2013.10.23 , 10:06

KERA meets CHEKHOV 「かもめ」上演ケラリーノ・サンドロヴィッチ氏インタビュー

KERA meets CHEKHOV 「かもめ」上演ケラリーノ・サンドロヴィッチ氏インタビュー

ロシアと日本のために今できること。そのヒントを探るべく、時代のトップランナーたちの声をお届けしているインタビュー番組『ロシアナの声』。今回のゲストは、ミュージシャン、劇作家・演出家ケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)氏です。結成20周年を迎えた劇団「ナイロン100℃」をはじめ、日本の演劇界を震撼させつづけ鬼才とよばれるKERAさんが、この秋から<KERA meets CHEKHOV>と題された、チェーホフ4大戯曲上演プロジェクトに着手することになりました。記念すべき第一弾上演『かもめ』は、キャストも日本を代表する人気俳優たちが顔を揃え、「え!?これがロシアのチェーホフ?古典戯曲かもめ?」と驚くほど、連日の満員御礼!そんな意味でも、新しいチェーホフのファンをたくさん増やしてくださったKERAさんの、ほかでは知ることのできないロシアな一面に迫ります。

   いちのへ:

   ミュージシャン活動をはじめる際に、『虫けらの歌』からKERAさんと呼ばれるようになったそうですね!それから演劇活動をはじめる際に、そのお名前にちょっとロシア風のサンドロヴィッチ涛が加わったわけなんですが、なにか潜在的に・・・ロシア的な影響みたいなものはあったのでしょうか?

   KERA:

    

   んー、ないな(笑)いや、なんか仰々しく、巨匠っぽくしたいなって(笑)。瞬発的に出たんですよ。1、2年のものだと思ってましたので・・・。

   いちのへ:

   演出されたTV人気ドラマ『時効警察』では、ロシアのキリル文字が事件解決のヒントになったり、監督された映画のタイトルがドストエフスキーを思わせる『罪とか罰とか』だったり・・・ロシアに興味があるのでは?とずっと思っておりました!

   KERA:

   さして旅行してみたいとはそんなに思わないんですけど(笑)ロシアに限らずあの辺の寒い国の物語って、すごく魅力的ですよね。フィンランドの映画監督アキ・カウリスマキの作品なんかも面白いと思うし。

   いちのへ:

   ロシアへいらっしゃったことは?

   KERA:

   ないです、ないです。でもロシアの作家は面白いですよね。たとえばドストエフスキーの『白痴』を、何度か舞台化したいなと思ったりしたこともあるんですよ。

黒澤明監督の映画『白痴』は、駄作とされてますけど、何回も見てますし。なんですかね、嗜好の問題なのか、結局、活発で身体的にアクティブな芝居よりも、寒さで肉体はあんまり動かないんだけど、そこでドラマがうごめいている、みたいなものの方が好きなんですよ。

   いちのへ:

   日本でも、北国の方が太宰治とか、そういう作風の人が多いですものね。

   KERA:

   そうですね。なんか動いちゃうと終わりっていう気がするんですよ。そこで解決してしまうというか、発散してしまう気がして。どんどん物事を解決していく人涛を見ているよりも、どんどんため込んでいく人涛の方が面白いじゃないですか(笑)!「どうなっちゃうんだろ、この人」「あー、死んじゃったよ」とか、「あー、病気になっちゃったよ」とか。前向きな人間を見ていると悔しいんでしょうね。そうなれないから「いいな」って思うんでしょうね。子供のころから「くよくよしていてもしょうがないよ!」「こうすりゃいいんだよ!」って言って人生を切り開いていく同級生を見ていて、「なんだ、こいつ」みたいな思いはありましたね。それで、そうなれない人のための音楽や芝居を作っていったような気がしますね。

   いちのへ:

   そんなケラリーノ・サンドロヴィッチさんが、今年秋に上演された『かもめ』からスタートし、5,6年かけてチェーホフの4大戯曲すべてに挑むという<KERA meets CHEKHOV>シリーズに挑むことになりましたね!同じシス・カンパニーさんプロデュースで2007年に上演された,故・井上ひさし氏の音楽評伝『ロマンス』のように、KERAさんならチェーホフをモチーフにしたオリジナル作品を創ることもできたのでは?

