涙のドキュメンタリー映画「海を越える愛」戦争と抑留者の記憶、現代に生きる日露の絆【動画】

© 写真 : The Goodwill that Tamed the Sea海を越える愛 
海を越える愛  - Sputnik 日本
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第15回札幌国際短編映画祭に、日露の戦争の歴史、そして両国の絆の新しい一面を知ることができる、異色の作品が参加している。ドキュメンタリー映画「海を越える愛」(ウラジオストク 、2020年)だ。30分に満たない短編映画の中には、3人のロシア人と6人の日本人が登場する。この9人は、自身がかつてシベリア抑留者だったり、父親が抑留者だったり、抑留者と交流したりと、戦争と関連する特別な思い出を持った人々だ。彼らが当時、何を見て、何を感じたのか?それぞれの立場から発する偽りのない言葉が胸にひびく、涙なしに見られない記録映画だ。

島根県の牡丹を通じた出会い

この映画を作ったのは、「映画のプロ」ではない人々だ。制作チームは、3名のロシア人から成る、ロシアと日本の懸け橋「花道」プロジェクトである。プロジェクトの中心で、映画の企画発案者でもあるエレーナ・アンドレエワさんは、ウラジオストク在住のフローリスト。島根県の牡丹をロシアに輸入する仕事をしている。

2012年、エレーナさんは、島根県庁の招待により隠岐諸島の西ノ島を訪れた。西ノ島には、日露戦争で犠牲になり、遺体となって流れ着いたロシア兵の墓がある。そこでエレーナさんは、この映画の主要な登場人物の一人、玉木武雄さんと出会った。

玉木さんはシベリア抑留経験者。20歳で出兵し、中国で4年間過ごした後、ソ連の捕虜となった。シベリアでの辛い経験があるにもかかわらず、毎日2回、ロシア人墓地にお参りし、墓の世話をする玉木さんの姿に、エレーナさんは感銘を受けた。その後、玉木さん以外にも、牡丹の仕事を通じてロシアに縁のある人々に知り合うことができ、エレーナさんの中で「この人たちの貴重な話を記録に残したい」という思いが強まっていった。

© 写真 : Elena Andreevaエレーナ・アンドレエワさん
涙のドキュメンタリー映画「海を越える愛」戦争と抑留者の記憶、現代に生きる日露の絆【動画】 - Sputnik 日本
エレーナ・アンドレエワさん

日本人医師に救われた叔母の命

実は、エレーナさんと日本との縁は、エレーナさんが生まれるずっと前から始まっていた。終戦時、エレーナさんの祖父母は沿海地方のテリャンザという村に住んでいた。その長女(エレーナさんの叔母)が2歳のとき、重い病気になり、薬もなく、瀕死状態だった。その時に救ってくれたのが、近くの材木調達工場の捕虜収容所にいた日本人医師だったのである。エレーナさんの祖母であるマリア・ユルチュクさんは、その時のことを鮮明に覚えていて、映画の中で、日本人医師との思い出を語っている。

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自身の家族の体験や、玉木さんたちとの出会いが積み重なり、エレーナさんとその仲間が撮影に着手したのは2018年。エレーナさんは当時の気持ちを「神様が『今、行動しなさい』と背中を押してくれたような気がしました」と振り返る。

この映画には、特殊効果も何もない。言ってみれば、インタビューをつなぎあわせたものだが、そのシンプルさに、作り手の一途な思いが感じられる。インタビューの動画だけでも10時間を超え、それを短編映画にするための編集作業には膨大な時間を要した。

エレーナさん「歴史家の先生方も、私たちが取ったインタビューは、今までどこにも出てこなかった、非常に貴重な証言だと言ってくれました。映画ではインタビューの大部分をカットしなければいけなかったので、それぞれの方のインタビューの完全版は、何か、別の形で公開したいと思っています。」

映画はロシア語吹き替え版、日本語版(27分バージョンと38分バージョン)、英語字幕版があり、いずれもYouTubeで視聴できる。

映画祭に参加、思いがけない日本人の反応

もともとは、家族や友人に見せるつもりで撮り始めた映画だったが、今年から来年にかけて実施中の、日露地域交流年のプログラムに入ることになった。さらにウラジオストク日本センターのすすめで、札幌国際短編映画祭に出品することになった。映画祭のオンライントークショーでは、日本人と一緒に映画を鑑賞。感銘を受けた日本人からは、リアルタイムでチャット欄に感想が書き込まれた。

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エレーナさん「仕事上での経験から、日本人は恥ずかしがり屋というか、表立って感情を表さないと思っていました。でも、皆さんが自分の感情についてどんどん書き込んでくれ、映画が終わった後に堂々と感想を述べてくれる人もいて、すごく嬉しかったです。身近な人のために、と思って始めた映画でしたが、思いがけず大きなプロジェクトになりました。」

次の世代に伝えたい、困難な時代の記憶

日本人医師との交流について明るい笑顔で語ってくれたエレーナさんの祖母、マリアさんは、今年の3月に92歳で他界した。エレーナさんは、祖母が映画の完成を目にできたことが、せめてもの幸いだったと話す。また、映画の主要登場人物の一人で、日本人抑留者との思い出を語り、日本人墓地の世話をしてくれていたニコライ・ジグリツキーさんは、映画の完成に間に合わず、2018年の年末に84歳で亡くなっている。

エレーナさん「この映画を見てくださる若い世代の方に伝えたいのは、スマートフォンと手土産を持って、おじいさんやおばあさんのところへ行って、彼らの話を聞いてほしいということです。どんな困難があって、どんな風にそれを乗り越えてきたのか、映像に残してほしいのです。彼らは、私たちより先に死んでしまいます。自分の人生について、自分の言葉で話してもらうこと、それを映像に記録することが、前の世代の記憶を次の世代に伝えられる唯一の方法だと思います。」

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