2014.04.26 , 16:22

核の安全性文化を最優先に

核の安全性文化を最優先に

4月26日は放射能大事故とその犠牲者を悼み、思い起こす日だ。

   28年前のこの日、ウクライナのチェルノブイリ原発で起きた事故は人類史上最大の技術災害の象徴となった。それからちょうど25年たった2011年3月11日、今度は日本の福島第1原発が大地震とその後発生した津波によって事故を起こした。

   研究者らは、この2つの事故はまったく異なるものだと語る。実際、技術的に2つの原発は一連の原則的な差異を有している。事故原因とそれが発展したシナリオは比較できるものではない。だがチェルノブイリの事故も福島の事故も一連の共通する法則性に影響した。「人的ファクター」や予見不可能な天災からの信頼性のおける保護がないこと。事故処理員らの勇敢さと茫然自失となった政権。放射能汚染ゾーンにいる人間に与える強い心理的ストレス。二つの事故は最も危険度の高いレベル7と断定された。結果として、どの事故でも環境に放射性物質がばらまかれ、これがエコロジーと国の電力供給に多大な損失を与え、健康に脅威となることから大規模な避難が余儀なくされた。

    国連の調べではベラルーシ、ウクライナ、ロシアの住民のなかに事故で被爆した影響による甲状腺がんの発病例が6000例みられる。日本では福島県の26人の児童に甲状腺がんが見つかり、さらに49人に甲状腺がんの第1段階の発病例が確認された。だが未だに、この悪性腫瘍の発病と2011年の原発事故との関連性は未だに確証されていない。

    チェルノブイリの事故と福島の事故は核の平和利用に関連して起きた放射性カタストロフィーの最大、最悪の事態となっただけではない。このふたつが核カタストロフィーの最初の事故でも、唯一の事故でもないことは忘れてはならない。1957年、ソ連ではチェリャービンスク州にあった放射性廃棄物の保管庫が爆発し、放射性物質を含む雲が発生した。ソ連時代、この事故が極秘扱いされ、ニュースは伝わらなかった。同年、英国では兵器用プルトニウムを作る2つの原子炉のうち1つで大事故が起き、11トンのウランが燃え、空中に放射性物質が放出されている。最も深刻な事態となったのは1979年米国スリーマイル島の原発で起きた事故だった。原子炉のアクティブ・ゾーンがメルトダウンを起こし、20万人を超える避難が余儀なくされている。深刻な事故は1979年、日本の東海村で原発用燃料製造工場でも起きていた。列挙は実はこれでは終わらない。

    国家調査核大学の教授で、国際学術技術センター、核・放射能安全性問題担当の元所長、ボリス・ゴルデン氏は核の黙示録に至らないために、人類は何を学ばねばならないかについて、次のように語っている。

  「核分野で取られるいかなる決定においても核の安全性を最優先にしなければならない。これはなにか? チェルノブイリ事故の主たる原因は原発運営者側の安全文化が低かったとすることは西側の世論形成には分かりやすく、非常に好都合だった。これで低レベルの安全文化はソ連社会の低い文化の結果という考えが生まれてしまった。これから生まれる帰結は、西側の原子炉はこうした事故はありえないというものだが、声明は最良のジャッジだ。日本は常に世界で最も産業化が進んだ、ハイテク国であり、安全の保障、立証、調整のためのモデルとなってきた。つまり福島の事故までは国際社会は日本の原子力専門家らの安全文化を高く評価してきたのだ。事故後、この評価はかわり、どんな社会構造でも、経済基盤でも、どんな文化伝統があっても低い安全文化はありえることが明るみにされた。安全文化の欠点が事故まで明らかにされなかったのは不幸だった。だがそうした欠点は事故後、はっきりと目に付くようになってきている

 28年間このタームが使われてきたが、それを同義付ける明確な指標は未だにない。安全規定は核物質を取り扱い、核施設を使用する作業員の安全文化だとされている。だが、たとえば決定を採択するもの、政権はこのカテゴリーに入っていないことに注意せねばならない。そのくせ、発展政策、運営機構を構築し、資源を分配する人たち、こうした人たちの活動にも核の安全は大きく依拠しているのだ。」

  国際原子力機関(IAEA)ほか、国際組織の文書に未だに掲げられてこの安全保障文化要求が目的指針に留まっており、推薦的な力も持っていないことは指摘しておかねばならない。

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