元ボリショイバレエ岩田守弘さん50歳記念公演
「全力でやれた。やっぱり舞台はいいね」

臨場感をお届けする完全密着ルポ

50歳おめでとう!コロナで延期になった記念公演
準備期間はまさかの1か月
ロシアでバレエを志す日本人の憧れ、岩田守弘さん。岩田さんは外国人として初めてロシアの名門・ボリショイバレエ団の正団員になり、第一ソリストとして活躍。ブリヤート国立オペラ・バレエ劇場芸術監督を経て、2019年からはニジェゴロド州オペラ・バレエ劇場の副総裁と、バレエ団の芸術監督を兼務している。

人生のほとんどをロシアバレエに捧げてきた岩田さんは、昨年10月に50歳を迎えた。記念のバレエコンサートが予定されていたが、コロナ禍のため延期。ようやく、4月8日に開催することができた。開催が決まったのはわずか1か月前だったが、準備期間が短かったとは思えない素晴らしい舞台だった。この記事はあえて時系列にそって書いてみた。読者の皆さんにも、まるでその場にいるかのような舞台の臨場感を味わってもらいたい。
記念公演は二部構成。第一部は、岩田さんが振り付けた「ショピニアーナもしくは日本のエチュード」。ショパンの音楽で12曲のエチュードから構成されている。第二部はバレエコンサート。岩田さんをお祝いしようと駆けつけたボリショイバレエ時代の仲間や、友人のダンサーたちが、それぞれ得意の踊りを披露する。自分の公演の合間を縫って、当日の朝にニージニー・ノヴゴロドに着き、出番が終わったらとんぼ帰りという人もいた。契約書も何もない、ただの口約束でロシアを代表する大物ダンサーたちの出演が実現したのは、岩田さんとの深い友情があってのことだ。
開演一時間前。報道陣に意気込みを語る岩田さん
岩田さんの出演は、第一部のラストと、第二部の三番目で、それぞれソロの踊りだ。第二部には、ソ連の伝説の歌手ウラジーミル・ヴィソツキーの歌に合わせ、自身が振り付けした作品を選んだ。もともとこの踊りは、ボリショイのバレエダンサーで、親友のミハイル・ロブーヒンさんの求めに応じ、岩田さんが手がけたものだ。岩田さん自身お気に入りで、記念公演にふさわしい、感情ほとばしる踊りだ。

開演一時間前、取材に応じてくれた。「今まで舞台はいつも真剣に取り組み、全力でやってきました。今回は舞台での締めくくりのような形になると思うので、あまり大きく意味づけたいとは思いませんが、やはり特別な思いがあります。」「全身全霊、誠心誠意。自分ができることをすべて。それだけです。」
客席は満席。幕が開き、合唱団の澄んだ歌声がひびく。岩田さんのこれまでの歩みがスライド写真で映し出される。日本人ダンサーの先駆けとして、ロシアで積み重ねてきた努力とその裏の苦労を思うと、胸に熱いものがこみあげてくる。

「ショピニアーナもしくは日本のエチュード」の舞台装飾は最小限。絵になる美しいピアノはヤマハ製。時おりバックに映し出される書は、モスクワ在住の書家・石嶋かおりさんによるもの。それぞれのエチュードは喜びや信頼、愛、幸福、別れなどを表し、流れるようにシーンが転換していく。レッスン風景の中のコミカルな動きはかわいらしく、会場の笑いを誘った。

休憩をはさみ、ゲストダンサーが「海賊」「瀕死の白鳥」「ヌレエフ」などを披露。特筆すべきは岩田さんの教え子、ニジェゴロド州オペラ・バレエ劇場のダンサーも、「春の水」「エスメラルダ」「Inside my heart」(岩田さんが振り付けしたコンテンポラリー作品)で出演したことだ。これらの演目は素晴らしく、ロシアを代表するスター達と競演しても見劣りせず、岩田さんが来てからのダンサーのレベルアップを感じさせるものだった。
岩田さんは、ダンサーに振り付けを頼まれ、その人と一緒に踊りを作り上げていくことが多い。ダンサーのやる気と情熱があればあるほど、良い作品ができる。「クラシック大好きで、あんまり自由なことは不得意」「僕は性格的にガチガチに固められている」と自分を評する岩田さんだが、この日の踊りは本人の言葉とは裏腹に、やり場のない思いや、内面の葛藤が伝わってくる素晴らしいものだった。ヴィソツキーが言葉では伝えきれなかった、魂の叫びが聞こえてくるような気がした。

トリを飾ったのは、アナスタシア・スタシケーヴィッチ(ボリショイ劇場)とイワン・ワシリーエフ(ミハイロフスキー劇場)によるタリスマンのパ・ド・ドゥだった。ワシリーエフといえば、ワイルドな躍動感ある踊りで日本にもファンが多い。この日は薄紫の優雅な衣装に身を包み、優しく流れるようななめらかな動きを見せたかと思えば、彼の代名詞である超絶テクニックを駆使した圧倒的に高さのあるジャンプを披露。会場は最高に盛り上がり、公演はスタンディングオべーションで幕を閉じた。
舞台裏で岩田さんに感想を聞いた。「ほっと一安心、まだ終わったっていう実感がないです。終わった後、泣くのかな?と思ったけど、全然泣いてません(笑)楽しく終わりました。ダンサーもお客さんも、みんな喜んでくれて、嬉しいです。やっぱり舞台がいいですね。映像じゃなくて生きてるものが目の前で動く。舞台側から僕らも、お客さんをすごく感じるんです。目に見えない、一つにつながったもの、っていうのは、舞台本番でしか味わえません。」

