00:53 2018年09月23日
糸数慶子氏

アメリカの人は大好き、でも軍隊はノーという 沖縄の糸数参議員

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アナスタシア フェドトワ
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沖縄県議会は必死で普天間の米軍基地の使用停止を訴えているものの、状況は変わらない。飛行は止まず、事故も頻発し、地域住民は憤懣を抱えている。日本政府が国民の生命の危険に目を向けようとしないのはなぜか、本土復帰46年間で何が変わったか、沖縄の独立はあり得るのか。スプートニクは会派「沖縄の風」の糸数慶子参議院議員に取材を行った。

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糸数慶子さん(70)は沖縄県読谷村で生を受けた。生まれたのは日本が第2次世界大戦に敗れて2年後。米国の沖縄統治は始まっていた。糸数さんが25歳の時、沖縄は日本へ本土へ復帰したものの、だからといって平和な暮らしが戻ってきたわけではなかった。糸数さんはバスガイドから参議院議員へ転身することで、日夜、沖縄県民の利益を守り続けている。

本土復帰の年に誕生した娘に沖縄の希望を託し、「未希」と名付けた

私は生まれたのが1947年なので、昭和22年。ですから、ちょうど物心つくどころか大人になっている時期ですから、復帰したいという思いがものすごく強かったですね。私が生まれ育った読谷村(よみたんそん)は演習をやるし、パラシュートの降下訓練はやるし、日常的に目の前に米軍の嘉手納基地があるので、日常の中に米軍が入り込んでくる。学校の校庭にパラシュートがわーって降りてくるとか。青信号で渡っている最中に高校生が米軍の車両に轢かれて亡くなって、でも米兵は無罪放免、罪を着せられるわけではなくてアメリカへ帰ったらもうどういう罰を受けたのかもわからないっていう状態でした。それが復帰前の私の生活です。

日本の所謂「平和憲法」の下に私たちは復帰するからそういう諸々のことがもうなくなるし、解放されるんだという思いがあるから、すごく喜んだんですよ。でも実際にはそこには米国と日本の密約があって。私たちは基地も少なくなるだろう、核もないだろう、平和の沖縄になるだろうと思っていたのが、だんだん慣れてきて状況がわかってくると、何にも変わらないっていう状況の中から、まあ復帰したことを一概に手放しで喜べるっていう状況ではなかったですね。

私は1972年1月に結婚して10月にはもう赤ちゃんが生まれました。うちの娘は復帰の年に生まれているから、この娘が二十歳になったり、選挙権を得られる頃にはもう沖縄はすごく変わってるだろうと思って、娘の名前を未来の希望と書いて「未希」っていう名前にしたんですよ。でも娘も結婚して子供も2人できて、ますます沖縄にはオスプレイが配備されたり、知事選挙でも辺野古に新しい基地をつくらせないっていってみんな運動をしているのにそれを無視する今の日本政府を見てたら、復帰してよかったのかな、どうなんだろうっていう疑問さえ持ってきますね。

復帰前と復帰後と、確かに生活は豊かにはなりましたけど、なんだか県民の人権とか尊厳とかを考えると、全然変わっていないという感じです。精神的なところから考えていくと、沖縄の人が本当に今満足しているかというと、100%満足はしてないと思います。

「本土の人は沖縄を植民地扱いしている」

沖縄の人たちは本土に復帰して47ある日本の都道府県の中の1県になったんですけれども、でも今の状態を考えると復帰して46年経ったけど、相変わらずアメリカに占領されている、植民地みたいな対応の仕方を日本の国がやっているんですよ。

