横浜トリエンナーレ
ロシアの芸術家
タウス・マハチェヴァ
毒との共存を語る

第7回展となるヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」
が7月17日に開幕し、外出制限で美術鑑賞の機会に飢えていた人々にとっては待ちわびた日となった。ヨコハマトリエンナーレ2020には、30以上の国と地域、60人以上の芸術家が作品を出展している。メインテーマのひとつ「毒との共存」はコロナ禍で特にアクチュアルなテーマだ。このテーマでロシアの現代芸術家も作品を出展している。スプートニクはダゲスタン出身のロシアの芸術家タウス・マハチェヴァさんに作品「目標の定量的無限性」について話をきいた。このほか、パフォーマーとして作品に関わった藤井皓太さんからもプロジェクトの印象をきいた。
「世界に否応なく存在する毒と共存する」
第7回展となるヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」では、インドのニューデリーを拠点とするアーティスト3名によるラクス・メディア・コレクティヴをアーティスティック・ディレクターに迎え、彼らとともに時空を超える思考の旅へと誘う。

AFTERGLOW(残光)とは、私たちが日常生活の中で知らず知らずのうちに触れていた、宇宙誕生の瞬間に発せられた光の破片を指すものとして選ばれた言葉である。時の始まりに生まれたこの強い光は「破壊のエネルギー」を持つ有毒な放射線であるとともに、「新たな創造の糧」であり、癒しの力でもある。毒は私たちの生活から切り離すことができないものとして、一概にネガティブなだけの存在とは言えない複雑な現象となっている。

そのようなコンセプトから、現代社会のあり方を問い直す5つのキーワードが生まれた。
「独学」自ら学ぶ
01
「発光」学んで光を外に放つ
02
「友情」光の中で
友情を育む

03
「ケア」お互いをいつくしむ
04
「毒」世界に否応なく存在する毒と共存する
05
「世界に否応なく存在する毒と共存する」という概念は、パンデミック下の生活を強いられている今日を予見したかのようで驚かされる。
「目標の定量的無限性」とは・・
タウスさんの展示エリアは、標準とは異なる形状やサイズの体操器具が置かれた一種の体育館のようだ。このインスタレーションでは、スピーカーから聞こえてくる声の響きが、自分の脆さや居心地の悪さを増幅させる。聞こえてくるのは、誰もが家や学校や職場といった公共の場で耳にしたことのある、嫌というほど身近なフレーズである。上の立場の人から振り下ろされるこうしたフレーズは、社会的規範を装ったこうした言葉が、どれだけ人にトラウマを残し、攻撃的な影響を与えているのかを改めて考えさせる。

作品はインスタレーションとパフォーマーの動きがライブで組み合わさった時に完成する。実験に加わる参加者は、肉体的な挑戦に打ち勝つだけでなく、自らの恐怖心や疑念とも闘わなければならない。
不思議な言葉「目標の定量的無限性」の意味は?
「目標の定量的無限性」というのは、ソ連の体育の教科書に出てくる用語です。意味しているのは、とても単純な変化、スポーツがゲームでなくなるという変化、転換です。それは、達成不可能な目標を抱いたときのこと。どれだけ練習しても満足のいく出来にはならず、目標は遠ざかっていくばかり。だから、目標の定量的無限性なのです。

