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    ロマン・キム、ソ連の忍者だった男ロマン・キム、ソ連の忍者だった男

    ロマン・キム、ソ連の忍者だった男

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    リュドミラ サーキャン
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    『人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。重大に扱わねば危険である』芥川龍之介によるこの警句は、ロマン・キムの人生のエピグラフになりえただろう。

    ロマン・キムとは、貴族階級出身の朝鮮系ソビエト人であり、卓越した日本学者、ソ連秘密警察のロシアソ連人民委員会内統合国家政治局の非公式協力者で、スパイ物小説で名を挙げた作家だ。

    ロマン・キムについての入手困難な歴史的資料収集と整理の膨大な仕事を行い、彼の紆余曲折の運命に捧げた本がこのたび、モスクワで出版された。著者のアレクサンドル・クラノフ氏はジャーナリストであり日本学者。クラノフ氏は本を書くきっかけについて、次のように述べている。

    「調査のきっかけになったのは、ロマン・キムが貴族階級出身だという情報や、彼の日本での養育者であった、天皇の図書館の管理者であり次期天皇裕仁(昭和天皇)の養育係だった杉浦重剛についての情報や、また、防諜員としての活動だけではない。調査のきっかけは、キムが、日本人以外で忍術について書いた者の一人だったということだ。

    キムの伝記は全ての事実が矛盾していて信憑性がないにもかかわらず、同時に説得力があり、二重スパイの技術である忍法「袋返しの術」に似ている。100%確証済みの文書から成り立った、ロマン・キムの伝記をこの本から期待している人は、失望してしまうだろう。

    彼の人生と言う布は、文字通りのばらばらの切れ端を手ずから丹念に縫い合わせる必要があった。それは、裏付けのない情報、矛盾する回想、故意か偶然かもつれあった資料といった切れ端だ。

    キムは私達の前に朝鮮の愛国者として現れ、ソ連秘密警察のメンバーとして現れ、時には彼の行動の唯一の論理的な説明が日本への諜報活動でしかあり得ない時もある。この本は、ロマン・キムの名に関係する疑問の全てには答えてはいない。だが、将来それらの疑問に答えが出ることを、そしてこの本がそのきっかけになることを願う。」

    ロマン・キムは1899年8月1日ウラジオストクで生まれた。彼の両親は迫害を避けウラジオストクに亡命し、そこでロシア国籍を得た。キムの母は朝鮮王朝の凋落した国王高宗の妃、閔妃の遠い親戚に当たり、キムの父は高宗国王の元出納係の一人で、ウラジオストクでは大商人になった。影響力のある日本人の知り合いの助けを得て、キムの父は7歳になる息子キムを日本の名門慶應義塾幼稚舎に送ることができた。

    1917年、青年キムはウラジオストクに戻り、極東大学に入学した。当時のロシアは革命と内戦の最中にあったことから、才能があり、日本通でもあったキムは赤軍にも、白軍にも、また外国の特殊部隊にも興味を持たれた。1923年、キムは大学卒業とともにモスクワに移り、東洋学院で日本語と極東の歴史の教師として教鞭をとりはじめた。まさにこの年から、キムの論文『日本のファシズム(日本からの手紙)』や、現代日本の知識階級についての一連の論文が出版されている。続けて世に出始めたのが露訳では初めての芥川龍之介の小説だ。さらに、この時期にはキムはすでにソビエト防諜員の非公式協力者として数えられていた。

    米国から供給されたM4中戦車、通称「シャーマン」
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    興味深いことに、1937年キムは特に価値ある情報と「大使館付き武官の金庫からの機密文書を押収」したことに対し赤星勲章を授与されるが、同年日本側のスパイの疑いで逮捕されている。第2次世界大戦をキムは秘密警察の収容所の中で迎え、そこで機密文書を訳し続けた。1945年12月29日ロマン・キムは自由の身となり対日本戦勝記章を授与した。

    1951年には小説家としてのロマン・キムが「生まれ」、次々にキムのスパイ物小説が出版された。『切腹した参謀たちは生きている』『広島からきた少女』『特務機関員』『幽霊学校』などだ。また、真珠湾攻撃計画の日本外交暗号がアメリカの諜報機関の手に渡ったことを主題にしたキムの長編小説『読後焼却すべし』は世界的センセーションを引き起こした。

    さて、ロマン・キムとは一体誰だったのか。学者か、作家か、スパイか? クラノフ氏はさらに、次のように語っている。

    「私の理解では、彼自身、本物の忍者だった。しかし、それは映画に出てくるような、ぴったりとした黒装束を着て手に中世的な殺人道具を持った忍者ではなく、キムが理解した『忍術とは目くらましの術だ』という言葉のような忍者だ。キムは誰にも自らの人生の真実を語らなかったため(キムは1967年5月14日モスクワで亡くなった)、彼の伝記を再現するのは私たちの役目になる。そしてこれは、正直に言うが、手に汗握る仕事だ。なぜなら彼が書いた最高の探偵小説は、彼自身のたどった人生だからだ。」

     

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    歴史, 露日関係, 日本, ロシア
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