2010.04. 4 , 20:16

ボリショイ劇場から欧州へ バレエ「パリの炎」生中継

 3月31日、欧州のフランス。イギリス、デンマーク、アイルランド、スペイン、ポーランドその他ヨーロッパの多くの国々の150を越す映画館で、この日ボリショイ劇場で上演されたバレエ「パリの炎」が生中継された。

 たくさんのファンが生の迫力に魅了されたが、中でもバレエの舞台となったフランスでは、パリを含め10ヶ所以上の場所で「生中継」を見る事ができた。
 バレエ「パリの炎」は、内容がフランス革命とロシア革命という政治的な歴史と強く結びついたものであるため、今ではめったに上演されない。そもそも、このバレエは、ロシアで起きた1917年の出来事について、社会主義的な歴史観を持つ学者達が呼ぶところの「大十月社会主義革命」15周年記念日に向けて舞台にかけられたものだ。作曲はボリス・アサーエフ、振付はワシーリイ・ワイノーネンで、バレエは、二つの重要な社会的エピソードをはっきりと結びつけて作られている。1792年、パリの群集がテュイルリー宮殿を襲撃したこと、1917年、ロシアの民衆が、ロシアのツァーリズムの牙城であったサンクトペテルブルグの冬宮を襲ったことだ。
 バレエは1932年、レニングラード(今のサンクトペテルブルグ)で初演され、ボリショイでの初演は翌3年だった。そして1964年にレパートリーからはずされた。ソ連邦崩壊後、新しく生まれ変わったボリショイでこのバレエを新しく演出したのは、現代を代表する振付家で当時ボリショイ劇場バレエ団の芸術監督も務めていたアレクセイ・ラトマンスキー氏で、昨年夏のことだった。彼は、2つの歴史的出来事のパラレル性を決して否定していない- 
「ロシア革命は、当然ながら、フランス大革命を目指したものだった。あの革命は、最初のものであり、後に続いて当然起こりえた、生活の根幹を変えてしまう、あの種のあらゆる大変革の模範となった。フランスでは15年しか続かなかったが、ロシアでは70年続いた。しかし一体、そこから何を得られたろうか?…1932年、『パリの炎』が舞台にかけられた。バレエは大体において、起こったばかりのロシアの歴史についてのもので、現代をテーマとしたものだったが、クラシックの手法で創られたものだった。アクチュアルな内容を持ったクラシック・バレエを創るという課題は、極めて難しいもので、今では誰も、そうした事はしていない。とはいえ、そもそも、我々の『パリの炎』は、ボリショイ劇場団員にとって大きなテーマを持った、さらにもう一つの大きな演目なのだ。」
 ヨーロッパ向けの生中継を準備したのは、フランスの「BelAirMedia」だった。この会社のディレクター、フランソワ・ヂュプリャ氏は、「ロシアの声」の取材の中で、準備の際の幾つかの秘密を明かしてくれた-
 
「映画館の観客が、同じ時間にボリショイ劇場でバレエを見ている人々の一部のように自分自身を感じるようにする事が大変重要だった。そのため我々は、アーチストが舞台に登場する少し前から中継を始めた。劇場の中を満たしている雰囲気を感じてもらえるよう、観客席の中や、袖幕の後ろも、幕間もカメラで撮影した。フランスの観客にとって、このバレエは、思いがけない大きなプレゼントになったと思う。なぜならば、『ラ・マルセイエーズ』や『サイラ!』が歌われる唯一のバレエで、さらに、フランス人が学校で学びながら、一度もバレエ音楽の中では聴いた事のない3つの革命歌が歌われたからだ。」
 実際、このバレエは大変珍しい一つの例だ。合唱の歌声が使われ、おまけに「ラ・マルセイエーズ」は、単なる「革命歌」ではなく、現在はフランスの国歌になっている。だからフランスの映画館で、このバレエの生中継を見る人達は、この歌が流れる時は、立ち上がってバレエを鑑賞する事になった。
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