   KERA:

   チェーホフと同様に、劇作家ではありませんけど僕は小説家カフカが大好きで、彼の小説を翻案した舞台を作ったり、あの謎めいた人生をなかばねつ造したような半評伝劇みたいなものもやったりしてるんですね。でも、チェーホフに関しては、その人生や思いを具現化して新たに書き下ろすよりも、まずは晩年のいわゆる4大戯曲をやることによって、ほぼ僕にとってのチェーホフの魅力は体現できるなという思いがありましたね。

   チェーホフは、短編も面白いんですよね!10年前、20年前の自分だったら、ヴォードビル・軽演劇としてのチェーホフにより惹かれていたと思うんですけど、歳をとるといろいろと興味が変わるんですよね(笑)。自分が書く芝居も、わりとヘビーなものが多くなったりとか。昔はコントばっかりやってたんですが。

   いちのへ:

   お父様も、お祖父様も早くお亡くなりになって、もうご自身晩年だ涛と思って活動されていらっしゃるというインタビュー記事を拝見したんですが(笑)、チェーホフも最晩年にこの4つの戯曲を書きましたよね?そういう意味でも、やるなら今だなというような想いがあったんでしょうか?

   KERA:

   チェーホフはいつかやることになるだろうなと思っていたんですよね。いつか、きっとやるんだろうなと。でも、なかなか自分からは腰を上げることは出来なかったんです。というのも、やっぱり難しいな、面白いけれどやるのは大変だろうなという思いがあったんです。そんなとき、「かもめをやらないか」と声をかけられて、背中を押してもらったというか。

   いちのへ:

   タイミングということですね。

   KERA:

   そうですね。で、「どうせならば、4作品すべてやりませんか?」とプロデューサーさん言ったのは、たしか僕の方からだったと思います。

   いちのへ:

   同じくロシアの文豪ゴーリキーの『どん底』を演出された時には、「作者が怒るんじゃないかと思うくらい書き換えた」とおっしゃっていたんですが、今回のチェーホフ『かもめ』に関しては、なるべくそのままに活かしたいと思ったそうですね。チェーホフだからでしょうか?それとも、KERAさんご自身に何か変化があったのでしょうか?

   KERA:

   両方だと思います。チェーホフを初めてやるにあたって、自分がやりやすいようにやるというのはちょっと悔しいなっていう気持ちがあったのが大きいですね。

   チェーホフは、あらゆる面で抑制していかないと作れない舞台なので、より喜劇的に脚本をアダプテーションしていったり、ギャグを加えていくようなやり方というのは、すごく逃げな気がして。だったら、できるだけ台本を変えずにやりたいなと。ゴーリキーの『どん底』をやったときよりも、台本自体にすごく個人的な愛着があったというのもありますね。でも、今後は分からないですよ・・・。あと3本あるので、またちょっと別の方法で作るっていうこともあり得るし・・・挙句の果てには4本目はミュージカルになってたり・・・(!)しないですけどね(笑)

   いちのへ:

   さて、ロシアの文豪のなかでも、ドストエフスキーやトルストイは、神や生死など壮大なテーマに対して答えを見つけていくような作風で、ロシア文学者たちは森の中の御神木に例えたりします。一方、チェーホフは、人々の生活に近いありとあらゆるテーマを切り取って、あとは煮るなり焼くなりご自由に涛と観客に委ねるような作風で、ユーモラスな形なのに毒をもっていたりもする、そう、キノコに例えられたりもしています。KERAさんは,チェーホフと似ているなと感じる部分はありますか?

   KERA:

   正解を知っている人間なんていない、正解なんて分かりようがないし、観客と自分がなんら変わりのないところに立っている。で、人生や世の中っていうのは、様々なものが、つまり、シリアスなことも、くだらないことも、退屈なことも、のっぴきならないことも、すべてが入り混じって、何がしゃしゃり出てくることもなく、すべてが等価であるという、「それが人生というものだ」という視点にはすごく共感するんですよね。

   演劇の作為とか、押しつけがましさみたいなものに、観客として人の芝居を見ていると、苛立ったり違和感を覚えることが多くて。「これは喜劇なの?悲劇なの?」って思うくらいのバランスが、自分にとっては最も気持ちがいいんです。つまり、くだらないこと涛が起こるのであれば、当然くだらなくないこと灯も起こるだろう、というような感覚ですね。

   午前中にお葬式で泣いていた人間が、午後には人と冗談を言い合っているのが人生だから、そういうところを切り取るっていう、その辺がチェーホフにすごく親近感を感じるところですね。

   いちのへ:

   医者でもあったチェーホフは、「医学が正妻で、文学は愛人である」そんな風に言っていたそうです。私はこの『かもめ』という作品には特に、チェーホフのお医者さん的な見方があるなと感じているんです。たとえば、結局人間はみんな死ぬものなのに、それでもお医者さんは病気の治療をしなければならないというお仕事で、人間を患者として丸裸にして診察して、常に冷静に距離を置いてみているような視点とか、あるいは病気という一番のガンとなるようなものが見えないところにあって、その周りで人間たちが翻弄され、多かれ少なかれ皆,病的なものを抱えながら生きていかなければならないというようなところとか。KERAさんが思う『かもめ』の魅力はどんなところですか?

