15:10 2021年09月23日
日本
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ロシア連邦保安庁が公開した文書によると、日本は1944年に細菌爆弾の使用を計画していた。その文書には、最後の関東軍司令官・山田乙三に対して1945年から1949年12月まで行った尋問の調書が含まれており、これはハバロフスク裁判に用いられている。今回、この尋問調書の初期のものが初めて公開された。

文書によると、この細菌爆弾を使うと敵陣でペストが発生するという。山田乙三に対する取り調べでは、1944年の秋に「石井式」の細菌爆弾の使用について山田に口頭で報告したという松村知勝の証言が読み上げられた。

それに対して山田は、「私は松村の証言を否定しない(中略)先に示したように、この報告は私が承認した」と述べている。

この細菌爆弾は、関東軍の特殊部隊731部隊の隊長として、朝鮮人、中国人、ソ連人の捕虜を対象に生物学的実験を行った石井四郎中将にちなんで命名された。歴史的な資料によると、石井は細菌兵器の可能性を最大限に発揮させるために、特殊な爆弾を発明した。この爆弾の最大の特徴は、セラミック製の箱の中にペストに感染した蚤が入っていること。この爆弾は、地上50〜100メートルの高さで爆発するため、より広範囲が(ペスト菌で)汚染されることになる。

細菌兵器の開発と、生身人間を含む実験は、関東軍の731部隊と100部隊が行った。山田をはじめとする日本人捕虜の尋問調書には、1944年に関東軍の指導部が細菌兵器の増産を指示したことが明記されており、細菌戦の準備が確実に進められていたことがわかる。

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