2014.01.29 , 15:18

   ロシアの民俗音楽熱は冷めやらない。先ごろモスクワで行われた若手演奏家のコンクール「モスコフスコエ・ヴレーミャ(モスクワの時)」ででは、首都から北東に300キロ離れた小都市シュヤから参加したグループが一気に3つものグランプリを獲得した。このグループはコンクールの大多数の参加者とは異なり、ロシアの民族舞踊と歌の両方を披露している。グランプリを獲得した一人に、弱冠13歳の中学生、アナスタシーヤ・シガノヴァさんがいる。

シュヤ市

でナースチャ(アナスタシーヤの愛称)はすっかり有名人となった。彼女は普通学校に通う7年生で、学業と平行して音楽、ダンスを学んでいる。ナースチャにとってはシュヤにくる観光客を相手に出演するときが演技を磨くチャンスだ。バヤーン(ロシアのアコーディオン)で伴奏するのはおじいさんのユーリー・ゴルシコフさん。ゴルシコフさんは以前はシュヤ市の歌謡舞踊民俗アンサンブルの一員としてソ連各地を回り、ヨーロッパでもドイツ、フランス、フィンランド、スペインで出演した経験がある。そのアンサンブルを指導していたイヴァン・フォミンさんは、ソ連国立舞踊団の創始者としてあまりに

有名な舞踊振付師

のイーゴリ・モイセーエフと親交が厚かった。現在ゴルシコフさんはシュヤ市の子どもアンサンブルで伴奏しているが、そこに孫のナースチャも参加している。アンサンブルはロシアの有名な民謡、舞踊のほか、地元色を押し出したオリジナルナンバーもレパートリーに加えている。ゴルシコフさんは伴奏をするほか、孫と一緒に踊りも歌も練習している。

   「ナースチャのおかげで人生に新たな息吹が吹き込まれましたよ。この子は才能も高く、頑張りのきく子です。私たちは観光客の団体に15-20分のショーを見せていますが、これを私はいろんなジャンルを含んだプログラムにして、ナースチャがジャズバンドと一緒に踊り、歌い、より広く自分の可能性を披露してほしいと思っています。」  

  ゴルシコフさんは1月1日から8日のお正月休暇の間、ナースチャと一緒に毎日2-3回のコンサートを合計13回もこなしたと話している。コンサートの会場となったのは地元の観光名所である19世紀末に建てられた企業家、ミハイル・パヴロフの豪華な私邸 (ビデオ)。この人物は企業家で裕福な商人として名を上げ、シュヤ市に多くの貢献をなしたため、名誉市民の称号を得ている。ミハイル・パヴロフは農民の出だが、資金を貧者の施設や教会の建設に投じ、画家たちを援助して町の教育を育成した。パヴロフ邸の優美な内装は当時のロシアで秀逸とされた建築家らによって作られたもので、これがナースチャ・シガノヴァの演じるロシア民謡、舞踊と見事に調和したため、観客は大喝采を贈った。そしてこのお正月休みで稼いだお金を出演者らはモスクワで「モスコフスコエ・ヴレーミャ」コンクールに出場するため、その渡航費用に当てたのだ。ゴルシコフさんは何が何でもコンクールで1位を狙うことに目標をしぼったわけではなかったものの、それでもナースチャはグランプリをとってしまったと語る。孫のナースチャのほうは、グランプリをとるのは、やっぱり簡単ではなかったものの、コンクールではまったく上がらなかったとして、次のように語っている。

   「私たちは『エガルスクー・マーチ』、『マーシャが森に行った』、「チャストゥーシキ(4行から成るロシアの俗謡)」を歌ったんですけど、これはみんな私たちのオリジナルなのです。」

   ナースチャとおじいさんがこのモスクワのコンクールで獲得したトロフィーはグランプリだけではなかった。高い才能を有すこの少女にグネーシン記念ロシア音楽アカデミーの教授陣らは注目し、アカデミー付属音楽学校に入学するよう勧めたのだ。ただし、入学はあと2年後。ナースチャが9年生を卒業してからの話だ。

そんなわけでナースチャとおじいさんは入学までは、グネーシンの卒業生、関連者らがヴォルガからシベリアまでのロシア全土で繰り広げる関連のイベント、コンサート、フェスティバルに参加しようと考えている。

 

   ビデオの提供者:アンドレイ・くチェロフ

 

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