いかにして皇帝軍の将軍の孫娘がピオネール隊員となったか

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10年ほど前、日本の有名な外交官、河東哲夫(かわとうあきお)氏が、ロシアの記者らにこう問うた。ロシアのテレビにソビエト映画がしばしば放送されるようになったのは、ロシアがスターリニズムに逆行しつつあることを意味するのでは、と。いやそうではない、と記者らは答えた。

スターリニズムのにおいが立っているわけではいないが、テレビにはますます多くソビエト時代に関する映像作品が映されるようになっている。一方ではソ連に関するノスタルジーを掻き立てる試みであり、一方ではこの多義的な時代を客観的に、偏見なく見直すという試みでもある。いま「文化」チャンネルで放送中のドキュメンタリーシリーズ「窓からの眺め」(ウラジーミル・メレチン監督)    もそうしたもののひとつだ。このシリーズはモスクワの環状遊歩道と、そこに住む驚くべき人々を描いたもの。

第一作「歴史コレクション」はニキーツキイ遊歩道と、そこに住むニーナ・モレワの特集。将軍の孫にして、ニコライ2世皇帝の最後の副官の孫であるこの女性の鮮明なバイオグラフィーの中には、一件調和不可能なものが調和していた。つまり、幸せな、ピオネール隊員としての子供時代と、第二次世界大戦における危険な前線巡業、共産党中央委員会宣伝部の仕事と、18-19世紀芸術の深い研究が。この女性はまた、有名な骨董品収集家でもあった。

ウラジーミル・メレチン監督は作品、またその主人公について次のように述べている。

「構想はずっと前からのものだ。すべてはゴーゴリ遊歩道で過ごした自身の子供時代と結びついている。有名なモスクワの遊歩道を作品化しようと決めた。そこで、単に遊歩道沿いに住んでいただけでなく、その部屋の窓から遊歩道が眺められた人を主人公にしようと、ふさわしい人を探すことになった。ニキーツキイ遊歩道でニーナ・ミハイロヴナ・モレワさんと知り合った。なかなか私を客に招きたがらなかったが、ついに招いてくれたので、行ってみた。感動した、なんてもんじゃない。ホールに入ると、壁中に18世紀最良の芸術品が並んでいる。衝撃的で、信じられないことだった。部屋にはたくさん動物がおり、独特のにおいが漂っていたので、軽い不快感を感じていたが、少し地に足がついた感じだった。なかなかにおいには慣れることができなかったのだ。しかし結果的には、彼女の一生のうちの4つのエピソードから、4つの作品を作ることができた。少年時代、戦争。第三部が前衛芸術家で芸術理論家のエリヤ・ベリューチンとのロマンス。第四部が、パリからやってきた有名な鑑定会社が、今ここでは言えないような金額で査定した、彼女のコレクションの物語だ」。

スプートニク:ニーナ・モレワという現象は一体何なのか。彼女はその生きた時代とどのようにマッチするのか。

「私が思うには、ニーナ・モレワというのは、紋切り型を排した、ひとつの個性だ。その人生の大半がソビエト時代にあたっている。窓の向こうの時代を彼女は生きたのだ。彼女は時代の『対位法』などではなかった。彼女は反体制派などにはならなかった。優秀な学生、素晴らしいピオネールであるにとどまらず、彼女にはアーティストとしての能力もあった。9歳からボリショイ劇場のステージで詩を朗読した。それも、非常に重要なイベントでだ。また彼女はピオネール隊員として第18回党大会で祝辞を述べもした。それから彼女は俳優の一団とともに前線を訪問した。4年間の勤務で、団員の半数が死亡した。戦後、彼女は芸術研究者となった。コムソモールの隊員にも、党員にもならなかった。彼女は違うルーツを持っていた。母方の祖父が皇帝直属部隊の将軍で、ニコライ2世の最後の腹心だったのだ。父方の祖父はスタニスラフスキーとともに俳優として活動していた。しかしそんな彼女が、共産党中央委員会のアジテーション・プロパガンダ課に呼ばれたのだ。ソビエト時代、彼女は必ずしも『共産党(ボリシェヴィキ)史簡略教程』に従わず、独自の善悪観にもとづいて生きていたのかもしれない」。

ニーナ・モレワの驚くべきコレクションに、シリーズのうちの2本が割かれている。コレクションの一部はロシア帝国を生きた先祖からのもの、一部は有名な芸術家である夫からのもの。コレクションは多くの貪欲なまなざしを惹きつけてきたが、ニーナ・モレワはロシアのためにこれを保管し続けた。

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