00:26 2020年12月01日
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18歳でロシアの音楽院に6年半の留学を決めるのはどんな心地だろうか。これを教えてくれたのが、日本人ピアニストの坂本里沙子さん(26)だ。彼女はロシア語も知らない状態でこの長旅に出発した。ロシアでの留学経験、日本人とロシア人の違いについて、スプートニクが坂本さんに聞いた。

どうしてロシアを選んだのか?

坂本さんは5歳でピアノを始めた。桐朋女子高校音楽科を卒業後、留学することになった。彼女の選択に影響を与えたのが、高校3年生で初めて行ったロシアの風景だった。

坂本さん:「高校ではドイツ語を選択していましたが、先生に誘って頂いたことがきっかけで、ロシアに興味を持って、ロシアを一回見に行きました。冬のモスクワはすごく寒かったのですが、その中で伝統音楽大事にしているのが感じられて、『この国で勉強したいな』と強く思いました。」

こうして2012年に坂本さんはロシア国立チャイコフスキー記念モスクワ音楽院に入学した。坂本さんが日本に帰国してから約1年半が経つ。今年8月末には著書『私の音楽留学』が出版された。この本の中で、彼女は6年半にわたるロシアでの勉学や生活について詳細に語っている。

音楽院と寮生活は「ハリーポッターのようなイメージ」

11月7日、出版を記念してNPO日露交流協会が松涛サロン “タカギクラヴィア”で坂本さんの「ピアノリサイタルとトーク=ロシア音楽と留学の話」を開催した。坂本さんはこの講演でロシアの音楽院の体制がどうなっているのかを語り、音楽院を『ハリーポッター』になぞらえた。

坂本さん:「私が音楽院をいいなと思ったところは、音楽院の流派というものがあるところです。当時全部で4つの流派、派閥がありました。簡単に言うと、ハリーポッターのようなイメージです。」

坂本さんがロシアの音楽院留学中に最も感激したのは、偉大なピアニストや作曲家が遺したものをとても大切にしていることであり、こうした貴重な知識を受け継いでいくことに心を砕いていることだった。

坂本さん:「また派閥のほかにも、どういう系譜の元に自分まで辿り着いているのか、自分の先生を辿るとどこに行くのか、ということも大切です。

例えば私はまず師事していたクドリャコフ先生、そしてその先ボスクレセンスキー先生、 その先生を辿ると、第1回のショパンコンクールで優勝したレフ・オボーリン、その先生はイグームノフラフマニノフの親戚でもあるジロティ、そしてなんとラ・カンパネラなど有名な曲をたくさん残したあのフランツ・リストにまで続くことになっています。

(なので、)ロシアのモスクワ音楽院に留学したことで、ロシア音楽は長い歴史と伝統があり、その脈々と受け継がれているものを感じて、もっと大きくて広いもの中の一員として音楽をやっているのだ、という意識が私の中で音楽を続けていく励みになりました。」

「ピアノリサイタルとトーク=ロシア音楽と留学の話」
© Sputnik / Eleonora Shumilova
「ピアノリサイタルとトーク=ロシア音楽と留学の話」

とはいっても、ロシアでの勉学や生活は必ずしも楽ではないはずだ。坂本さんは留学中に帰国を考えたことはないと言うが、彼女の話を聞くうちに、困難も少なからずあったことがわかってきた。

例えば、最初の3年間、坂本さんは3人1室の寮に住んでいた。部屋はとても狭く、プライベートな空間はベッド以外にはないに等しかった。しかし、坂本さんはこの共同生活をとても懐かしそうに語る。

坂本さん:「今から考えると、小さな部屋に知り合いでもなかったロシア人と台湾人と日本人と国籍がバラバラの3人で住んでいて、お互いがお互いを常に見えるようなつくりでしたが、そんなに不自由に思ったこともなくて、あの子たちを外国人と特別意識したこともなくて、不思議だなぁと思います。一緒に映画を見たり、今日あった出来事を報告したり、そういうことはとても楽しかったし、寮生活をしている中でとても心強かったです。」

3年生以降、坂本さんは旧ソ連時代の遺物「コムナルカ」で暮らすようになった。コムナルカとは、バスルームとキッチンを10人程度で一緒に使う共同住宅である。厳しい住環境にもかかわらず、坂本さんはそこでも友人を作り、その友人とは今でも連絡を取り合っている。