私は以前から、パッシブな攻撃的な言葉に関心を抱いてきました。これはロシアでも他の国でも、家庭や学校など様々な制度の中で使われている言葉で、私たちの誰もが体験したことのある言葉です。こうした言葉はなぜかとても長生きでしぶとい。私たちはこうした言葉を聞いて育ち、なぜか分からないまま、それを自分の子どもたちに対しても再生しています。まさに「満足のいく出来ではない」という感覚、服装がなってないとか、やり方が良くないとか、座ったときに背中が曲がっているとか、あるいは真っ直ぐすぎるとか、そうした慣用句のような言葉を作品の一部にしようと思い、集め始めました。
タウスさん
芸術家
タウスさんは、この作品の中のスポーツはメタファーであるが、概念自体はもちろんスポーツにもあてはまるものだと言う。「私の作品の中の体操器具は曲がっています。様々な制度の影響を受けて曲がった私たちの体や知と同じように。そして、これは私たちに強いられた新たなゲームのルールを示しています。」
どこの国にも同じような言語現象が存在する
作品で使われている言葉に見合う日本語のフレーズ探しには、文字通り、トリエンナーレのスタッフが総出で参加してくれたとタウスさんは言う。録音された音にはそうしたスタッフの声も含まれている。こうした交流の中で、ロシア語や英語にはあるメタファーが日本語にはないことも発見した。しかし、外国人との作業の経験から、どこの国にも同じような言語現象が存在することが分かったとタウスさんは語る。
「女の子はニコニコしていればいい。」
「返事をなさい。聞いてるの?」
「お前のためなんだよ、それぐらい分かるだろう? 」
「くだらないこと言わないで。」
「将来何をしたいか、決めたのか?」
「もうちょっと普通のことをしなさい。」
「 冷たいじゃない」
「君にはお父さんの夢を叶えてほしい。」
「男は泣くもんじゃない。」
「少しでも自分の頭で考えたことあるのかしら?」
「ほら、お母さんの言った通りでしょう? 」
「大人になれば僕が正しかったことがわかるよ。 」

一方で、タウスさんはこの「毒との共生」の必要性を、ネガティブというよりは、ポジティブに捉えようとしているのだとも語った。

人間の精神や肉体が持つ適応能力や調和能力はとても興味深く、その能力には感嘆します。私にとってこれは奈落の底に突き落とされるしかない不可避の現象ではなく、「あぁ、これとどうやって付き合っていくのか考えなくては!」という気持ちを呼び起こすものです。人間はどんなところにも抜け穴を見つけられる!このフレキシビリティ(柔軟性)が、私の作品づくりの刺激になることが多いです。

タウスさん
芸術家

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「日本に魅せられている」
ことについて

タウスさん自身が認めているとおり、彼女は長年日本を訪れたいと夢見ていた。そして、トリエンナーレを生で見ることができず、オンラインでしか見られないことに落胆した。彼女はまた、芸術の島として有名な直島にいつか行ってみたいと強く願っている。
私の母の友人にアイヌラ・イシェンバエヴナ・ユスーポワさんという素晴らしい人がいます。彼女は、かつては東洋美術館で、今はプーシキン美術館で働いています。日本の版画の専門家で、プーシキン美術館のグラフィック部門の主任をしています。母とアイヌラさんは大学時代からの友人で、私は彼女と一緒に育ってきたようなものです。アイヌラさんは私たちに日本のことをたくさん話してくれましたし、見た目も食感も味も初めて経験するような、驚くようなお菓子を日本で買ってきてくれたりしました。

私は日本のまったく違う文化に魅せられています。時間に対する考え方、自分自身、肉体、自分を取り巻くものに対する考え方がまったく違うことに魅せられています。けれど、私の日本に関する知識はすべて間接的なものなので、自分の目で見てみたいと思っています。
タウスさん
芸術家

日本のパフォーマーの衣装を制作するにあたり、タウスさんはデザイナーのパニカ・デレヴィヤさんと一緒にヨウジ・ヤマモトの作品を研究し、昔のオリンピック日本代表の衣装も研究した。

新型コロナは芸術をどう変える?
タウスさん
芸術家
唯一言えることは、私は世界の終わりなき繋がりについて考えているということ、水上の波紋の効果について考えているということです。ここの湖に石を投げると、どこかインド辺りで波紋ができる。どうすれば今あるこのすべてと一緒に、よりエコに、誠実に、美しく生きられるのかを考えています。芸術家にはエンパシーが強い人が多く、現在の社会的困惑の高まりに強く影響されています。私たちは今、終わることのない震えを感じている状態なんです。震度2ではなく、震度6くらいの。掴まれるところを常に探している状態、それが今の時代の重要な特徴であって、芸術は私にとって一種の安定剤のような役割を果たしています。

