「まず、今のパンデミックと同じですが、世界が協力しなければ、私たちは絶対にこの敵と戦うことはできないと思います。ですから、各国は自分の国のことだけを考えていてはいけないと思います。

だからこそ、考えていただきたいことは核兵器と通常兵器の違いです。被害者たちは皆、原爆資料館の中には展示されていない『想い』を持っています。私たちは皆、心の中に傷を持っていて、その傷は人には言えないけれど、『将来、自分の子ども達は核の影響を受けるのではないか』『孫たちはどうだろうか』という想いを持っています。核の持つそういう恐怖を本当に考えていただきたい。そして、私たちは皆、愛する人を殺される憎しみ、それを乗り越えなければならないという戦争の経験をしています。それをリベンジするのではなく、その憎しみをどうやって乗り越えるかということを考えていただきたい。

そして、広島において悲惨さだけを学んでほしくない。あの壊滅状態の広島が現在のように立ち直って美しい街になっている、それも学んでほしい。私たちはやればできるということです。それをお願いしたいと思います。」

原爆投下から76年、広島が目指す核廃絶と世界平和(小倉桂子氏(被爆者))
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原爆投下から76年、広島が目指す核廃絶と世界平和(小倉桂子氏(被爆者))

100%の人が「原爆を落として良かった」

また、小倉氏はメディアの質問に答える形で、被爆の経験を語る時に直面する困難についても語ってくれた。

小倉氏:「非常に伝わりにくいというか、広島に来る人と、私がアメリカなど、いろいろなところに行ってお会いした人とでは大きな違いがあります。広島に来た人は、広島を知ろう、長崎を知ろうという思いが初めからあります。だから伝えるのが非常に楽なんです。

けれど、アメリカに行って、アメリカの市民150人ほどにお会いした時に、100%の人が『原爆を落として良かった』とまずおっしゃいました。『原爆を落としたからあなたは生き残った』『ケイコ、あなたがここに来られたのは原爆を落としたおかげだ。原爆を落としていなかったら、自決して、ハラキリで死んでしまったはずだ』という認識なんです。ショックでした。その後、これは特にアメリカの人たちにお話ししなければならないと思い、アメリカの人たちに話すようになりました。

自分の話をしたのは被曝から50年くらい経った後のことです。自分の体験は話したくなかったのですが、アメリカの人たちに原爆を落とすということはどういうことなのかを感じてほしいと思ったんです。そして、私が伝える一番大切なことは、知ること、事実を知ること、そして、それを仲間と話し合うことです。それを続けていけば世界平和に繋がると私は感じています。普通の人が何かをするということです。」

「一日も早くこの地球上から核兵器をなくしてほしい」

小倉氏が願っているのは、世界から核兵器がなくなる日を被爆者が生きているうちに目にすることだ。

小倉氏:「私たち被爆者にとっては、核兵器が何発少なくなったかということではなく、一発でも千発でも同じだという感覚です。この地球上にたった一発でも核兵器があると思うだけで、ゾッとするんです。ですから、一日も早くこの地球上から核兵器をなくしてほしいと思うんです。数の問題ではないと思います。被爆者はどんどん亡くなっていくので、被爆者が残っているうちに、せめて何人かが残っているうちに、そういう世界が来ることを心から願っています。そのために、どうか皆さんのお力を借りたいと思います。」


小倉桂子氏のプロファイル:

1937 年 8 月 4 日 広島市で生まれる。

1945 年 8 月 6 日 8 才の時に爆心地より 2.4 キロの広島市牛田町で被爆。

1959 年 広島女学院大学英文学部卒業。

1962 年 小倉馨広島平和記念資料館館長、平和文化センター事務局長、市長室次長を歴任)と結婚。

1979 年 歴代の広島市長の通訳をつとめ、海外での原爆展開催に努力していた夫と死別。翌年から夫の影響で 海外から広島を訪れる平和運動家、メディア、作家、アーティスト、学者などの通訳・コーディネートを始める。

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