沖縄では県知事が一番権力を持っている人ですよね。この翁長県知事は、4年前の県知事選挙で辺野古に新しい基地はつくらせませんよって言って当選したわけですよ。だから県民の思いっていうのは、この知事が勝利したので、やっぱり県民の思いは8割が基地の建設には反対ですっていうことなんですね。それからその後にあった衆議院選挙でも参議院選挙でも、国に議員を送るような国政選挙で全部辺野古はノーですよっていう人が勝っているので、本当は政府は、そういう沖縄の人たちの思いを本当に民主主義が生きているような日本だったら受け入れて当然ですけど、全く無視してるんです。今あなたの質問にあったように、なぜそういう県民の思いを無視するのか、私たちはとっても疑問だし、これはおかしいと、本当の意味での民主主義じゃないという思いなんですね。

47の都道府県の1つの県、私たちの思いは140万しかいないから、日本の1億7000万という国民の中では、こんなわずかなちっちゃな地域のこんなちっちゃな人たちのたった140万しかいない人たちの思いなんか切り取ってしまってもいいという感じ。日本にはアメリカとの付き合いが大事なんですよね。

沖縄でプロテスト
© 写真 : Sputnik / Anastasia Fedotova
沖縄でプロテスト

米軍の基地とか米政府の人たちは自分たちは良き隣人ですよって言うけど、とんでもない。良き隣人って言いながら20歳の女性をレイプしたりね、殺害して、ほったらかして、本当に白骨化する状態までね。そのまま遺棄した事件が2年前にありましたけど、沖縄の人たちの命をこんなに粗末にする人たちは良き隣人じゃないと私たちは思ってるんですね。

米軍は歓迎されてると思ってるんですよ。私は歓迎していません。アメリカ人が嫌いというわけではないんですよ。アメリカの人は大好きですけど、娘たちも3人ともアメリカに留学した経験があるので。でも軍隊はノーと言う。なぜかというと軍隊で鍛えられた人たちは人を殺すのが仕事だから。殺される前に殺すという訓練を受けているから、特に女性をこうやってレイプしたり殺したりっていうね。

沖縄でプロテスト
© 写真 : Sputnik / Anastasia Fedotova
沖縄でプロテスト

そういう事件は基地がある限りあるんですね。だから女性の事件を考えたり子供たちの人権を考えたりすると、まあやっぱり戦争につながる基地は反対なので、そういうことを考えていくと独立も視野に入れて運動した方がいいのかもしれないなって思います。でもまだそういう思いの人は沖縄にはごく一部です。少数派です。

「私は沖縄の独立を支持しています」

これだけ沖縄の人たちの気持ちをこうやって訴えて、私も国連に行って訴えたこともあります。スイスのジュネーブでもニューヨークの方の国連本部でも訴えて、沖縄の人たちの思いをなぜ聞いてくれないんですかって。先住民の方々と一緒にこの土地は私たち沖縄県民のものだから沖縄県民に返してくださいって訴えに行ったんですよ。私たち沖縄人が復帰して46年経っても県民の思いが届かないんだったら、もう独立してもいいんじゃないのっていうのは、どちらかというと私も賛成の立場です。いきなり独立は無理かもしれませんけど、本当は基地を全部返してもらったら、返してもらったあとの跡地を商業ベースとして活用していくと経済もよくなるので、私は現実的にあり得ると思ってるんですよ。

今すぐというわけにはなかなかいかないんだけれど、アメリカ軍の基地が返還された北谷町(ちゃたんちょう)には「アメリカンビレッジ」というのがあるんですけど、那覇の方には天久新都心(あめくしんとしん)っていうのがあって、もともと北谷もこの那覇の新都心もアメリカ軍の基地があったところですけど、返してもらってそこに日本人、つまり沖縄の人たちも、東京辺りからもいろんなお店がいっぱい入ってきて、外国からも入ってきて、そうしたらアメリカ軍に基地として土地を貸していた時よりも今の方が経済効果が圧倒的に出ているんですね。だからそこを全部返してもらったら、沖縄の人たちが自分たちの土地として畑にしたり商業ベースにしたり公園地にしたり、いろいろ町をきちんと都市計画して開発していけば絶対にやっていけるって思うんですね。だから独立したいです。

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軍事, 軍事基地, アメリカ軍, 日本, 沖縄, 米国
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