「スパイの裏側」プロジェクトでは、公文書館所蔵資料、写真など、初公開の者も含めて、世界史上有名な諜報活動や諜報員の素顔に迫ります

ヴィリー・レーマン(ソ連

コードネーム:ブライテンバッハ

生没年:1884年生、1942年没

ソ連コミンテルン、国際連絡課の監督、メール・トリリッセルによるレマンについての覚書:
「新たな情報源は我々の大きな興味を惹いた。危険はエージェントがほんのわずかでも注意を行った場合、それがあまりにも多くの災いを呼ぶということにある。『ブライテンバッハ』に関する特別条件の件はなんとしても詳細を明らかにせねばならないだろう。」

ナチス国家保安本部職員。ソ連諜報活動のために働くことに自発的に同意し、戦略的情報を流す主要人物となった。ナチス・ドイツのソ連侵攻の正確な期日をソ連政府に流したのは、まさにヴィリー・レーマンだった。ソ連のエージェンシー網崩壊後、スパイ活動がゲシュタポの知るところとなり、銃殺される。


ニコライ・スコブリン(ソ連)

コードネーム「フェルメル」

生没年: 1893-1937

ロシア内戦期、少将として白衛軍側で戦う。パリに亡命。1930年、ソビエト諜報機関との協力に合意。彼の情報により、ソ連で17名の西側諜報員が逮捕される。1937年9月、有名なミッレル将軍誘拐(パリ)に参加。世界史上、傑出した諜報員の一人。


キム・フィルビー(ソ連)

コードネーム「スタンリー」

生没年: 1912-1988

「フィルビーの活動によって、1944年から1951年における西側諸国の多大なる諜報努力は水泡に帰すこととなった。いっそのこと、初めから何もしないほうが良かったのである。」(元CIA職員、M.コウプランド)

ケンブリッジ大学を卒業したキム・フィルビーは1934年、ソ連諜報機関に協力し始める。SIS(秘密情報部)に入り、1944年には英国における対ソ防諜部長となる。1949年から1951年、ワシントンで英国とCIAとの協力を指揮する。彼を中心とする「ケンブリッジ5人組」は世界史上、最強の諜報集団とも言われている。

 

リヒャルト・ゾルゲ(ソ連)

コードネーム「ラムゼイ」

生没 1895-1944

言葉:「赤軍万歳!ソ連邦万歳」絞首刑前、彼は最後にこのように日本語で言ったと伝えられている。

 リヒャルト・ゾルゲは、世界史の中で最も伝説的なスパイの1人として語り継がれている。日本における諜報活動の中心的人物で、1941年モスクワに、ヒトラーが承認した「バルバロッサ」計画とドイツ国防軍の師団数を伝えた。そして同年秋には、日本がソ連を攻撃する意思のない事を打電した。この情報により、ソ連指導部は、極東から首都モスクワ防衛のため、およそ40師団を移動する事が出来た。

 しかしゾルゲは41年10月、日本の警視庁特高一課と同外事課により逮捕され、翌42年、治安維持法違反などにより起訴、44年11月7日東京巣鴨拘置所で絞首刑に処せられた。