12:05 2020年04月01日
ルポルタージュ
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やはり日本の人形は単なるおもちゃを大きく超えたものである。日本のさまざまな人形がロシアにもたらされるたびに、このことを実感する。人形は独自の美学、歴史、流派を持つひとつの世界なのだ。愛知県で代々続く絡繰り人形師の家業を継いだ人間国宝の九代目玉屋庄兵衛さんが仲間とともにモスクワで絡繰り人形制作のレクチャー・デモンストレーション、ワークショップを開催した。彼らのロシア訪問は国際交流基金とロシア国立図書館の主催で実現した。

デモンストレーションで観客をもっとも驚かせたのは、茶運び人形と弓曳童子の驚くほどに正確な人間らしい動きである。後者は頭の傾く角度で表情が変わる。的に当たると人形は笑い、失敗すると悲しい顔をする。もちろん視覚的な錯覚ではあるが、制作者の意図は観客を感嘆させた。こうした人形を19世紀半ばに初めて制作したのは東芝の創業者で「東洋のエジソン」や「からくり儀右衛門」と呼ばれた田中久重である。現在、彼 の制作した人形は世界に2体しか残っていない。

からくり人形
© 写真 : マリヤ・ゴフトワニ / ロシア国立図書館
からくり人形

絡繰り人形は西洋ではすでに忘れ去られた存在だが、日本では精密な数学的計算と創造性と想像力を融合させた美術工芸品として今も残っている。工夫を凝らした技術、舞台劇としてのおもしろさ、洗練された芸術性、これこそが絡繰り人形の醍醐味である。人形師の玉屋は1734年発祥、九代目玉屋庄兵衛さんは1995年に玉屋庄兵衛を襲名した。現在までに大きさも用途もさまざまな人形約50体を修理・制作してきた。その大部分は日本にあるが、なかにはロンドンの大英博物館に寄贈されたものもある。九代目玉屋庄兵衛さんがスプートニクのインタビューで、自分の道、人形師に対する考え方について語ってくれた。

からくり人形
© 写真 : マリヤ・ゴフトワニ / ロシア国立図書館
からくり人形

「父親が七代目玉屋庄兵衛といい、兄が八代目玉屋庄兵衛でした。でも父も兄も早くに亡くなって、それから僕は23歳から修業を始めました。僕はそんなに夢を見ていなかったので、違う仕事をやっていました。作ることは好きで、色々なものを作ることが好きで、好きな仕事をという形で、父親が手伝えと言ったので、この道に入ったんです。修業は15~16年かかります。(人形が)一体でき上がるのに、自分一人の力でつくり上げるのには、やはり修業すると15~16年かかります。全て自分で、彫刻刀を作り、自分で研げて、自分で顔を彫れるようになるには、やはり15~16年かかります。衣装も全部自分で作りますし、衣装の色や袴の色もすべてうちで作ります。人形を作るのに、だいたい1年ぐらいはかかります。江戸時代から続いている人形を、修理をしながら、復元をしながら、というのが主な仕事です。新たに茶運び人形や弓曳童子を作ってほしい、新たな違うものを作ってほしいというのは創作絡繰りです。それも、積み重ねた技術で新しいものを作るということです。ですから、すべてを身につけなければなりません。美のうつくしさや、自分がこうしたいという技術、そういったものも何年もの修業の中で蓄えるのです。こういったものを作りたいというのは、常に考えています。新しいことを作りたいと。」

九代目玉屋庄兵衛さん
© 写真 : マリヤ・ゴフトワニ / ロシア国立図書館
九代目玉屋庄兵衛さん

実は、100年以上前、絡繰り人形はヨーロッパでもロシアでも大人気だった。しかし高価であるため、皇族・王族やとても裕福な人でなければ買うことができなかった。エカテリーナ2世が孫のアレクサンドルに高価な絡繰り人形を贈ったことはよく知られている。なかには行進し敬礼する兵士の人形、鏡の前で髪を梳かす「オシャレさん」の人形などがあった。これらの人形はとても高価で稀少なものであったため、女帝自ら、孫がこの人形を壊してしまわないよう監督を命じたほどである。現在、モスクワの装飾美術博物館に古い人形師の作品がいくつか収蔵されている。

現代では「からくり」という言葉は、節約、手作業の削減、手間のかかる作業の機械化を意味する国際的な用語となっている。そうした装置は労働生産性を向上させ、大きな費用もかからない。スプートニクが調べたところによると、からくりユニットはロシアでも、空港、ペテルブルグ郊外のトヨタ自動車工場、KAMAZのトラック工場、ロスアトムの核物質製造工場「マヤク」、FAM-Robotics社などの工場で使われている。

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