12:22 2019年04月19日
片岡一郎

「日本人にとってロシアは希望の国です」 弁士、片岡一郎さんがモスクワで小津作品を語る

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モスクワのトレチャコフ美術館で行われていた小津安二郎監督の映画作品上映企画は優美な余韻を残して終わった。企画では2か月間で28もの小津作品が紹介されたが、上映は時代をさかのぼる形で行われ、最後に「小津安二郎監督特集レトロスペクティヴ」として、初期のフィルムのなかから4つの無声映画が、ロシア語の字幕とピアノストの演奏と、そしてこの企画のためにわざわざ訪露した日本人弁士の片岡一郎さんの比類な語りで披露された。

スプートニク日本

無声映画の時代、弁士は多くの国でたくさん活躍していた。日本でも弁士は無声映画の登場とともに誕生し、最盛期には7500人を超える弁士が存在していた。映画の普及に果たす弁士の役割は絶大のものがあった。なぜならヨーロッパの文化の特徴や生活は日本にはまさに映画を通して初めて入ってきたのであり、日本人の大半には皆目知られていなかったからだ。時には欧米人にはごく普通のことや、ユーモア、ジェスチャー、仕草さえも日本の観客には説明を要した。弁士の中にはそのうちに表現に磨きをかけ、人気俳優へと転身していく者も出てきた。そういう元弁士の俳優の名前は広告には監督や他の俳優よりも大きく太字で書かれたものだった。

トーキーの登場で弁士という職業は徐々に姿を消していった。今、日本ではこの分野ではわずか10人の弁士が存在するのみだが、片岡さんいわく、「少し前までは無声映画や出ている俳優は懐かしいと思っている人たちが多かったですけども最近そういった方々がだいぶ高齢になってきたこともあって、無声映画やそして弁士を新しい文化として受け止めるという方々が増えてきました。」

このため本物の弁士をこの目で見て、耳で聞くという機会はロシア人にとってはこの上ない稀なチャンスであり、多くの映画ファンが機会を逃すまいと集まった。その片岡さんがモスクワ滞在の最終日にスプートニクからの取材に応じてくださった。

小津安二郎監督の「生れてはみたけれど」映画ワンシーン
小津安二郎監督の「生れてはみたけれど」映画ワンシーン

スプートニク:弁士というのは非常に稀なお仕事だと思います。どうやって弁士になられたのですか? 最初に取り組んだ映画はどんなものでしたか?

片岡一郎: 高校時代に演劇をやっていました、そこから落語とか講談といった日本の話芸に興味を持ちはじめ、大学時代に弁士のアマチュアのサークルに参加していたのですが、大学を卒業するぐらいのタイミングで本当にやりたいなと思って師匠に入門をお願いしました。2002年のことです。初めての無声映画はアメリカ映画の『散り行く花』(Broken Blossoms)でした。これは初め、うちの師匠がやっているのを見て面白いなと思いました。

スプートニク:弁士の難しさはなんでしょう? 1本の映画にはどれくらいの時間がかかりますか?

片岡一郎: 僕にとっては一番難しく、一番やりがいがあるのは台本を書くという作業です。その作品をどう解釈するか、というところにかかわってくるので、 台本を書くのにはそれなりに時間がかかります。大体映画の5分ぶんを書くのに1時間ぐらいかかりますので、5分の映画だったら台本を書くのは約1時間、10分の映画だったら約2時間ということですね。それ以外にもちろん、色々な調べものをしますし、台本を完成したらそれを稽古するためにも時間が必要になっています。

スプートニク:無声映画は何年も前に作られたものですが、片岡さんが語りに使うのは現代語ですか、当時の言葉でしょうか?

片岡一郎: そうですね、完全に当時の言葉を使うというのはさすがに出来ない ことですけれども、なるべくその当時の雰囲気を感じられるような言葉を使うようにはしています。

スプートニク:男の人の役を男性の弁士が語るのはおそらくそう難しいことではないと思いますが、女性や子どもの声を表現するのはどうやったらこんなにうまくいくのでしょうか?

片岡一郎:  これですね、日本では絵本を子どもに読んであげるなどして、誰でもこうやったらお年寄りになるとか、子どもになるという方法をなんとなく知ってると思うんですね。それをわれわれはプロなので知ってるだけではなくて、ちゃんとアウトプットすることができるというだけのことで、日本人にとって実はそれほど特殊な技術でないのではないかというふうに思っています。

スプートニク:片岡さんが弁士と務められた映画は何本になりますか? 日本には弁士の語りが行われていない無声映画はまだたくさん残されていますか?

片岡一郎:  全部あわせて僕が手掛けた作品は350本ぐらいです。日本の無声映画は残存率は非常に低いです。残っているといっても一本丸々残っているのではなくて、10分かしか残っていないということも多いので、何本という数え方をするのが非常に難しいのですが、おそらく残っている無声映画のうち7割から8割は何らかの形で僕も含めた弁士たちが大体手掛けているのではないかと思います。失われたと思っていた日本映画のフィルムがロシアに残されていたということも何度もあります。ですからわれわれ日本人にとってロシアというのは希望の国ですね。

スプートニク:ロシアにある日本映画というのはどこから入ってきたか、ご存知ですか?

片岡一郎:  ロシアではゴスフィルムフォンド(国立映画保管所)というところに日本映画がある程度保管されています。これについてはすでに日本の国立フィルムアーカイブが調査をして、大抵は日本に返還といいますか、コピーが送られているのですけれども…。例えば第二次世界大戦の後に満州に沢山の日本映画フィルムがあったと言われてまして、当時フィルム倉庫を見た人は、見渡す限り『海のようにフィルムがあった』と言うのですが、そのフィルムがどこに行ってしまったのか分かっていないんです。けれども、満州はソ連兵が入ってきて色々なものを持って行ったという歴史的な背景もありますから。ロシアに持ちかえられたフィルムが存在するのではないか、それがどこかに保管されているじゃないか、眠っているんじゃないかとずっと噂はされています。私はゴスフィルムフォンドで日本映画というカテゴリーは全部調査しているんですけども、その他にアジア映画という、アジアらしいカテゴリーがあり、その中に日本映画がありそうだとも言われています。そういうわけでこれからもしばらくロシアから何かでてくるではないかと期待しています。

スプートニク:モスクワご滞在はとても短い時間でしたが、どんな印象をもたれましたか?

片岡一郎:  すごく印象を残っている夜の風景の美しさです。モスクワはとても白が多いというか、ホワイト・カラーが多いという感じました。今年はまだ暖かいということですけど、日本に比べて寒いんです。でも寒い空気と白の美しさ、夜の景色とても美しいと思いました。

片岡さんの小津安二郎監督特集レトロスペクティヴは在ロシア日本大使館、国際交流基金、トレチャコフ美術館、ロシア国立映画保存所(ゴスフィルモフォンド)、ゲーテインスティテュートの主催で行われている。

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露日関係, 文化, 日本, ロシア
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