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    プリピャチ市のグラフィティ

    目に見えない死 チェルノブイリの悲劇の結果を目にしたスプートニクスタッフ

    © AFP 2018 / Sergei Supinsky
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    スプートニク日本のスタッフ、アーラ・ソロヴィヨーワは、笹川財団および日本財団が行った、チェルノブイリの子ども達を支援するボランティアプログラムで1991年から2006年にかけて通訳として働いた経験をもつ。チェルノブイリで見聞きしたことは、忘れることができない。故郷を離れざるを得なくなってしまった人々の悲劇、廃墟となった村、放射能の影響で病気になった子どもたち…これらの悲劇は絶対に繰り返してはならない。

    スプートニク日本

    「人為災害」いう言葉を聞くと、恐ろしく破壊された情景が頭に浮かぶ:ねじ曲がった金属の山、破壊された建物、なぎ倒された木々・・・ しかし、チェルノブイリ原発事故から5年後、大惨事の中心地を訪れた私の目には、それらしいものはまったく映らなかった。私たちを乗せたバスは、深い森に囲まれた平坦な道路を平和に淡々と進んでいた。恐ろしい大惨事の現場が近づいているような兆候はなにひとつ見当たらない。ただ、ひどく口が渇き、舌を動かすのが辛い。急に風景が一変した。緑の木々は不自然なオレンジ色の枯れ木に変わった。右側には突然、掘り起こされた土塁の上方に、ろうそくのように真っ直ぐで背の高い木が長い列をなしているのが見えた。まるで、オレンジ色の段ボールを切り抜いたかのような姿だ。4号炉の爆発後、これらの松の木は大量の放射能に晒され、火もないのに、焼け焦げて立ち枯れた。ブルドーザーがその木をなぎ倒し、地面に掘った穴に埋めた。

    原発爆発の後、住民が退去した無人の街、プリピャチ
    © Sputnik / Grigory Vasilenko
    原発爆発の後、住民が退去した無人の街、プリピャチ

    プリピャチに到着した。私たちはバスから降りた。サイレント映画はまだ終わらない。真っ平らなアスファルトの道路が、きれいな壁画で飾られたおしゃれな住宅の前の児童公園へと続いている。しかし、ブランコにも、メリーゴーランドにも人影はなく、子どもの笑い声もはしゃぐ姿もない。きっちりと閉じられた住宅の窓には、外の様子を眺める人の姿もない。この住宅はまるで建設されたばかりで、まだ入居が始まっていないかのようだ。文化会館の入口の前には、結局開催されることのなかった1986年4月27日のコンサートのポスターが、少し色あせてガラスケースの中に掲示されている。少し向こうには、巨大な観覧車のそびえる遊園地がある。おそらく世界で唯一、一度も動いたことのない観覧車だ。というのも、遊園地の開園は1986年5月1日に予定されていたからだ。頭の中が完全に混乱している:なにひとつ壊れたものはなく、すべてがきちんとしており、プリピャチの町は人が快適に暮らせるように建設されているのに、ここには誰一人として人がいない!こんな奇跡のような町を捨てて逃げるなんて、よっぽど恐ろしいことが起こったに違いない!急に恐怖が襲ってきた。見ることも聞くことも触れることもできない敵は、明らかな敵よりも恐ろしかった。

    巨大な観覧車のそびえる遊園地
    © Sputnik / Evgeny Kotenko
    巨大な観覧車のそびえる遊園地

    それから5年後の1996年、私は日本のテレビクルーと一緒に再びチェルノブイリ原発を訪れた。日本人は番組の最初のエピソードをプリピャチで撮影していた。私は再び、誰もいない町を歩いてまわった。ここを奇跡の町と呼ぶことはもう難しくなっていた。ひび割れたアスファルトにはしぶとい草が生え、きれいに手入れされた辻公園や小道はほとんど面影を残しておらず、ブランコは錆びついていた。マンションの正面入口は灰色に色あせて、ところどころカビも生えている。奇跡の町は、元住民のいつか戻りたいという希望を葬り去り、徐々にゴーストタウンへと姿を変えていた。テレビクルーは次のシーンを、爆発した4号炉の門のすぐそばで撮影しようとしていた。石棺へとつながる鍵のかかった鉄製の門のそばには、またしてもチェックポイントが置かれている。それは小さな小屋で、入口には幅の広いコンクリート製のひさしが付いている。私たちと会話をしながらも、警備員がこのひさしで覆われた小さなスペースの外には一瞬たりとも出ないことに気がついた。それが奇妙に思えたが、線量計がその理由を説明していた。線量計はコンクリート製のひさしの下にひとつと、小屋の門側の外壁にひとつ設置されていた。その数値の差にぞっとした。地面から立ち上がる温かい蒸気に軽く揺らいだ4月の空気は、警備小屋のどちら側でも同じように澄んできれいだった。ただ、一方の空気は命を約束し、もう一方には見えない死が身を潜めていた。私は目を凝らして手を伸ばし、生死の境がどこにあるのか見つけようとしたが、わからなかった。しかし、絶対に死にたくはなかったので、私も警備員と一緒にコンクリート製のひさしの下に入った。

