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    二つの資本 6年前に全盲となった人のエッセイ

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    佐藤賢明。 60才の時、全盲となり6年が経過しました。

    この間様々なことがありました。全盲となり、これからどうなるかと悩みました。それらについては『点字ジャーナル』本年(2016)1月号の記事「白杖片手にロシア再訪記」に少し書きましたので省きます。ところで、全盲になってから私は新しい友人知人と知り合うことが出来ました。これも今後の人生にとって非常に重要なこととなりましたが、私にとってそれより大発見だったことがあります。

    私は文系の人間ですから、まず歴史とくに視覚障害者の歴史から勉強しようと考えました。そこで出会ったのが「当道座」でした。これこそ驚きでした。晴眼者の友人たちに聞いたところ、「そんなの知らない。座頭市やごぜは映画で知っているが」が彼らの答えでした。もちろん、私も同じでした。多分、当道座については視覚障害者と日本中世文化史の研究者しか知らないのではと想像します。

    当道座は、読者の方々はご存知と思いますが、鎌倉時代に生まれそして江戸時代に栄え、明治政府により廃止された盲人の芸能を中心とした、現代風に言えば組合あるいはギルドでした。

    私は、当道座に金融機能があったことに注目しました。当道座は官位制度で、上の位に上がるのにはお金が必要でした。そこで、下位にいる盲人はお金を貯めます。しかしお金を手元に置いているだけでは何の役にも立ちませんから、運用しました。これにより当道座が金融機関としての機能も持ったのです。この資金を座頭官金と言います。

    ところで当道座を記述した文献には〈悪徳高利貸〉などの否定的な前書きが着いています。活動の結果として一部否定的な側面もあったことは否定しませんが、私はこのような機能を持った座が存在し得たこと自体に意義があると考えます。

    金融機関が成立するには、様々な条件が必要です。特に江戸時代の貨幣制度は複雑でした。貨幣には、金、銀、銭の3種類あり、それぞれ単位も異なっていました。それに加えて、経済の中心地大阪では銀本位制、政治の中心地江戸では金本位制が敷かれていました。そこで最も重要なのは、為替、手形などの信用システムでした。信用状だけで多額の金銭のやり取りを行うのですから、これらの経済活動を可能にした基盤が商品貨幣経済、すなわち資本主義です。

    そこで私の本業に移ります。ロシアでは当道座のようなものはなかったのかどうかを調べています。先日モスクワで幾人かの人たちに聞いてみました。すると18・19世紀にヨーロッパ貴族のために設けられた室内楽団にロシアからの盲人が参加していた、と言っていました。それ以前、琵琶に似た楽器のバンヅーラを抱えて演奏する人達がいたけれど、彼らが盲人かどうかわ友人達も分かりませんでした。本稿執筆中、モスクワの盲人図書館から、以前依頼していた中世ロシアの視覚障害者の生活を書いた本の音声CDが出来たとの連絡がありました。盲人の作家・ジャーナリストA.ベラルーコフの著書『幾世紀にもわたる様々な道』(仮題)です。この本は同図書館に1冊しかないとのこと。またそれ以外に資料となる本などをPDFにしてもらいました。19世紀末の資料でページの汚れもひどく、帰国後判読を試みましたがかないませんでした。でも、必ず読み、これら資料を基礎にして調べてみようと考えています。

    ところでモスクワの真ん中にあるレストランに行きました。その名は、レストラン「カピタル」。 そうです、レストラン「資本論」です。店の中に入るとすぐ、マルクスの『資本論』(ロシア語版)があり、それにタッチ出来ます。そしてマルクスの像もあります。多分、微笑顔で歓迎しているようです。

    マルクスやレーニンが望んだ社会主義は平和と民主主義を基にし、そこに生きている人達の格差の無い平等な社会の実現を求めていました。しかし、内外の諸要因で実現できませんでした。ソ連が崩壊し25年たちました。ようやく様々なことを客観的に見る余裕がロシア、それに多くの進歩的な人々の間に生まれてきたからだと私は考えます。

    なお、レストラン「カピタル」のビールはもちろんドイツ製で大変おいしいビールでした。

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    歴史, 日本
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