   KERA:

   誰か中心となる人物がいると、その人にとってホントっぽいか、嘘っぽいかということになってしまうんですけど、結局すべてを鳥瞰して見ているチェーホフの眼差しがあって、誰がどこまで本気でその言葉を発しているかというのは、誰にも分らないわけですよね。群像劇としての人間の点在の仕方みたいなのは、チェーホフがまだ長編戯曲に慣れてないっていうか、粗削りだからということもあるかもしれないんですけど、洗練されすぎてないところが、変な作為的なバランスを取ろうとしていないというところもあるんじゃないかなと思うんですよね。

   だから群像劇として『かもめ』はとても魅力的だし、感情のベクトルが非常に分かり易く、密度濃く描かれている。最初のとっかかりさえ躓かなければ、すごく分かり易いお芝居なんですよね。チェーホフの中ではね。

   僕が観客として最初見たときもそうだったんですけど、アルカージナとソーリンが兄弟であることとか、ソーリンとドールンを混同しちゃうとか、最初の一幕で人間関係がよく分からなくなっちゃうんですよね(笑)。チェーホフが本当に意地悪だなと思うのは、その辺を小出しに小出しにするところですよね。「見てりゃわかるよ、そのうち」という書き方をしてるから、その書き方にあんまり頼って演出を怠ると混乱を招く。ここがかなり難しい。

   いちのへ:

   『かもめ』は、最初からフォルテできますよね、そして最後はピアニッシモになっていく・・・。

   KERA:

   そうなんですよ。これは『かもめ』に限ったことではないけれど、僕が今更言うまでもないことですけど、舞台上で確信の出来事を描かないというね。今回この『かもめ』の取材でさんざん例えてきたのは、カーチェイスの映画で車の追っかけ合いを映さない、映るのはガソリンスタンドでの雑談ばっかり、みたいな。そこでどんなカーチェイスがあったかについて、カーチェイスがどんな後遺症をもたらしたかということ見せていくというような、すごくひねくれたやり方ですよね。これは百何年の間に今や日本の小劇場でも、さして珍しくない作劇になっていますけど、初演当時はとんでもないことだったと思うんですよね。僕らが、チェーホフが始めたということを意識しないまま、なんとなく続けてきたひとつの方法だと思う。そして、その方法を「面白い」と思える作り手と、「なんでそんなことするんだろう」と思う作り手がきっといて、「面白いな」と思う作り手は・・・やがてチェーホフに出会うんじゃないかなと思うんですよね。「ここにあったのか!」っていう。

   いちのへ:

   ラストもすごく唐突に終わりますよね。これまでも『かもめ』のその後はどうなるのか続編をテーマにした作品も数多く上演されてきました。KERAさんご自身は、どんな風にイメージしながら演出なさったんでしょうか?

   KERA:

   「トレープレフは死んでない」という話もあるんでしょ?(笑)トレープレフが順当に・・・っていうのも変ですけど(笑)、順当に自殺していたとしても、たぶん半年後にはみんなで笑ってゲームをしているんだろうなっていうような感覚ですよね。この自殺がすべての人の人生を変えてしまったっていうような物語ではないですよね。だから、すごくシニカルな作家だと思いますね。同じ運命の皮肉を描くのでも、ギリシア悲劇やシェイクスピアよりもずっと意地悪な感じがするもんね。「ああ、なんたる悲劇!」ってことにしてしまわないんだもんね(笑)。「喜劇4幕」という但し書き自体にも、チェーホフの悪意を感じるんですよ。そういうこともひっくるめて面白いなって思いますね。

   いちのへ:

   そもそも、チェーホフと出会ったのはいつ、どんな出会いだったんですか?

   KERA:

   ちゃんと見たのは、おそらく、20年くらい前に、劇団「東京乾電池」の舞台で、たぶん、4本中3本は見ているんですよ。その前に本を読んだんですけど、『かもめ』じゃなくて、『桜の園』かな、挫折したんですよね(笑)。で、読み切らないまま、お芝居の方を先に見ました。まだその時は面白さが分かりきっていなかったですね。

   いちのへ:

   稽古中に、チェーホフに何かこれを聞けたらいいのになって思う事はありましたか?

   KARA:

   大きくは、「これでいいんだよね?」っていうことを何度も聞きたくなりましたよね(笑)。自分で仮説を立てて進めていても、やっぱり日本人が演じているのもありますし、役者も悩みながら演じていますし。「こっちよりも、こっちのほうがきっと観客は喜ぶだろうな」っていうラインに自然に引っ張られてくみたいなことが僕も役者もあって、でも、それをやってしまうと同じになってしまうんですよ。従来の日本でさんざん演じられてきた、重くて、湿っぽいチェーホフになってしまうから、引き戻す。で、引き戻す際に「よし、それでいいんだよ」っていうチェーホフ言葉、聞きたくなりますよね。

   いちのへ:

   今バランスの話しが出ましたが、すべての女性方が、自分のなかに、ニーナとアルカージナの両方を持っていると思うんです。同様に、創作者はみんな心の中に、トレープレフとトリゴーリン、その両方持っていると思うんです!<KERA meets CHEKHOV>プロジェクトを、トレープレフとトリゴーリン、何パーセントくらいの割合でやっていこうと思っていらっしゃいますか?

