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    南京にて、南京大虐殺の犠牲者のメモリアル

    ユネスコ分担金支払い保留:日本は、中国人の記憶から歴史を払拭したいのか?

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    タチヤナ フロニ
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    日本は、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の分担金支払いを一時停止した。保留した金額は44億円(4200万ドル)である。ユネスコの「記憶遺産」プログラムの枠内に登録された資料が問題となっている。

    岸田外相は、様々な要素を総合的に判断して、こうした決定を下したと伝えた。外相は、日本がユネスコ分担金の最大拠出国であることから、この措置はユネスコにとって重い打撃となるだろうと見ている。どのような要素が、日本政府のかくも大げさな決定に影響を与えたのだろうか? 日本の政治家達は、まず第一に、中国の南京で1937年に日本の軍部が行った殺害行為を裏付ける証拠が「記憶遺産」のリストに入れられたことを不満としている。

    南京虐殺は、日中関係において特別デリケートな問題である。日本政府は、南京虐殺に関する資料を「記憶遺産」のリストに含めないよう、ユネスコに執拗に求めた。なぜならば、日本側の考えでは、この問題が政治利用されているからである。日本側のそうした厳しい反応は、日本政府にとって、中国本土での日本の戦争及び軍国主義に関係した歴史的過去が、どれほど痛みを伴う問題であるのかを、今一度証明するものとなっている。

    ロシア科学アカデミー極東研究所日本調査センターの責任者、ワレーリイ・キスタノフ氏は、日本は、他国に対する自分達の侵略について思い起こさせるどのようなものにも、文字通り銃剣を持って受け入れていると形容した。これは、過去における日本の侵略について若干見直したいとする現政権の路線と関係したものだ。今回のユネスコ分担金支払い保留という形での不満感の表明も、この路線が現実化しつつあることを裏付けている。

    キスタノフ日本調査センター長は、次のように述べている-

    「日本は、南京虐殺があったことは否定していない。しかし殺された人達の数については(日中間で)大変大きな隔たりがある。中国側の学者は、南京虐殺の犠牲者は30万人であると強く主張しているが、日本側は3万人を超えていないとし、双方の間の悲劇の評価は著しく食い違っている。しかしこの場合、専門家達は、問題は数字ではないと考えている。たとえ犠牲者の数が3万人であったとしても、いずれにせよこれは、軍人というよりはむしろ主に平和的にくらしていた女性や老人、子供など一般人に対する残酷な大量殺人であった。その際よく知られているように、日本の軍部は、銃弾を無駄にしないよう命令を出した。それゆえ人々は主に、銃剣や日本刀で殺された。それゆえ問題は、数ではなく、残忍な犯罪が実際に行われたという点にある。おまけに、この犯罪行為には全く根拠がなかった。日本人は、そうした意見にも耳を傾けたがらない。強制的に日本兵の売春宿に連れて行かれた慰安婦について、耳をふさごうとするのと同様にだ。韓国の活動家グループもまた、ユネスコの『記憶遺産』に、慰安婦問題に関する資料を申請している。

    このように述べたキスタノフ氏は「しかし、つい最近、日本人が、登録リストに所謂『白樺日記』を含めるよう提案したことを思えば、日本の反応は、全く論理的ではないと思われる」と指摘し、次のように続けた-

    「これは、ソ連で捕虜になった旧日本軍人らが書いた日記で、彼らは、白樺の皮にそれを記したため『白樺日記』と呼ばれている。日記は保存されており、実際、捕虜となった毎日の苦しさを証拠立てるものだ。しかしこれをユネスコの『記憶遺産』のリストに登録したいとの立場には、歴史に対する日本政府のアプローチのダブルスタンダードが示されている。一方で日本は、他の国々が、彼らに大陸における中国人あるいはコリア人に対する日本軍国主義の犯罪を思い起こさせようとするのを欲しないのに、他方では、ソ連で捕虜になった旧日本軍人の記憶を永久に伝えたいと欲している。よく知られているように、旧日本軍人の多くは、実際亡くなられた。しかし彼らは、病気や辛い労働で亡くなられたのだ。銃殺されたり、あるいは何らかの辱めを受けて亡くなったのではない。日本軍人が、自分達の日記を書くチャンスがあったという事実自体、南京で大量に殺された中国人の場合とは、彼らは違った状態にあったことを物語っている。強制的に売春宿に送られた韓国の女性達とも違う。まして日本軍人は、後になぅて、船で無事日本に帰還した。そしてその際、彼らが持って行こうとしたものが奪われることはなかった。」

    こう指摘したキスタノフ氏は「捕虜であったにもかかわらず、日本軍人の多くは、自分の心の中にロシアに対する温かい関係を作り出し、その後ロシアの友人となることができた」とし、さらに次のような思い出を語った-

    「私は、大阪と東京で数年働いた。その時、捕虜となった旧日本軍人の方と何回かお会いすることになった。その際、そうした方々から、彼らがロシアで捕虜になぅっていたことからくる何らかの敵意を、私は感じたことはなかった。それを示唆するような事もなかった。あべこべに私に対する、何らかの特別の注意や温かい思いを示してくださった。何かノスタルジックな感情に支配されていたのかもしれない。日本の軍人捕虜の方達が、多くのロシアの歌を故郷に持って行ったことを、思い出せば十分だろう。そうした歌は、今での日本でかなりよく知られている。日本の共産党が、ソ連から帰国した軍人捕虜のおかげで、1950年代に自分達の隊列を大きく拡大したことも、雄弁に物語っている。少し後に、日本とロシアの友好を目指すいくつかの団体ができたこともそうだ。そうした団体のメンバーのかなりの部分は、祖国に帰還した旧日本軍人だった。」

    キスタノフ氏の意見によれば、日本がユネスコ分担金の支払いを一時停止しても、結局、南京虐殺についての思い出を中国人の記憶から抹殺することにはならない。肝心なことは、ああした悲劇を二度と繰り返さないよう、歴史の最も恐ろしいページとして、共に学ぶことである。

    なお記事の中で述べられている見解は、必ずしも編集部の立場とは一致していません。

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