01:53 2018年12月14日
アンドレイ ・イワノフ

急逝イワノフ編集長、研究者から相次ぐ無念の声

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社会
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6月19日に58歳の若さで急逝したスプートニク日本語課のアンドレイ・イワノフ編集長。そのあまりにも突然の死に驚き、死者を悼む声はやむことがない。

現在、ロシア戦略調査研究所の副所長でスプートニクにも何度もインタビューを寄せてくださっているボリス・ヴォルホンスキー氏。氏は「コメルサント」紙でイワノフ氏と同時期に勤務していた長年の親友だった。

「アンドレイと知り合ったのは1998年、彼が『コメルサント』紙、外交政策部に入ったときだった。机を並べて働いた年月は10年近くになる。

コメルサント紙ではアンドレイは東アジア、アジア太平洋地域に関しては常に一番の専門家だった。アンドレイのこの地域に対する知識は見事の一言につきる。彼は日本語、中国語を独学でものにしていた。

それといつも彼に驚かされていたことがある。うちの部には8人いたのだが、テキストも書いてしまったし、何もやることはないけれど、編集部が読んで判子をおしてくれるまで席を離れるわけにはいかないという時、部屋の中はがやがやしてくる。みんな大声で話しだし、アネクドート(小話)などいろんな話をし始める。ところがそんな騒がしい中にあってもアンドレイは落ち着き払って読書にふけっていられた。たとえば朝鮮語の教科書に没頭するとか。そうして彼は独りで勉強していた。

だからといって彼は内向的だったとか、社会からはみ出した人間だったとかという事ではぜんぜんない。全く逆だった。自由時間には彼と卓球をしたり、当時のコメルサントの社内にあったサウナに通ったりしたものだった。卓球、上手だったなぁ。でも僕が惨めな思いを味わうほどではなかった。時には僕が勝つことだってあったから。

その後、ふたりともコメルサント紙を出てもつきあいはずっと続いた。『ロシアの声(現在のスプートニク)』で働くアンドレイは定期的にコメントを求めて僕に連絡してきていた。最後に僕らが話をしたのは6月はじめ。彼の突然の死のわずか2週間たらず前だった。

僕らの共通の友人が電話をしてきて、アンドレイがもうこの世にいないといったとき、最初は全く信じられなかった。まだずっと若く、エネルギーに溢れ、人生をこんなに愛している人間がなんだってこんなに急にそこから立ち去れるんだ?

だが残念ながら、こんなこともまた起こり得るのだ。どうか安らかに眠っておくれ。君のことは僕らは永遠に忘れないよ。」

アンドレイ・イワノフ氏、2002年撮影
© 写真 : イヴァノフ氏遺族
アンドレイ・イワノフ氏、2002年撮影

 

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