15:51 2018年11月21日
マイダン広場

「マイダンですべての標的に発砲」:キエフでデモ参加者を撃ったグルジア人スナイパーたちの証言

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2014年2月20日、ウクライナの首都キエフのマイダン(独立広場)で何者かが狙撃し、抗議デモの参加者49人と治安機関職員4人の計53人が死亡した。野党指導者や米国及びEUの代表者らは瞬時に「当時のウクライナ大統領ビクトル・ヤヌコヴィチ体制」を非難した。だが未だに犯人は見つかっていない。通信社スプートニクの記者は、マイダン(キエフを中心に発生した反政府デモ)の指導者から発砲を命じられたと主張するグルジアのスナイパーらと会った。彼らによると、さらに集まっている人々を激昂させ、政治的危機を引き起こすために、警官だけでなく、抗議デモの参加者たちをも射撃せよという直接の指令があったという。

スプートニク日本

マイダンでの狙撃にグルジアのスナイパーらが関与していることについて最初に発言したのは、グルジアのミハイル・サーカシビリ前大統領のきわだった敵対者で、グルジア軍エリート部隊の元指揮官トリスタン・ツィテラシビリ将軍だ。ツィテラシビリ氏はスプートニクに次のように語ったー

「マイダンにグルジア出身者がおり、意図的に彼らに発砲を指示したことについて私は2014年の時点ですでに知っていた。彼らの一部はグルジア軍の私の部下だ。何人かは今もウクライナ領内におり、戦闘に参加している。グルジアに戻った者たちは、このことを話すのを恐れている!不必要な証人として簡単に抹殺されるからだ」。

  • マイダンの参加料金

グルジア軍の元将校コバ・ネルガゼ氏は、その1人だ。同氏はスプートニクのインタビューで次のように語った-

「我々は公式的にはトビリシ(グルジアの首都)で行われたデモでサーカシビリ氏の支持者と反対者が衝突しないよう警備をしていた。だが実際、我々には反政府デモを鎮圧するという任務が与えられた。必要な場合には、指揮官の指示に従って我が部門の職員らが野党指導者らを殴打した。通常、我々はこのような行動を覆面をかぶって行う」。

またネルガゼ氏は「料金」についても語った。例えば、野党議員の殴打に対して1000ドルが支払われたという。

マイダンのデモ参加者を支援するためにウクライナのキエフに向かったネルガゼ氏のグループには、1万ドルが拠出された。出張から戻った後にはさらに5万ドルを支払うと約束された。なお、ネルガゼ氏らは他人のパスポートでキエフに到着したという。

またネルガゼ氏によると、「酔っぱらうことがないよう秩序を守り、規律を維持し、政府側の扇動者を特定するという課題が我々に与えられた」という。

同氏は、すでにデモ参加者の管理下に置かれていたキエフのホテル「ウクライナ」で新年を迎えた。

さらにもう1人、騒動の最中キエフに到着した元グルジア兵がいる。それはアレクサンドル・レヴァジシビリ氏だ。同氏は、グルジア軍で勤務した後、サーカシビリ氏の支持者団体「自由ゾーン」の活動家になった。レヴァジシビリ氏は自ら「野党の中に入り込んで喧嘩や挑発を仕組んだ」と述べている。

  • 「ウクライナの政治家が武器を持ってきた」

ネルガゼ氏はインタビューで「2月14日あるいは15日に上級グループがホテル『ウクライナ』の3階の個別の部屋に集まった」、「兄弟民族を助けよとの命令が与えられた。だがその後、詳細は一切伝えられなかった。その時までに私はすでにデモ参加者たちが猟銃や拳銃を持っているのを目にした」と述べ、さらに次のように語った-

「2月19日夜、ホテルにセルゲイ・パシンスキー氏(ウクライナのスキャンダラスな政治家)と、大きなバッグを持った数人の若者がやって来た。彼らは、複数のSKSカービンや7.62mm口径カラシニコフ自動小銃、またドラグノフ狙撃銃1丁と外国製のカービンを取り出した。パシンスキー氏は我々に、武器は『保護のため』に必要となると説明した。だが『誰から守るのか』という私の質問には答えずに部屋から出て行った」。

その時、ネルガゼ氏は、部隊「グルジア軍団」の指揮官マムラシビリ氏と話をした。マムラシビリ氏は「特別任務」について、そして「すべての標的に対して武器を使用し、マイダンにカオス(混乱)をつくりだす必要がある」ということについて語り、すべての標的とされる「デモ参加者と警察に違いはない」と述べ、出張に対するお金は「任務」遂行後に支払うと約束したという。

レヴァジシビリ氏によると、武器は同日、キエフ音楽院に運び込まれた。また同氏は「パシンスキー氏から射撃位置を選ぶのを手伝ってくれと頼まれた。私は、深夜に『ベルクト』(ウクライナ特殊部隊)が音楽院を襲撃し、デモ参加者を解散させる可能性があると述べた」と語った。

  • 「発砲が終わった後、我々は去るよう命じられた」

レヴァジシビリ氏はインタビューで次のように語ったー

「午前4時あるいは5時ごろ、私は銃声を耳にした。パシンスキー氏は飛び起き、無線機をつかんで発砲を止めろ、まだその時ではないと叫び始めた。発砲はすぐに止まった。午前7時30分ごろ、パシンスキー氏は全員に発砲の準備をするよう命じた。2-3発撃って、すぐに位置を変えろということだった。発砲は約10-15分続いた。その後、武器を捨てて建物から出ろと命じられた」。

その後、レヴァジシビリ氏はマイダンに戻った。同氏は人々が激怒し、発砲したのは「ベルクト」だと考えている人たちもいることを耳にした。また発砲したのは自分たちの仲間であるデモの参加者だと考えている人々もいた。

レヴァジシビリ氏は次のように語ったー

「私は理解した。これは悪い結果に終わる可能性がある、私は嫌な話に巻き込まれた、皆が知ったら私は今ここで八つ裂きにされる可能性があるということを。もう(祖国へ)飛び立つ時期だと考え、タクシーをひろって空港へ行った」。

ネルガゼ氏は次のように語っているー

「2月20日午前8時ごろ、音楽院の方向から銃声が聞こえた。それから3-4分後にマムラシビリ氏のグループがホテル『ウクライナ』の3階の窓から発砲した。発砲は2人組で行われた。発砲した後、別の部屋に移動してまた発砲した。すべてが終わった時、我々は去るよう命じられた。その日に私たちはトビリシに戻った」と語った。

ネルガゼ氏は、約束のお金を受け取らなかった。同氏は今、元「同僚」たちからの復讐を恐れている。

コバ・ネルガゼ氏とアレクサンドル・レヴァジシビリ氏は、ウクライナの裁判所で自分の証言の正しさを確認する用意がある。

  • コバ・ネルガゼ氏
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