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    鳩山邦夫氏

    日露に大損失、「鳩山邦夫さんは本当にロシアの事を分かっている人だった」

    © AFP 2018/ Toshifumi Kitamura
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    6月24日、ロシアは長年日本との太いパイプ役となっていた日本の大事な友を失った。日本・ロシア協会会長の鳩山邦夫氏の死は露日関係に携わる人々に大きな衝撃を与えた。 鳩山邦夫氏の逝去を悼み、同協会で理事を務める佐藤賢明(サトウ・タカアキ)氏が特別にスプートニク通信に宛て、追悼文を送ってくださった。佐藤氏は鳩山邦夫氏に近しい人間にしか書けない深い情のこもった文章を書いてくださった。ご厚意に感謝し、ここに全文ご紹介します。

    視覚障害者で日本ロシア協会理事佐藤賢明(サトウ・タカアキ)です。

    東京・青山葬儀場で今年6月21日亡くなった鳩山邦夫日ロ協会会長を偲ぶ会が自民党と鳩山家の合同実行委員会主催で7月12日、行われました。以下、その時の事、思い出も含め、鳩山会長のことを書きます。なぜならば、傍にいて働いた者の務と考えるからです。

    私がまだ目が見えている頃、ロシアから代表団が来ました。都内のホテルの会議場で会いました。私が通訳していました。会議は終わり雑談に入る時でした。すると会長が突然「ミヤ・ザブート・クニオ・ハトヤマ」(私の名前は鳩山邦夫です)と言われました。私は直分かりました。その発音の正確さでした。日本人が会話集などでカタカナで練習したのとは違いました。ロシア側代表団は大喜びでした。会長は続けて「大学に入り第二外国語にロシア語を選択しました、そこには現在H大学で教えているS君も一緒でした。彼は良く出来ましたが・・・。」。そうです、鳩山家ではロシアあるいはロシア語は特別の意味を持っていたのです。

    あと一つ。奥様のエミリーさんの事です。

    日ロ協会の代表団でモスクワ大学に行きました。本部の建物の前の階段の段数が多く高かったのです。当時、私の目は相当悪く成っていました。今でもそうなのですが階段が一番怖いのです。するとエミリーさんが手を添えてくれました。

    その後、目はますます悪く成り教えていた大学も辞めました。

    それから数年後、毎年恒例の鳩山会館での桜の会に久しぶりに参加しました。目が見えないので白杖をもって立っていると手が伸びてきて私をあるテーブルに導きました。そこではエミリーさんが参加者に食べ物をお皿に盛って渡しているのでした。その作業のあいまに「佐藤さん、あなたは私に対する義務を果たしていません」と言われ、私は「え・・!」、

    「モスクワで頼みました。日本に帰ったらロシア語を勉強したいので、教えて下さいと」。正直私は忘れていました。その後何回か桜の会がありましたが所用があり参加できませんでした。

    そこでこの偲ぶ会に一言でもと思いましたが、手を握るだけでやはりダメでした。

    本当に惜しい人、そしてロシアの事を分かっている人を亡くしました。日ロ関係において大きな損失です。

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    露日関係, 日本, ロシア
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