08:44 2019年03月23日
ユーリー・ガガーリン

ガガーリンの微笑 冷戦時代の「ソフトパワー」

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リュドミラ サーキャン
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今年3月9日、史上初の宇宙飛行士、ユーリ・ガガーリン生誕85周年を迎える。ガガーリンについては全てが明らかになっていると思われる。だが時が経つにつれて今まで知られていなかった新たな詳細が明かされている。

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昨年春、ロシア防衛省は中央軍アーカイブフォンドから海外出張や褒章のリストなどガガーリンに関する文書をサイトに公開した。そのうち最も興味をそそるのは、宇宙飛行士準備センターにいたころのガガーリンの評価だ。人物評価は以下の通り。

「身長165cm、体重68kg。健康状態良好、バスケットボールを行っている。規律正しく有能な士官。知能は高い。性格は落ち着いており陽気。人格構造において社交性、楽観主義、健康的なユーモアが強く出ている」

ユーリ・ガガーリン
Aleksandr Sergeev
ユーリ・ガガーリン

人物評価はさらに、ガガーリンが分け隔てなく誰にでも丁寧な対応をし、丁寧に物事を運ぶと指摘している。つまり、身体的・職業的準備に関するデータに加え、今日では「メディアイメージ」と名付けられるだろう性質にも注目されていた。外見や立ち居振る舞い、コミュニケーション能力といった側面は少なからず考慮された。ガガーリンは「ドンピシャ」だった。有名な彼の笑みは20世紀に広く知られた「ブランド」になった。

宇宙から帰還したガガーリンを待っていたのは凱旋ワールドツアー。ソ連指導部もこれを重視した。冷戦と軍拡競争の最中、ガガーリンは西側諸国に住む多くの人が持つソ連に対する見方を改善させた「ソフトパワー」として機能した。ガガーリンは30カ国を訪れ、演説し、記者の質問に答えた。

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ガガーリンの訪日は1962年。熱狂を引き起こし、同年の主要イベントの1つとなった。目撃者が語るところ、ある記者がガガーリンの日本人形購入について記者会見で質問した。ガガーリンは微笑を浮かべながら、「娘達にいつもプレゼントを持って帰るんですよ。この買物についてあなたが口にしてしまったことは残念です。明日にも新聞記事になり、モスクワでも知られるところとなって…サプライズではなくなってしまいます」と答えた。

ガガーリンが1961年4月に宇宙飛行に向かった時、長女は2歳、末娘はわずか生後1ヶ月だった。飛行前、ガガーリンは念のために別れの手紙を妻と子どもたちに残した。手紙で彼は妻に、娘たちを良い、社会に役立つ人間に育てるよう頼んでいた。

手紙が妻に手渡されたのは1968年3月27日、航空機で訓練飛行中に墜落事故が起き、ガガーリンが死亡した時だ。34歳の若さだった。墜落事故の原因と当時の状況は今に至るまで完全に解明されていない。

ガガーリンの妻、ワレンチーナは死別後、再婚しなかった。長女のエレーナは博物館複合施設「モスクワ・クレムリン」のトップとして働いている。末娘のガリーナはモスクワ国民経済大学の経済学部教授だ。彼女の息子は祖父の名前を取り、ユーリと名付けられた。この家族には伝統がある。毎年ガガーリンの誕生日にはモスクワ郊外にあるスターシティの家で集まり、夫であり父であり、祖父であったガガーリンのことを思い起こす。そして、ガガーリンがただ残業で家に帰るのが遅くなっているかのように過ごすという。

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