坂本さん:「音楽院の寮の生活は、音楽を勉強している仲間、という共通点があったのですが、コムナルカに住んでいた人は音楽に興味があるわけでも、同年代の人がいるわけでもなくて、 日本人を初めて見たという人たちとの生活で、寮とはまた違った面白さがありました。」

留学して音楽への考え方がどう変わったのか

坂本さん:「音楽を勉強していることが、伝統の文化を担っている一人だというふうに思うようになりました。日本で私はただピアノが好きで、ピアノを弾いていた訳ですが、ロシアだと、やっぱり、伝統を大事にして、『伝統の一人だよ』とすごく教えてくれるので、そうすると自分もこのロシアの音楽を人々にまた伝えていかなきゃいけないというような使命感というか、終わらせちゃいけないというような気持ちになりました。」

モスクワのカフェ・プーシキン
© 写真 : 坂本里沙子
モスクワのカフェ・プーシキン

坂本さんは、教え方にも大きな違いがあることに気付いた。

坂本さん:「日本だと決められた回数を週に一回、学校で決められているから『一回レッスンね』と言うことが多いと思うのですが、ロシア人の先生って、わからないところとか、『まだ曲ができていなくて困っています』と言うと、一週間に何度も手伝ってくれたりとか、困っている時に、お仕事だから教えるんじゃなくて、本当に心からこれを教えてあげたいという気持ちで教えてくださる方が多かったです。」

坂本さんの心には先生の印象的な言葉が数多く刻まれている。例えば、ある先生とチャイコフスキーの「ドゥムカ」を学んでいたときのことを話してくれた。

坂本さん:「この曲はロシアの農村風景という副題がついています。音楽院の学生時代、ロシアで先生のこの曲のレッスンを受けました。その時に、『君の演奏ではどうしても外国人が弾いたロシア曲に聞こえる』と言われました。『あるおじいさんが過去の罪に苛まれながら生きてきて、誰も必要でなくて誰からも必要とされず誰にも語れなくて、心の拠り所は自分の馬だけ。一番の問題はこれからも生き続けるということ。そんな心の叫び。また、日本人は道が分かっているのが一般的かもしれないけれど、ロシアでは探りながら歩くの が一般的なのだ』と言われました。」

ロシア人との意思疎通はシンプル:日本人とロシア人の違い

坂本さん:「日本人ってお互いの表情を見たり、言っていないことを考えて『あ、この人はこう言っているけど、こう思っているんじゃないか』と雰囲気とかいろんなものを総合して、何を言っているかを考えると思います。

逆に、ロシア人ってすごく怒ったり、その場で怒られたりとか、色んなことがあるんですけれど、でもその分、本当のことしか言わないので、『自分がこう思う』と素直に言うと、向こうが『じゃあ、僕はこう思う』と、お互いに素直にやりとりができる気がしました。日本人は全然怒ったりはしないじゃないですか。怒られたりもしないけど、何を考えているのか、いまひとつ掴みきれないところがあるんですけれど、その分、ロシア人はダメだったら『ダメ』と言ってくれるし、いいことは『頑張んなさい』と言ってくれるし、そういうのが簡単で、やりとりしやすくていいなと思いました。」

一方で、このようなロシア人の付き合い方は、心の準備ができていない日本人にとっては、最初は不意を突かれるものだったとも言う。しかし、坂本さんはこれにもすぐに慣れた。

坂本さん:「最初はちょっと、突然、こっちの気持ちとか考えることなく、真実を言われることにびっくりしました。例えば、ロシアだと、点数とか全部発表しちゃったりとか、みんながいる前でロシア語の点数を上から順番に言ったりとか。最初はそれにびっくりしたんですけど、途中からはそういうロシアの人々とのやり取りが気が楽で、好きになりました。」


スプートニク:最後にひとことお願いします。

坂本さん:「日本で生まれ育って18年間、日本人に囲まれて、日本語を話し、日本の生活だけで育ってきた自分がロシアから受けた影響は本当に計り知れないと思います。これから色々な体験をさせてくれたロシアと生まれ育った日本のかけ橋のような役割をできる人になれたら嬉しいなと思います。」

2020年9月ヤマハ銀座コンサートサロンでの演奏会
© 写真 : 坂本里沙子
2020年9月ヤマハ銀座コンサートサロンでの演奏会
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音楽, 文化, 露日関係, ロシア, 日本
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