ロシアの旅人が新潟沿岸であわや沈没の危機日本の救助隊に救われた

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ロシア人の家族が念願を果たそうと、自分たちのヨットで日本沿岸を航行した。しかし、時化に遭い、危うくのところで日本の漁師に救出された。どうしてこの旅人たちは経験もないのにこのような危険な旅に出たのか?日本の漁師が救出で果たした役割とは?スプートニクがお伝えする。

「ただ旅がしたかった」

北の都市トムスクのごく普通のロシア人家族にとって、自分の船で航海に出ることはかねてからの夢だった。彼ら曰く「ただ旅がしたかった」。年月は流れていく一方で、自分たちが若返ることはないという想いから、アレクセイさんとリリアさんはマンションを売却して、強力なモーターのついた小さなヨット「ローザ・ヴェトロフ(ウインドローズ)」を購入し、必要な物資(缶詰、水、発電機、妻のリリアさんの薬)を買い込んだ。おおよそのルートは次の通りだ。ウラジオストクを出発して、北朝鮮の経済水域に入らないように120度に進む。頻繁に方向転換しなくてすむように、あらゆる航路を避けて日本列島沿岸をマニラ方向に進む。フィリピンで好天を待ち、パラオに向かって進み、そこから南にマリアナ諸島へ向かう計画だ。

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この家族にこれまで公海を航行した経験はなく、起こり得る苦難や問題は経験豊富な旅人の話でしか知らなかった。かくして、家族はウラジオストクから旅に出た。好天に恵まれ、ヨットのすぐそば、手が触れそうな距離まで近づいてきたイルカの群れに見送られて公海に出た。

このとき家族は、秋が台風の季節であること、日本海の天気は一瞬で急変することをまったく知らなかった。


晴れた夜に雷鳴と稲光

昼間は海の旅を満喫した。アレクセイさんの計画では、追い風に乗れば1日半か2日で日本の岸に辿り着くはずだ。物資を買い足し、散歩もできる。ところが、夜になると天気は一変した。晴れた星空と大きな月は消え、ヨットの上には霧がかかり、空は雨雲におおわれ、雷鳴と稲妻の合間に高さ4~5メートルの波の音が響いた。

翌日の午後には嵐はおさまり、旅人たちは悪天候を凌げたことに胸をなで下ろし、エンジンをかけようとした。しかし、待っていたのは落胆だった。波と大きな揺れでエンジンは故障し、どうやってもエンジンをかけることができない。帆も破損していた。そうするうちに風が変わり、ヨットは南に流されていく。ちょうど新潟港の方向である。

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遭難した旅人たちに日本の漁船が近づいてきた。旅人はヨットが破損して修理が必要なのだとどうにか説明し、30分後には日本の海上保安庁がやってきた。海上保安庁の職員は無線連絡と身元確認の後、おもてなしの心で旅人に温かい麺をご馳走し、新潟に救助用タグボートを要請した。タグボートは翌朝到着するという。

タグボートを待ちつつ、2度目の眠れぬ夜が過ぎていく。辺りが暗くなるとすぐに風が出て、波が高くなった。アレクセイさんは高波で舵が全く言うことをきかないと感じた。船尾から波が押し寄せ、甲板には右舷からも左舷からも水しぶきがたたきつけるように降りかかった。

船はエンジンを失った状態で波に流され、何度も横転し、ひどく水をかぶった。リリアさんはポンプで、さらにはバケツも使って船倉から水を汲み出さなくてはならなかった。

夫婦は自力ではこれ以上は無理だと悟り、リリアさんがSOS信号を発した。海上保安庁がこれに応答し、10分後に救助が到着すると告げた。


«We save you, but not your ship»

救助船は本当に10分後に到着した。しかし、強風と波のせいでヨットに近づくのに約1時間を要した。救助部隊は無線でこう呼びかけた:«We save you, but not your ship»(船を捨ててください。そうすることで、あなたたちを救助します。)夫婦は、ヨットは鍵をかけて明日のタグボート到着まで置いておき、自分たちは安全な場所に避難した方がいいと判断し、呼びかけに同意した。

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救助隊がロープを繋ぐと、夫婦はすぐに娘を救助隊に投げ渡した。一瞬で少女の安全は確保された。次にリリアさんが救助隊に向かってジャンプしたが、波で足元がぐらつき、パスポートをヨットの甲板に落としてしまった。このときパスポートは水でびしょ濡れになった。最後にアレクセイさんが救助船に渡った。夫婦の手元に残ったのは、身につけていた洋服とポケットに忍ばせたわずかな物だけだった。半年分の薬も、お金も、結婚式の写真も、ヨットに残して行くしかなかった。

救助隊は旅人に「船を捨てる決心をしたのは偉い。命の方が大切です」と声をかけて励ました。家族は旅がこのような終わりを迎えるとは全く予期していなかったものの、生還できただけでもよかったと全員が喜んだ。救助隊は彼らに乾いた暖かい洋服を渡し、温かい食事を提供した。アレクセイさんは救助隊について「本当にすごい人たちだよ」と言う。救助隊の仕事に対する姿勢がアレクセイさんの日本の第一印象となった。


「次はいつ海に出る?」

その後、旅人たちはさらに3つの台風が近づいていることを知り、日本の近くで救助されて本当によかったと胸をなで下ろした。こんな状況ではフィリピンには絶対に辿り着けなかっただろう。家族は冬の間はヨットを日本に置いて、ロシアに帰るつもりだった。しかし、時化でヨットは大きく破損し、岸に曳航する途中で沈没してしまった。アレクセイさんもリリアさんも救助されてから数日間は、夜が来るたびに「また時化か!」という恐怖に襲われていたが、それも時間が経つと治り、娘も「次はいつ船に乗るの?」としょっちゅう尋ねるようになった。

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水に濡れたパスポートは無効とされた。在新潟ロシア総領事館の職員のアントン・チギリョフ三等書記官とアセクセイ・クリヴォルチコ三等書記官があらゆる面で支援した。パスポートの代わりに帰国のための証明書を発行し、病院に付き添って必要な薬の入手を手助けし、家族が無事に帰国できるよう成田空港まで送っていった。家族は東京―ウラジオストクの飛行機の中で、必ずまた日本に来よう、日本の自然や人々を身近に知るために今度はゆっくり来ようと決めた。冬の間はロシアのナホトカに拠点を置くことにした。

家族は、人生をかけた夢の実現は今のところ春か夏までお預けだが、1年後には再び運試しをすると言い、今度は海の神(あるいは幸運)が微笑んでくれるかもしれないと語る。

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