総じて、痛みや膨大な喪失を、私を含めてあらゆる人が経験したけれど、人々は果てしない疾走から抜け出し、自分自身を見つめる機会も得たと思います。どのように生きるのか、これからどう進んでいくのかを考える機会です。そして、これはとても重要な休止だと思います。前向きに、これが多くの変化をもたらしてくれると信じています。
タウスさんの展示エリアで毎週土曜日に行われているパフォーマンスの後、パフォーマーのひとりである藤井皓太さんにスプートニクが話を聞いた。
Q:
自己紹介とプロジェクトに関わったきっかけは?
藤井さん
僕は今、都内の大学に通っていて、4年生です。体操は高校から始めて、今、6年目になります。 パフォーマンスをやっている他のメンバーは小さい頃から選手を目指してきた人たちですが、僕は部活で、顧問やコーチもいなかったので、誰かに監督されることのない、いわゆる「試合を目指して頑張ろう」という環境ではなく、「楽しんで体操をやろう」ということをメインに体操に励んできました。

もともと体操の持つ身体表現性に興味がありました。今回、日比野さん(編集注:制作者キュレトリアルチームの一人)から大学に話があり、このプロジェクトが体操の競技性ではなく、芸術性にスポットライトをあてたテーマだったことに共感したので、OKしました。
Q:
タウスさんの印象とパフォーマンスでの芸術的自由について
藤井さん
今回、コロナの影響でタウスさんと対面で会うことはできず残念ですが、オンラインの画面越しでお会いしました。とても柔らかい表情が印象的で、優しい表情の中に強い思いを秘めているよう方でしたので、話すときはちょっとドキドキしました。威圧感とまではいかないけれど、不思議な雰囲気を感じて、ドキドキしながら話をしました。

(パフォーマンスの際の動きの自由度については)基本的には、僕たちの自由にやらせてもらっていました。タウスさんの表現は言葉と器具。そこから、僕たちは自分たちの経験をもとに器具と向き合ってどういう表現ができるのかを相談しながらやっていました。基本的に表現に関しては僕たちの自由がほぼ100%だったと思います。
Q:
特に難しかったことは?
藤井さん
今回のテーマである「目標の定量的無限性」というのは、受け手と発し手の間のコミュニケーションで歪みがある状況。その中で新たに自分の目標を定め、それに近づいていくということだと僕は解釈したのですが、体操競技とは違ってバランスが悪いし、安定性も欠けているし、歪んだ体操器具の中で自分にどういう表現ができるのかを模索していくところが一番難しかったと思います。
Q:
この実験で個人的に得たものは?
藤井さん
今回の作品では言葉が印象的だと思うのですが、身体表現に対して与える言語表現の影響がとても強いものだというのは感じています。僕も、自分が先生やコーチや親など、特に影響力の強い立場になったときに与える言語表現の強さを再確認したので、これから、自分の解釈と受け手の解釈が異なることに注意して言葉を使わないといけないなと感じました。
Q:
身近だったフレーズは?
藤井さん
特に印象的なフレーズが3つあります。「おまえのために言ってるんだよ」「おまえのために怒ってるんだよ」という表現がひとつです。それと「普通にして」と「信用なくすよ」。子どもの頃、僕自身、みんなと同じようにやっていく子どもじゃなかったというか、言われてそれにお行儀良くこたえるような子どもじゃなかったので。自分の自由な自己表現に対して抑えつけるような強い強烈な表現です、この3つは。子どもながらの自由にしたい反抗心とその言葉の間の葛藤というのが、僕の中で今でも残っています。
Q:
観客がいると難しい?
藤井さん
今までリハーサルも含めて、周りに人がいる状況でやっていなかったので、なんとなく無機質な環境の中で自分の思い通りにできる環境だったんですけど、今回、最初は特にいっぱい人がいて、見られていることで、言葉がより強く聞こえるというか、周りから言われているような感覚がありました。そのなかで自分の今まで通りの演技をすることの難しさを感じました。
Q:
ダゲスタンとロシアについて
藤井さん
ダゲスタンについては、知らなかったんですが、先日、日本人でダゲスタンに行った人のブログを読みました。そこに、ダゲスタンの人々は旅行者に対してとても丁寧なおもてなしをしてくれて、礼儀正しいということが書かれていました。それは日本人の伝統的なアイデンティティに通じるものがあると思うので、親しみを感じました。ロシアについては、僕の兄が去年の年末にロシアに旅行に行ったんです。シベリア鉄道に乗って、モスクワまで行って旅行したんですが、その旅行の中で犬ぞりをしたらしく、その映像を見せてもらいました。野生とか自然とは思えないようなすごいパワーを感じて、あれは一回体験してみたいなと思っています。