今できることを全力でやりました。身体は…思うようには動かないですね。そこはやっぱり辛いところ。これが一番怖いです、ここより(レベルを)落として舞台には立てないっていう、自分のプロとしてのプライドがあります。長く続ければ良い、という風には思わないし、思い残すこともありません。もしかしたらまた舞台に立つこともあるかもしれないけれど、こういう大きい舞台はおそらくないと思います。
岩田守弘さん
観客の皆さんは「感情がぶつかってくるような舞台」「とてもダイナミックだった」「地元でこんなハイレベルの踊りが観られるとは思わなかった」「芸術は素晴らしい、国の垣根を越えてくれる」などと、喜んで感想を語ってくれた。公演終了後は、出演者と劇場関係者が集まり、岩田さんのためのパーティーが開かれた。今日のスターを拍手で出迎え、それぞれがお祝いのスピーチをし、花束やプレゼントを手渡した。
公演翌日、リラックスした様子で取材に応じる岩田さん
翌日、劇場内の執務室で取材に応じてもらった。今日の岩田さんは一転、指導者の顔だ。バレエ団芸術監督としての目下の課題は、バレエ団の演目を充実させること。そしてそれを通し、良いダンサーを育てることだ。ニジェゴロド州オペラ・バレエ劇場は、国立のアカデミー劇場だ。アカデミーと名のつく劇場は芸術大国のロシアでも数が限られており、若いダンサーに教育の場を与えることに重点が置かれている。どうしたら人は感動するのか、人は何を感じることができるのか?岩田さんは、ダンサーの成長において、クラシックバレエの形式を通して「道徳」をわきまえることが重要だと考えている。
ボリショイ劇場って、スタイル抜群は当然で、それプラス技術や才能がある人が行くところ。身体条件に恵まれない僕があそこで踊れたのは、自分の努力があったからだと思うんです。努力すれば何でもできる。若いときに僕は自分が努力したっていう自信があるので、絶対に後進のダンサーを育てられると思いました。

でも、これまでの指導経験から言って、自分がこうなりたいっていうイメージがない人には、いくらやってもダメでした。僕が教えることは、僕がすごい指導者たちから教わってきたことです。そういうことって本に書いてない。それを自分の決まったやり方にそぐわないから、と言って取り入れない人はどうしようもない。今の劇場のダンサーは真面目で、成長したい、勉強して自分のものにしたいという視点がある。だから、充実していて、喜びがあります。ダンサーは肉体的にも精神的にも大変な仕事ですが、ここのダンサーは自分たちの職業について「人に喜びを与えられるすごい仕事」だと話しています。
岩田守弘さん
岩田さんには、ダンサーの数を増やして、バレエ団の規模を拡大するという重要課題もある。ロシアでは、劇場は文化省の直轄機関であり、団員は国家公務員のような存在なので、岩田さんが自由に採用人数を決められるわけではない。団員数を増やすことができれば団員間の競争も活発化し、いざというときの代役も立てられるようになる。

採用枠拡大のためには、働きかけが必要だ。記念公演は、岩田さんのお祝いという名目で開かれたものではあったが、州政府関係者に、バレエ団の素晴らしさと存在意義をアピールする、という意味もあった。

日本へ帰りたいと思ったことは一度もない
岩田さんいわく、「どん底で、崖っぷちで、もうダメだ」というときに、必ず助けてくれる人が現れるのがロシア。大ピンチでも「なんとかなってしまう」ところは、良くも悪くもロシアの大きな特徴だ。今回の公演準備でも、そういうシーンが多々あったという。

岩田さんは、今のところはニージニー・ノヴゴロドに骨を埋めるつもりでいるが、完全にそうと決めているわけではない。ロシアでは、あえて計画を立てないほうがうまくいくこともある。その時の状況次第で、自分が必要だと思う方へ、そして自分が必要とされている方へ進む。それが岩田さんの、ロシアでの生き方だ。
昨年のインタビューで、「僕の大きな夢は、立派な新しいオペラバレエ劇場を建ててもらうこと」と話していた岩田さん。その夢は変わらないが、ニージニー・ノヴゴロドだけでなく、日本にもオペラバレエ劇場ができてほしいと願っている。劇場という箱ができれば、そこには劇場を劇場として成り立たせるためのシステムが必要になる。ダンサーという立場から離れたことで、岩田さんはシステムの全体像を把握することができた。夢が叶ったあかつきには、ロシアの優れた劇場システムのノウハウを惜しみなく提供し、日本の劇場文化に貢献したいと考えている。

バレエ団は今年の12月に日本公演をする計画がある。コロナの影響が大きく、まだ先行きは不透明だが、実現できることを願って準備が進められている。
筆者:徳山あすか
写真:ニジェゴロド州オペラ・バレエ劇場
   徳山あすか

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