   KERA:

   観客を拒絶するでもなく、観客におもねるでもないバランス感覚。それはつまり、観客と共有できるものも自分の中にいっぱい持っているし、そうでないものもいっぱい持っているということ。それをどういうバランスで出して行くかという事自体が、自分の演劇に携わっていく部分での生き方の、最重要課題だと思うんですね。そこを間違っていたら、今の自分はなかったんじゃないかと思うんですよ。割り切ってエンターテイメント路線を突っ走って行くことも、あるいは助成金だけでやっていくような芸術家になってしまうことも、どっちに転ぶ事も出来ましたからね。でも、そのどっちにもなりたくないっていう。

   観客が喜んでくれれば、それはもちろん嬉しい。音楽で言えばサザンやユーミンみたいな音楽を作れるミュージシャンだったら良かったんですけどね。でも一方で、「これは誰も分かってもらえないだろうな」っていうことが面白くて仕方がなかったり、主張したくて仕方がなかったりという自分もあるので。だから、『かもめ』のトリゴーリンとトレープレフという二人の登場人物の間を行ったり来たりしている感じで・・・その時その時で違うんですよ、何対何かという比率はね。そういう人間が手がけるのには最適なんじゃないですか、チェーホフは。

   やっぱり、そのときに何をやりたいか、ですね。で、それは、その直前に何をやっているかとか、そのときに自分がどんな環境に置かれているか、どんな世の中になっているか、テレヒでどんなニュースが流れているか、知り合いからどんな連絡やメールをもらったかとかやりとりをしたか、電話をしたかとか、そういうことひとつで大きく変わってくるもので、それがたぶん自分でも分からないのが面白いんじゃないかな。

   いちのへ:

   チェーホフはこの『かもめ』という作品で出逢った女優オリガ・クニッペルと結婚。彼女に捧げる作品として、『三人姉妹』を書き、実際に次女マーシャ役を、そして『桜の園』のラネーフスカヤ役をオリガが演じました。

   これから続いて行くケラリーノ・サンドロヴィッチ版の『三人姉妹』や『桜の園』で、昨年結婚された奥様で女優の緒川たまきさんがマーシャやラネーフスカヤを演じる可能性は、現在のところ何%くらいといえそうでしょうか?

   KERA:

   チェーホフはね、うちの奥さんは岩松了さん演出の『三人姉妹』に出演してるんですよ。今回の『かもめ』の稽古中は家に帰っていてもずっと『かもめ』の話をしていて・・・。

   いちのへ:

   お家でも、お仕事の話をなさるんですね!

   KERA:

   しますよ。共有する価値があるというか、彼女にすごく助けられる芝居もすごく多いです。でもまったく力になりようがないものもありますが・・・たとえばナンセンスコメディの相談をしても無駄ですね。「あんたには分からない」みたいな(笑)

   人間ドラマはわりと、奥さんに限らずいろんな人と深くその作品の話をすると、「自分の持っている感情のレパートリーなんてたいしたことないな」ということを気づかされますね。そういう意味で、奥さんは毎回、影のスタッフにはなってくれていますね。今回のチェーホフ上演プロジェクトの残りの3本でどうかっていうのは・・・まあ可能性としてはなくはないかもしれないですけど、実はキャスティングの多くはプロデューサーが握ってるもので(笑)

   いちのへ:

   それでは最後に、ロシアで上演してみたいなんていうお気持ちはありますか?

   KERA:

   そうですね、自分の芝居をロシアの方々がご覧になってどう思うかっていうのは興味ありますよね。アメリカ人の反応はだいたい分かるんですよね。ヨーロッパの人たちが喜ぶであろうこともなんとなく分かるんです。ただ、ロシアの人はどう思うんだろう?

   今回マールイ劇場の公演の映像を見たんですが、やっぱり素晴らしいですよね!生で見たいなって思うし、興味はすごくありますね!どっちがいいかは分からないですけど、実際にロシアに行くと、体感すると、作るものも変わるでしょうね。まだ3本あるから、中間でロシアへ行ったら後半がガラッと変わったりして面白いかもね(笑)

   いちのへ:

   それも面白そうです!<KERA meets CHEKHOV>を通じて、私たちも新しいアントン・チェーホフに、そして新しいケラリーノ・サンドロヴィッチさんに出会っていきたいなと思います。ありがとうございました!

    

音声ファイルをダウンロード

 

  •  
    シェアする