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    日本、サリン事件の教訓

    日本、サリン事件の教訓

    © Sputnik/ RIA Novosti
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    リュドミラ サーキャン
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    オウム真理教が東京の地下鉄で神経麻痺性ガスのサリンを撒いたテロ事件から20年が経った。日本政府はテロの再発を警戒している。1995年のこの事件では、13人が死亡、6000人が被害にあった。現場に居合わせた人は現在も様々な後遺症に苦しめられている。最新の医学的研究によると、サリン被害者の70%が視力障害に苦しめられているという。

    当局が特に警戒しているのは、オウム真理教の後継組織である「アレフ」および「ひかりの輪」である。両団体とも警察の監督を受けながら、ひと時ほどの幅広さはないものの、活動を合法的に続け、公式サイトを持ち、1500~1650人の信者を抱えている。オウム真理教の教祖で現在収監中の確定死刑囚、浅原彰晃氏は、今も両団体においてかつてと同様の影響力を持っている。しかし、世界最高の教育水準を誇る日本のような発展した社会において、いかにしてこのような教義が生まれ、このような人々が生まれたのか。「ロシア宗教・セクト研究所協会」総裁アレクサンドル・ドヴォルキン氏によれば、そこで用いられる技術はずばり「洗脳」である。

    「不思議な感じのすることだが、オウムの日本における活動は停止されていない。その後継団体は警察の監督を受けながら、それでもある種の法的基盤の上に、法の枠内で、存在し続けている。そしてオウムのほかにも、全体主義的セクトは、日本ではたくさん活動しているのである。経済的・文化的にどれほど進んだ国であろうと、人間は人間である。人生の困難な時期、強いストレスに喘いでいるとき、人は極めて暗示にかかりやすくなる。そこにセクトは付けこむのである。人を自らのネットワークに誘いこみ、様々な洗脳術を仕掛ける。不安定な、危機下の社会では、大規模な勧誘が可能である。うまくいっている社会、発展した社会だと、あまり活動の自由はきかず、したがって、セクトは数が少ない。それでも、あらゆる社会に、彼らはいるのだ」

    ドヴォルキン氏は「古典的」セクトと「全体主義的」セクトを峻別するよう訴える。「古典的」セクトは、たとえばバプティスト派がそれに含まれるのだが、これは比較的小規模で、ある国のメインの宗教的伝統に対抗することをその主要な存在目的とするものである。彼らを社会的に危険なものと呼ぶことは出来ない。しかし、中には、どちらのカテゴリーに分類していいか容易に決しがたい組織もある。一連の兆候から既に「古典的」セクトの域を出ていると見られるものの、なお「全体主義的」それにはなっていないと思われるものもあるのだ。それを跨ぐと宗教的異端がテロリズムに変貌する一線はどこに引かれるのか?ドヴォルキン氏は次のように語る。

    「意識の支配によって、人間の内部の道徳法則を回避する方法が探し出される。催眠状態の人間にある種の動作を強制することは出来るが、殺人を強制することは事実上不可能である。しかし、もし人に、そいつは敵だ、自分を、自分の近しい人を、自分の国を脅かす敵だ、と暗示をかけたなら、その障壁はひと飛びに超えられてしまう。セクトでは、一番重要なのはセクトの幸福だ、との暗示がかけられる。セクトの利益になることこそが、至高の幸福であり、至高の道徳である、と。そうして「加工された」人間は、徐々に、あらゆることが実行可能である、という意識に満たされていくのである」

    いま日本にとってテロ対策というテーマはアクチュアルである。先日はテロ組織「イスラム国」による邦人殺害事件があった。なお、「イスラム国」を一種の破壊主義セクトと見なす専門家もいる。たしかに、美辞麗句による勧誘、洗脳、メンバーの全生活を厳格に管理する傾向、指導者または組織の絶対化・神格化、こうした特徴が指摘されうる。

    さらに、日本は2016年にG7サミットの国内開催、2020年に東京五輪を控えている。元警視総監の西村泰彦氏は、地下鉄サリン事件は日本のテロ対策のターニングポイントとなった、と語っている。事件以前は爆発物または冷兵器の使用の予防ということに力点が置かれていたが、オウムの一件で、核・生物・化学兵器の使用ということが現実的な脅威となった。実際に東京をはじめ10箇所の警察に、核・生物・化学兵器を用いたテロを防止するための特別な部局が作られたのである。

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