    ベラルーシのゴメリ州では、すべての村が避難区域に指定された。しかし、全員が自宅を去ったわけではない。ゴメリ市からバスで3時間行くと、そこは花咲く楽園だ。りんごの庭の間に静まりかえった家々が建ち、背の高い煙突がそびえている。これらの煙突から煙が立ち上らなくなってもう久しく、煙突はコウノトリのお気に入りの場所となっていた。ほぼすべての煙突に巣が作られ、そのすぐそばには真っ白なコウノトリが「気をつけ」のポーズで直立している。なにひとつ、そして誰一人として彼らの邪魔をするものはない。美しいが、生気のない風景だ。自然は素晴らしい!しかし、人がいなくなると、生気も失われる。

    チェルノブイリ事故の後に生まれた男の子
    © AFP 2018 / Timur Grib
    チェルノブイリ事故の後に生まれた男の子

    80歳のピョートルお爺さんは村に残った一人だ。かつては地元の学校でドイツ語の教師をしていた。80にもなると、死を落ち着いて考えられるようになるもんだ、とピョートルお爺さんは言う。彼の趣味はドイツの哲学書を原書で読み返すことだ。ほかにも、ロシアやベラルーシの本もある。また、私たちはピョートルお爺さんの家でバヤンの教本も発見した。お爺さんは独学で楽譜を覚え、今ではちょくちょくバヤンを弾いて楽しんでいる:弾き歌いをするのだ。けれど、彼にはそれほどたくさん自由な時間があるわけではない。牛の群の面倒を見なければならないのだ。ピョートルお爺さんには牛との約束がある:お爺さんが牛に冬場の寝床を提供するかわりに、牛たちは自分で食べ物をとってくるというものだ。夏は近所の林や草原で草を食み、冬は夏の間にお爺さんが刈っておいた干し草を雪の下から掘り出して食べる。ピョートルお爺さんが自分の発明したものを見せてくれた。広い牛舎に扉の代わりに重くて分厚いカーテンが付いているものだ。牛はそのカーテンを簡単に角に引っかけて開き、自由に牛舎から出入りする。当初、お爺さんが飼っていたのは雌牛一頭と仔牛一頭だけだった。その後、仔牛が立派な雄牛に成長し、最初の子孫が誕生した。牛の出生率を管理する者は誰もいなかった。そのため、人気のなくなった村で10年が経つうちに、二頭しかいなかったお爺さんの雌牛と仔牛は、少しばかり野生っぽいところはあるが、仲の良い大所帯へと成長したのである。ピョートルお爺さんは新鮮な牛乳が飲みたくなると、乳牛のところへ行って、大きな金属のコップに直接牛乳を搾り入れる。キノコやベリーも塩漬けにしたものや乾燥させたものが備蓄されている。ましてや、こうしたものは周りにいくらでもあった。何しろ、避難区域では森を散策する人もいないからだ。お爺さんにとって、むしろ大変だったのは小麦粉と塩と砂糖を手に入れることだった。しかし、お爺さんは地元政府に掛け合い、年金をお金ではなく食料品で支払ってもらうようにしていた。そのため、お爺さんは月に1度、決められた日に、村からほど近くを走る大通りに出て、彼のために運ばれてくる袋を受け取っていた。パンはピョートルお爺さんが自分で焼いていた。

    ベラルーシ領にある避難ゾーンの墓にて、老夫婦
    © AFP 2018 / Victor Drachev
    ベラルーシ領にある避難ゾーンの墓にて、老夫婦

    私はチェルノブイリゾーンに行っても、新しい印象を持って帰ってくる以外には、何も持って帰ってきたことがない。ただ一度だけ、ベラルーシで避難区域に指定された小さな村に住むヤニナお婆さんからプレゼントをもらったことがある。ヤニナお婆さんは、長く幸せな--と彼女自身は言っている--人生を通してずっと、世界一のベラルーシの亜麻を育ててきた。チェルノブイリ原発事故後、亜麻と小麦が豊富だった彼女の村は死に始めた。若者は、農民から労働者に鞍替えすべく都会に出て行き、親戚のところに行った人もいれば、より良い生活を求めてまったく違う地方に行った人もいる。しかし、ヤニナお婆さんは大好きな亜麻と別れることができなかった。彼女は家の裏の土地を耕し、毎年、亜麻の種をまき続けている。ヤニナお婆さんは亜麻糸でハンカチやテーブルクロスを編み、市場の立つ日にそれを売って、少しながら生活の糧にしている。ヤニナお婆さんは、ベラルーシ人が皆そうであるように、おもてなし上手であり、お土産を持たせずに客人を帰すことができなかった。こうして、私の手元には、ヤニナお婆さんが自分で育てた亜麻で編んだ、小さなレースのハンカチがある。

    アーラ・ソロヴィヨーヴァに贈られた亜麻のレース
    © 写真 : Dmitry Romanov
    アーラ・ソロヴィヨーヴァに贈られた亜麻のレース

     

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